ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

夫の真夜中の手術

2024-11-12 | 日ごとの生活

夫が、尿が出なくなって、このままでは死ぬということで、腎臓から直接、尿を排出するための管を通す手術が必要になりました。それは夜中の1時頃のこと。自宅で休んでいるドクターを呼び出して、車で駆け付けてもらうのを待つこと1時間以上。その間、いつ来られるか、何時に手術が始まるのか、とても不安でした。しかし、夫はもっと不安でしょうから、互いに不安な気持ちを言い合っても、解決はどこにもないなと思いました。

 

そこで、讃美の本を取り出して、次々と歌い続けました。夫は黙って聞いていました。すべてを神様にお任せすれば良いという、落ち着いた平安な気持ちで待つことができました。それは不思議な感覚でした。

 

やっとドクターが到着して手術が始まった。私は手術室の前の、誰もいない暗い廊下で、また讃美をしていました。神様がともにおられるというのは何と心強いことだろうと、暗い窓の外を見ながら思ったのでした。

 

そして、このような試練も、夫がイエス様を受け入れるためにと備えてくださっていた経験の一つとなっていたのだと、後になって気づいたのでした。

 

 

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夫が召された日の日記 その3

2024-11-08 | 日ごとの生活

早朝に来た看護師と、看取ってくれた看護師が夫のからだが着るものを整えてくださっている間、ガラスの障子で仕切られたダイニングで、私と子供たちはお葬式の相談と協力を依頼しました。

息子はアンチキリストなのですが、感情的になることなく、何とか話は進めることができました。

教会からすでに前日に、私は葬儀屋さんに来てもらって打合せが済んでいたのでスムーズに進めることができました。

教会のある街から私達の住む田舎まで車で3時間程の距離があるのですが、田舎にはキリスト教式のお葬式をしてくれる業者を捜せなかったこともあり、教会の近くの葬儀屋さんに依頼をしていたのでした。

 

そこまで、何もかもすっきり進んでいたのですが、一つだけ気になっていたことがありました。

それはドクターを呼ぶのが少し遅かったし、孫の到着を待つ間苦しい思いをさせたかなということでした。

私が夫に「ごめんね。麻薬の薬が口の中で解けていなかったから苦しかったでしょう。もう少し早くドクターを呼ぶべきだったね。ごめんね」と言ったら、夫はうなずいたのでした。

だから「最後の判断が遅かった」と叱られたのだと思ったことでした。

そのことが葬儀会社の人が来たときも、夫の兄弟が来た時も、ずっと心にひっかかっていました。

でも、夜になってふと気づきました。夫がうなずいたのは、私の「ごめんね」という言葉にうなずいてくれたのだと。

赦すこと、赦されることを夫から教えられました。夫は少し前に、痛い? 苦しい?と心配する私に、夫は「十字架上のイエス様の苦しみほどではない」と言ったことがあったのでした。

 

私は今、このノートを大学病院の待合室で書いています。今度は私が治療を受ける番です。神様は一歩一歩従う者に、さらに一歩一歩導いてくださることを確信して喜んでいます。8月20日

 

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夫が召された日の日記 その2

2024-11-08 | 日ごとの生活

15時30分頃に、用があって遅れて到着する息子の奥さんと二人の子たちをこらえて待っていました。やっと彼女たちが着いて、子供たちの声が聞こえるかと尋ねたらうなずいた。その後30分後に天に召されました。この間、部屋の中では誰も話をすることなく、讃美の歌がけが響いていました。

 

その直前の1時間前に、朝に来てくれた看護師さんとは別の看護師が居てくれて、夫の最後の時を、夫の手を取っていて最後の瞬間を、冷静に「4時15分でした」と宣言されました。私は思わず「ハレルヤ。神様、感謝します。よかった。天国だ。」と喜びました。

 

しばらくすると、朝に点滴をしてくれた訪問ドクターが来てくれて死亡診断書を書いてくださった。最後にドクターが玄関から出る時に、「私もここで・・・を勉強させてもらった」と言われて変えられました。何のことか具体的には分からなかったのですが、神様の臨在と祝福を感じ取られたのだと思います。

 

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夫が召された日の日記 その1

2024-11-08 | 旧約聖書

 

10年前の、夫のこの世での最後の日、7月31日はとても不思議に何もかもが行き届いてピタッピタッと神様に導かれる一日でした。

夜ずっと讃美を続けた後、ふとまどろんで、二人して目が覚めた朝、少し苦しそうな様子だったので訪問看護師にメールをしたところ、すぐに来てくださった。

そうそれだけで夫は「安心だ」と言って笑顔を見せました。

 

午前中には、孫が聖書を朗読をし、次に娘も読んで、みんなで讃美をしました。
その間、苦しそうな表情は見せず、落ち着いていました。

前日の夕方にも替えを見に来てくださったケアーマネージャーさんが、この日は小学生の娘さんも連れて来てくれて、夫は笑顔でお別れをしました。
このケアマネの子どもさんは、なぜか夫が好きで、家で家族ごっこをする時、お父さん役は私の夫、お母さん役は私として、遊んでいるのだと教えてくれました。ふふふっ、どんな様子でしょう。

 

呼吸を苦しくなりドクターを読んだ所、病院へ出勤する車中だったのですが、一時間後には家に来てくださいました。
痛み止めの薬の中でも最強のものを点滴しましたから、(夫は残宅医療ではそれまで注射も点滴もしていませんでした)、そのまま意識を失ってしまうのではないかと思ったのでした。

つづく

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良かった探しは喜びをうむ

2024-11-08 | 日ごとの生活

私の夫は典型的な日本人の男性で、家の中で賑やかにおしゃべりをしたり声を出して笑ったりすることがほとんどなかった。
何か話をする時も、批判的であったり暗い雰囲気だったりした。
「わるかった探し」をしているようだったと今になって思う。

私が信仰生活を始めて間がない頃、牧師家庭の食卓に招かれたことがあった。
夫はその開放的で明るい雰囲気に驚いた様子だった。
私達夫婦の間で、同じような空気が流れるようになったのは、夫がはっきり救われた17年後だった。

私は家庭内では、一人で「良かった探し」をしていた。しかし、孤独を感じなかった。
神との和解がなされていたし、教会生活が祝福されていて喜ばしいことがたくさんあった。
問題や困ったこともあり、重苦しい気分になったこともあったが、忍耐している間に聖書が語られ、聖霊からの語りかけもあった。

一つ一つのことに絶妙な神のタイミングで介入がなされて、守られ導かれていることを知ることは、喜びであり感謝なことです。

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