第一コリント9:15-18 から語られた
- 教えられた真理
・福音を宣べ伝えることによって得られる報いは、無報酬でささげること、与えること。また、自分にある権利・自由を用いない自由を持っていること。犠牲を払うことが報いである。
・宣教をしないなら、災いに会う。宣教するなら祝福。
- 明かされた霊的状態
宣教することによって、期待していたものを受けること。持っている権利が十分に生かされることのように思っていた。全く反対であった。宣教して失われた魂を救うという神の働きに用いられて神に喜ばれることよりも、自分自身が喜ぶことを優先していた。
- 神様への応答・実践
・パウロが宣教するのは、サタンの奴隷だった者が、救われてイエスのくびきを負ってキリストに仕える奴隷になったから、奴隷の仕事として、やらなくてはならないことだった。
・私自身も、イエス様が十字架にかかるという犠牲を払って私の罪を贖ってくださったのですから、主、イエス・キリストのしもべとして、あずかったタラントを用いて、神に聞き従うことを、優先します。
・祈るだけでなく、犠牲を伴った行動に移す機会を生かす。
私に今、務めとして委ねられていることを、多少不本意で強いられたことであっても忠実に実行に移します。
・ママ達の伝道集会が前進するように、キッススタッフを喜んでする。
・お部屋やおもちゃの消毒方法を尋ねて、確かめておく。
・当日は朝早く行って消毒しておく。
・マスクにシールを貼って子供が喜ぶように工夫する
これらのことは、私に務めとして委ねられていることで、終わりの日には報いとなる。朽ちない冠をいただけるのを楽しみにします。
クリスチャンのおばあちゃまサンプルとして、未信者のママたちの前に立てることは嬉しい。感謝です
zoomと並行して、教会で実際に集まることを始められることも嬉しいです。