ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

聖書の中の喜び 「カラ」

2020-01-31 | 喜び
昨夜、夕方遅くに、教会から電話。私が管理しているゲスト用マンションに、遠くから見学に来られた牧師さんが宿泊されることになったので、準備をするようにとのことでした。

私はすぐに、「はい。喜んで」と答えて、走りました。布団と炬燵のセット。お店に走って行って、差し入れに大きい💛のようなイチゴと美味しいパン屋のミニチーズパンを購入。それにいつものコーヒーと日本茶。

ちゅうど、電話を受けた時、聖書の中の喜び「カラ」を原典で検索をしている時でしたから、とんでもなく、明るい声の返事が電話で響いたのではないかしら。


「喜んで」とは、喜びにメタという前置詞をつけて、「喜びをもって」、「喜びとともに」と訳されて、聖書の中に出ているのを確認しました。大きなメガな喜びとか、すべての喜びというのはあるが、ちょっとだけの喜びというものは、どうも聖書には存在しないようでした。

他にはどんな前置詞がつくのかを調べてみると、エピ、エイス、エン、ディア、アポ、いろいろにありましたが、一番興味深かったのは、「アンチ」でした。アンチ巨人のアンチです。

Heb12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に 置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

今は、困難で悲しく思われることがあっても、私達の悲しみは喜びに変わります。一歩一歩、みことばに聞いて、「良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言われ、
また兄弟姉妹からは「私たちの望み、喜び、誇りの冠」なんて呼ばれることに希望を持って生きるなら、今どんな状況にあっても、今から喜んで、喜びにあふれ満たされて生活できるはず。

「カラ」喜びは、小出しにちょっとずつしか与えられないと思うのは不信仰で、恵みによって、メガであふれるほどに満たされるものだと思いました。



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この世の中で イエスの中で

2020-01-30 | 聖書研究
この世の中に 私達が 持っているものは、   患難 
イエスの中に 私達が 持つことがてきるのは 平安

たがら命令です
勇敢であれ、大胆であれ、元気であれ、安心していろ、ずっとそうしていなさい 

どうしてそれが言えるのか
それは
イエス様が
「わたしはすでにこの世に勝利した。打ち勝った。勝利を完了した」
と言われたから。

イエス様が、完了形で「勝った」と「言われた」ことを、疑ったり迷う必要はない。
イエス様は神であり、私達の救い主であり主であるのだから。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネ16章33節


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3つの命令 キリスト・イエスにある、神のみこころ

2020-01-30 | 喜び
あなたがたに対して、あなたがたのための
キリスト・イエスにある、神のみこころ・神が望んでおられること
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです
3つの命令で言われている 第一テサロニケ5章16~18節

①いつも喜んでいなさい 喜び続けていなさい。 

 ある時はちょっと喜び、また落ち込んで、しばらくしてまた喜ぶような、安定感のない喜びではなく、いつも喜べと神は言われる。はい。そのような神の声が聞き続けられることこそ、喜びです。



②絶えず祈りなさい  中止することをしないで、祈り続けなさい

 様々な問題やトラブルが発生しても、たじろぐことなく、祈り続ける。絶え間なく祈り続けることが望まれている。
 明日の伝道集会では、牧師のメッセージの間、別室で祈る奉仕を担当することになりました。その時だけでなく、今夜から、そして集会が終わってからも、出席者が心を開いて救われるように祈り続けなくてはならない


③すべてのことに感謝しなさい すべてのことにあって感謝し続けよ

 今日、一緒に祈った姉妹の高校生の娘さんは、クリスチャンですが、心身の調子が悪くて、もう一年も、学校にも教会にも行けず、家で臥せっています。
 また、ご主人(クリスチャン)は、職場の担当が変わって、重責を担うことになり疲れている。以前にうつ病になったことがあるので、心配。ご主人は出勤前に奥さんに祈って欲しいと言われるそうです。小学1年生の子どももいる。

彼女の素晴らしいところは
★問題があるからこそ、よく祈っておられる。涙と叫びの祈り。神様に全面的に頼っている
★問題は問題として、それをも糧にして、教会学校ではメッセージをしておられる。それだけ、神様からの語りかけをたんさん受けておられる
★仕事で苦しい思いをしている人は多いが、夫婦で朝から一緒に祈って、神様からの励ましを受けてから出勤できるとは、感謝なことです。


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モーセのマネジメントは

2020-01-30 | 通読・出エジプト記
1月26日に出エジプト記18章から「モーセのマネジメントに上意下達か」を考えた。
また、27日に、「リーダーのイノベーション」を考えた。

今日は、出エジプト記24章を読む。

当時のイスラエル人はいったい何人いたのだろう。

イテロから助言を受けた後、モーセはどのように、人々をマネジメントするように成長をして行ったのか、興味があります。

民数記に進んで読むなら、よくわかって来るかも知れません。

神の山に登って行った人たち  


モーセ
               イスラエル人の指導者たち
               イスラエル人の若者たち
ヨシュア (モーセの従者)

アロン

ナダブとアビブ (アロンの息子)

長老70人


十二部族

千人の長

百人の長

五十人の長

十人の長


イテロから助言を受けて設けたそれぞれの長と、長老たちとは
どういう関係になるのだろう



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死んだら天国 それは簡単すぎる?

2020-01-28 | 礼拝説教
先日、弱い信仰の人に、偶像礼拝の場では、形だけ頭を下げて難を逃れる方法があることを、私自身、教えられたことがあったことを思い出した。

その結果、確かに私は今、仏教やその他の偶像崇拝から離れて、守られてはいる。
しかし、同じことを、今、私は生まれたばかりのクリスチャンに伝えてはいけないと思った。偶像の前で、形だけちょっとだけだから偶像崇拝には当たらないと安易に考え、それを続けるならば、恐ろしい結果につながる。

今日は、弟子訓練の第一回目の日ですが、教える側にいる私自身が、救いを全うすることについて、はっきりと意識しておく必要を覚えた。

「空中再臨」 「携挙」 「患難時代」 「再臨」 「千年王国」 「第一の復活」 「最後の審判」 「第二の死」 「新天新地」

黙示録20章を開いてみた。過去の牧師のメッセージを倍速で聞いた。
聖書が読めるという恵みの中で、信仰をはっきり持って生きていく必要を感じた。
現在の日本は、ローマ時代のような、キリストに従い通すために、激しい迫害、患難をも甘んじて受ける殉教者が多くいたという状況下ではない。

中途半端で、形だけの信仰で、証しをするどころか、他の人に躓きを与えるような信仰者は、どうなのか。恐れをもって、今日なされる学びに臨まなくてはならないことを、主によって示されました。学び会のリーダーは牧師夫人なので、私は控えて主ご自身の導きを祈りつつ、同席します。

今日、一緒に学ぶ彼女の職場は、京都市内のど真ん中で、偶像崇拝に深く関わっている人々や場所で、名前ばかりのキリスト者とも関わって、長年働いておられる方なのです。

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