昨夜、夕方遅くに、教会から電話。私が管理しているゲスト用マンションに、遠くから見学に来られた牧師さんが宿泊されることになったので、準備をするようにとのことでした。
私はすぐに、「はい。喜んで」と答えて、走りました。布団と炬燵のセット。お店に走って行って、差し入れに大きい💛のようなイチゴと美味しいパン屋のミニチーズパンを購入。それにいつものコーヒーと日本茶。
ちゅうど、電話を受けた時、聖書の中の喜び「カラ」を原典で検索をしている時でしたから、とんでもなく、明るい声の返事が電話で響いたのではないかしら。
「喜んで」とは、喜びにメタという前置詞をつけて、「喜びをもって」、「喜びとともに」と訳されて、聖書の中に出ているのを確認しました。大きなメガな喜びとか、すべての喜びというのはあるが、ちょっとだけの喜びというものは、どうも聖書には存在しないようでした。
他にはどんな前置詞がつくのかを調べてみると、エピ、エイス、エン、ディア、アポ、いろいろにありましたが、一番興味深かったのは、「アンチ」でした。アンチ巨人のアンチです。
Heb12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に 置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
今は、困難で悲しく思われることがあっても、私達の悲しみは喜びに変わります。一歩一歩、みことばに聞いて、「良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言われ、
また兄弟姉妹からは「私たちの望み、喜び、誇りの冠」なんて呼ばれることに希望を持って生きるなら、今どんな状況にあっても、今から喜んで、喜びにあふれ満たされて生活できるはず。
「カラ」喜びは、小出しにちょっとずつしか与えられないと思うのは不信仰で、恵みによって、メガであふれるほどに満たされるものだと思いました。