ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

思い上がりの失敗とお詫び

2025-01-29 | 旧約聖書

 

私の教会での奉仕はとてもユニークです
あちこちに分散しているお部屋に、いろんな訪問客に宿泊してもらえるように
布団やタオルなどを準備する係りです。

その人数はすごいのです 12月は9人。1月は最高の日は20人でした。
それ以外にも、1人、2人と来られ、教会員も宿泊します。

ローマ5:3-4"そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。"

足腰が弱って来て、計算も難しくなっている私です。
手伝ってくださる兄弟姉妹はたくさんいるのですが、その段取りがけっこうたいへんです


人数、男女比、その他の都合によって、宿泊する場所の設定を変更しなくてはならず
帰られた後も、お掃除や洗濯、備品の整備など、いろいろ用事があります。
洗った布団カバーを取り付けるのは、重労働なんです。

 

一つ一つの仕事に心を配って仕えることによって、もしや忍耐が生み出され
お粗末な品性ですが、それでも一回一回練られて行っているかと思うと希望が持てます。
天国での報いは積み上がっていることだろうなあと、単純に喜んでいます。
日々の生活の中でも、期待以上の報いがいろいろな形で与えられていますから、確認できます

 

こんな調子で上っ調子になっていて、思い上がっていたので、失敗しました。


一人の姉妹におもいやりのない言葉で厳しく言ってしまい、プライドを気づ付け、怒らせてしまいました。
暗くなっていたので、タクシーでお宅までお詫びに行きました。
ゆるしてくださって、翌日の今日の午後には、また一緒にご奉仕ができます。
主にある兄弟姉妹は、ともに天国に行くまで生きて行く、素晴らしい関係です

 

 

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クリスチャンとしての成長を祈る

2025-01-25 | 日ごとの生活

2025.1.26 小グループでの祈祷会のリードの下準備

Ⅰ.クリスチャンの成長のステップ

1イエスに聞きてついて行く /2イエスの言葉やわざを見て、少しずつイエスが神の子であることを知って行く /3十字架と復活、昇天を体験する /4聖霊降を祈って待つ /5聖霊に満たされる /6弟子となり、弟子づくりをする

1—6を繰り返して天国への道を整えられ続けて行く

 

Ⅱ.見ることにおいて成長する 先週の主日礼拝マルコ8:22-26より

1ブレポー 何が見えるか、見えるかと聞かれて見る(視力があっても見ない時もある)

2アナブレポー 見上げる・再び見る

3ディアブレポー 継続的、妨げられることなく・鋭い視線、焦点が合って来る、崩れていたものが元に戻って来る 先まで見通す

4エンブレポー ダイレクトに見える、見分ける、輪郭がくっきり洞察できる。永遠のものと一時的なものとを区別して神の子として永遠のものを選択していきる。

 

A.悔い改めが最初の段階、戻って見る、継続的に見る

1自分を知る 罪を自覚する / 良心の呵責がある

2神・主イエス・キリストを知る 神に対する罪 / 人・教会に対する罪を知る

3イエス様が、スプラクノン内臓・はらわた 深い憐れみ*悲しみ・あわれみ・かわいそうに思う  捜して救うために来られた動機

4救われていることを私もスプラクノンから喜び、イエスに応えたいと思うようになる。

 

B.継続的に聞き従う

☆放蕩息子は指輪・判子の使い方を知らない。靴をはいてしもべとしてどこに行ってどう働くのかも知らない。父親の配慮の中で、教えてもらい、先輩のしもべやお兄さんを見て学んで、失敗しながら成長して行くことだろう。(ルカ15:11-24より)

☆盲目だった人ははっきり()見えるようになったら、家に帰れ、町に戻るなと命令された。識別して行くべきところを指示された。見えるから自由だと好きなところに行くのではない。(マルコ8:22-26より)

☆マルタは、後になってもまたもてなしの奉仕をしている。彼女は賜物を用いて従いながら、その動機の部分から整えられて行ったことだろう。(ルカ10章マルタとマリアより)

 

適用:  伝道、弟子づくりをすることが求められている

★学び★みこころをよく見て洞察・識別する。日々聖書に聞く。黙想する。

★感情★祈り・黙想の中で、イエスのあわれみ(はらわた・内臓から揺り動かし)に、魂が揺り動かされてあふれる喜び・感謝・献身の思いで仕える

★知恵★「手で触れてください」などと、こちらで考えた方法がうまく進むように助けてくださいというのではなく、神の方法に全面的にゆだねて、こちらが従うようにする。

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結論は主にゆだねること

2025-01-23 | 日ごとの生活

ルカ 10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。

立て続けの奉仕のために、いろいろと配慮して、気が落ち着かないことがよくあった。
仕事は、段取りさえ整っていれば、神のタイミングで一つ一つやっていけば良い。
問題に対応して次々と手を打って、ともに働く姉妹とともに働いているなら落ち着いてできる。


しかし、落ち着けない時もある。
それは、日々のスケジュールを進めるに至る前に、個人的、霊的な備えの部分が、不十分だと感じる時です。悔い改めなくてはならないことを後回しにしていると気づく時です。
基本的な生活に問題があること。---睡眠のとり方、食事の摂り方、家事の進め方、
自由時間の用い方に問題があること。---一番大きいのがYouTubeを長時間見ていること。

神様以外のものに心が奪われていたことを告白して悔い改めます。
昨日は黙想をしながら30分以上歩く時間が与えられた。
前回の主日説教の内容を思い返したり、生活をみことばに照らし合わしたりして、
頭も心も霊も活発に動いていたようです。
奉仕が忙しくなればなるほど、個人的な神様との交わりの時間をしっかり取れるように知恵を求めましょう。

協力を依頼する前には、すべての事情をご存知の主に、その都度尋ねましょう。
いつ、誰に、どのように、依頼するのがふさわしいのかと。
人に不満を持ちながではなく、感謝しつつ、
一つ終われば、また次につながって行くこと、神のご計画は続いて行く事に期待して。

睡眠、食事など自分自身の身体については、召される日まで全面的に主にゆだねましょう。
一度に色々と考えたり、動いたりできない老化して来た私なのですから、他人事に振り回されず、
神様が与えてくださっている問題の一つ一つに集中できるように、知恵を神様に求め、そしてゆだねよう。

 

 

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献金について

2025-01-12 | 日ごとの生活

 

Ⅰ歴代誌 29:14 まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。

 

今日の礼拝での招詞で読まれた個所です。

私は、献金の金額を決めるベースをどこに置いているかな~~
必要があると言われるから
会計担当者が見ているから
捧げるようにと命令されているから

ではない。

 

私が持ってる財産は自分で働いて得たものではない
夫から受けたものだけでもない
年金で、親から・・・この世からのものだけではない

すべて失っていても不思議はない財産ですが、
神様が与え、ゆだね、任せてくださっています。

私にとって、献金する理由の根源は、神です。キリストです。
神様、キリストと私とのこれまでの関係をふり返っていたら
神の前に、もっと喜んでおささげしようという気持ちになりました

 

思いだけではなく、口先だけではなく、大胆に行動で、賛美と感謝を表しましょう💗

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聖霊の語りかけに生きる

2025-01-10 | 日ごとの生活

神はそれぞれの内に入って語りかけているが、もう一方でサタン・悪霊も巧妙に語りかけ滅びの方に誘っている。この世の人は神を考えることなく、他の人のやっているのを真似している。サタンの思うつぼです。

 

私達は、聖霊による微妙な導きを細かく見て、サタン・悪霊に従うのではなく、神の御声、みことばに応答して従わなくてはならない。救われたから、自分のすべての欲・罪が完全に消えたわけではない。自分を深く見つめると、自分の内にある罪を否定することはできない。

 

自分の欲、考え、感情に従って行動するのか、それとも、神のみこころを知って神ら聞き従う方向に、自分の考えや行動を変えて行くのか。私達はいつも、二つに一つの選択を積み上げています。

 

正しい選択をして、天国に向かう天国生活をするためには、神のことばに真っすぐに向かわなければならない。次々とたくさん与えられるメッセージを表面的に聞いて素通りしていたことを食い改めます。

 

ペレヤの人たちのように、熱心にみことばを聞いて、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べよう。静まって神との交わりの中で納得させられる時を持つべきだと思いました。そのようなプロセスを経たみことばを、いざ、困難・問題の時には、神様が思い起こさせてくださるので、きっと、あわてることなく、平安の内に忍耐して万事が益となることを体験できることでしょう。

 

神から、聖霊によって与えられるみことば、メッセージに、その都度、真実に応答しながら前進したい。そして、落ち着いた聖霊に満たされた人生を最期まで歩ませていただきたいと思います。

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