ヨハネの福音書15章11節
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。
主イエスの喜びは、私達のために贖いの犠牲となることを喜びととらえている。人々の反対や危険なところ通っても、裏切られ捕らえられても、十字架について殺されるとも喜びと考えおられた。
それは父なる神のみこころに献身することであり、地獄の裁きからの救いとなることであったから。
だから、私達も人々の救いのために働くことを喜びと考えて仕えよう。
今年の感謝祭の伝道イベントは教会で大きな会を開催するのではなく、何軒かの家庭に少人数で集まってやることになった。私は各家庭でのパーティ用の食べ物作りを手伝うことを申し出るようにと、今日、導かれました。
神から与えられた使命を果たすことがキリストの喜びであったように、私もキリストに与えられた使命を果たすことに喜びを感じます。
キリストが十字架の直前、問題の中でも喜んでおられたように、コロナ禍の中でも、コロナ禍の中だからこそ、喜びの福音を伝える働きが必要であり、これが心の深いところから喜ばれることなのです。
こうして、問題の中で犠牲を払ってキリストの働きに仕えることによって、私達の品性が養われ、忍耐の訓練を受け、霊的に成長させていただけることを喜びます。
そして、ますます永遠に残るもののために時間や財をささげて喜んで仕えて行くことになるでしょう。なぜなら、この喜びは永遠につながり広がる喜びなのですから。