アモス書
アモスは羊飼いであり イチジクを育てる農夫で、北イスラエルと南ユダの国境近くに住んでいました。北王国というのは第一列王記12 章にあるように、それより約150年前に独立しましたが、この時は軍事的指導にたけたヤロブアム2世が統治していました。彼はたくさんの戦いに勝利を収め領地を増やし富を蓄えました。しかし預言者から見ると彼は最悪の王の一人でした。豊かになった王は神への関心を失いカナンの偶像を拝むことを許し、その結果国には不正がはびこり弱者がないがしろにされたのです。アモスはそれに耐えきれなくなっていました。神の呼びかけに応じてアモスは北に向かい 大きな神殿のある大都市ベテルに行くと そこで神の言葉を伝え始めました。
アモス書は彼の数年にわたる説教 と詩と幻をまとめたものです。これらは 北王国に対する神のメッセージを神の民に伝えるために後年 まとめられたものですが、今日の私たちにも必要なメッセージ です。
この書の構成は明快です 1章と2章は国々とイスラエルに対するメッセージ
3章から6章はイスラエルとその指導者に対するアモスのメッセージが込められた詩集です
7章から9章はアモスが見た幻で、その内容はイスラエルに降りかかろうとしている神の裁きです
1-2国々とイスラエルに対するメッセージ
それでは詳しく見ていきましょう まずイスラエルの近隣諸国の暴力と不正を糾弾する短い詩が収められています。しかし奇妙なことに冒頭でアモスはイスラエルに向けて語ると言って いたのです。これはどういうことでしょうか。
アモスが名を挙げている近隣諸国の位置を地図で確認すると 円を描いていることがわかります。つまりイスラエルはその円の中心にあって、ぴたりと狙いを定められているかのようなのです。そのイスラエルに対してアモスは、ほかの国より3倍も長く厳しい調子の詩で非難しています。
彼はイスラエルの金持ちが弱い人々をないがしろにし 国が不正にまみれるのを気に留めず、
特に貧しい人を借金のかたに奴隷として売った上彼らの訴えに耳を貸さないことを糾弾しました。
これがかつてエジプトで不正に苦しみ 奴隷にされていた状態から神に救われた民族のすることだろうか、
とアモスは嘆きます。もう充分でしょう神の忍耐もここまでです
3-6 イスラエルとその指導者に対するメッセージ
次のセクションはその理由の説明から始まります。私は地上のあらゆる民族の中からイスラエルを選んだ と神は言います。これは創世記12章の 神がアブラハムの家系を国々への祝福のために選んだという箇所を指しています。そしてだからこそ私はお前の罪 を罰すると神は言うのです。イスラエルはすばらしい召しを 受けましたがそれには大きな責任が伴いました。だから彼らの罪と反逆は重大な結果を招くのです。
このセクションにはアモスの詩がたくさん収められていますが そこにはいくつかのテーマが繰り返し登場します。
まずアモスは何度もイスラエルの富裕層と指導者たちの 宗教的偽善を暴いています。
彼らは宗教行事には熱心で 捧げものや犠牲の供え物を携えてくるのですが 貧しい人や社会不正には気にも留めないのです こんな礼拝はごまかしにすぎず、神はそれを忌み嫌う とアモスは言います。
彼らの人に対する態度が礼拝とは まるで結びつかないからです。
もし本当に神との関係が築けているなら、人との関係も変わるはずだと神は言っています。
真の礼拝とは 公正が川のように流れ、義が絶えない谷川のように流れることだとア モスは言いました。この二つの言葉はアモスにとって またすべての預言者にとって非常に重要なキーワードです。
義ヘブル語のツェダカーとは社会的地位に左右されない正しく公平で平等な人間関係のことです。
公正すなわちヘブル語のミシュ パットとは不正を正し義を生み出すためにとる具体的な行動のことです。
この二つは干からびた川を急流が満たすように、神の契約の民に浸透するべきです。
アモスが繰り返し糾弾しているもう一つのテーマは イスラエルの偶像礼拝です。
北王国は南ユダ王国から分裂した時、ソロモンの建てたエルサレム神殿に対抗するため神殿を2つ建てました。金の子牛を設置した神殿を2つ建てまし。 これは第一列王記12章に記されています。
それ以来イスラエルは性の神、天候の神、戦いの神などに対する偶像礼拝を重ねてきました。預言者に言わせれば、イスラエルがこれらの偶像を拝むとそれは必ず不正に繋がるのです。というのも、これらの神々はイスラエルの神のように公正や義を求めないどころか、その神々自体が不道徳な存在だったからです。
しかしイスラエルの神は違います。イスラエルの神は私を求めて生きよと言い続けて、悪ではなく善を求めて生きよと言っています。創造者であるイスラエルの神を礼拝することと 惜しみなく与え正義をもって善を行うこととは同じことなのです。
そしてこのセクションの最後のテーマは、イスラエルとその王が アモスと他の預言者たちを拒絶したため 神は主の日をもたらすだろうということです。
これはイスラエルに下る大いなる恐ろしい裁きです。アモスは強い国が攻めてきてイスラエルの街を征服し 虐殺し、民を捕囚として連れ去るだろうとはっきり言いました。そしてそれが実現したことは周知の事実です。約40年後攻め寄せてきたアッシリア帝国が アモスが語ったとおりのことをしました
7-9 アモスの幻
アモス書はアモスが見たいくつかの幻で終わっていますが その内容は主の日を象徴するものです
アモスは、イスラエルがまずはイナゴ、
次に焼き尽くす火によって滅ぼされる幻を見ました。
さらに熟れた果物のように飲み込まれる幻も見ました。
そして最後の幻でアモスは 神がベテルにあるイスラエルの巨大な偶像の神殿の柱を打ち 建物が崩れ落ちるのを見ました。これは イスラエルの指導者と偶像の上に下る神の裁きを表しています ついに終わりの時が来たのです。
最後に希望のしるし
ところが最後の段落まで来ると 突然一筋の希望の光が差し込みます。イスラエルは崩壊した建物にたとえられていますが 神はその廃墟からいつの日かダビデの家を再建すると言います。
つまり将来ダビデの家系からメシアなる王が現れ その王が神の民の家を建て直し、驚くことに その家族にはすべての国の人々が含まれるのです。 イスラエルの罪とそれに対する神の裁きによって引き起こされた荒廃は、その日一転して様相を変えるのです。
この最後の段落こそ重要です これが裁きの別の面にある唯一の希望のしるしだからです。 そしてこのことを通してアモス書が神の義とあわれみについて 教えてくれる書だということもわかります。神が善なる方であるならば、神はイスラエルや他の国々の悪を裁き対処しなければなりません。しかし神の最終的な目的は、世界を回復し新しい契約の家族を作ることなのです。
アモスの言葉を通して今の時代 を生きる私たちもイスラエルの偽善とそれが招いた 災難から学び、神に真の礼拝を捧げる様にと招かれています。その真の礼拝とは公正と義と隣人 愛に結び付くものです。これがアモス書です