ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

主の力は、弱さのうちに完全に現れる

2024-08-22 | コリント人への手紙

パウロは「とげ」から来る弱さを感じていた。では、私の弱さは、どこから来るのだろうか。

普段、強気の私にも、主の力と導きを求めたくなる時がある。私だけではなく、パウロも、そして人間だけでも弱さを持っている。

 

人間は、だれでも、自分の力で生きてはいない。生きては行けない。神にそむいた人間は、今、神のあわれみによって生きている。

 

気温、雨、水、空気、食べ物、何もかも、神に支えられている。一滴の水も、一片のパンも、神のゆるしがなければ口にすることはできない。キリスト信仰がなければ、その神を知ることも、喜ぶこともできない。

 

しかし、私は神を知ることのできるところに置かれていることを感謝します。

キリストの十字架と復活の贖いのみわざを知り信じる信仰が与えられていることを感謝します。

神との霊的な交わりの中に入れられてることは、何ものにも替えられない喜びです

 

Ⅱコリント12:9より

 

 

 

 

 

 

 

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中学生と分かち合い

2021-08-15 | コリント人への手紙

第一コリント人への手紙
 11:17 ところで、聞いていただくことがあります。
命令の言葉である。その前のかぶり物の習慣については自分で判断すように言って指示はしていなかった。しかし、ここからの話は信仰生活の根幹に関わる話だから、よく考えてちゃんとするようにと促されています。
自由裁量がゆるされている領域と、それではいけないと命じられていることがあるので、聞き従うことに怠慢になってはいけない。

私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。

伝えられたものを、伝えられとおりに堅く守っているならばほめられる。
しかし、罪のある自分自身の思惑に従って行くと、適当にやり過ごすようになる。集まることから距離を置いたり、そんな不信仰な思いは、ちょっとした言葉や行動に現れて、回りの人に影響を与えてしまうことになる。

 11:18 まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。

 今日の礼拝の後、私は教会の夏の大掃除の担当個所の整理などでひとり、汗を流して奉仕をしていた。それで、他の姉妹方がそれぞれやっている説教への応答を、今は暑いし疲れたからしないでも良しか・・・思っていた。
その後、中学生の女の子二人と教会学校の若い先生が、玄関前で、説教後の分かち合いをしているところを通りかかった。その時、私は急に自分が霊的に乾いている状態であると気づいたので、彼女たちの前に座って話を聞かせてとお願いした。そして、私自身が害となる方向ではなくて、益になる方向に方向転換ができたので良かったと伝えました。

11:19 というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです

後で聞いたのですが、彼女たちもハンドベルの練習が長引いたので、今日は分かち合いをしないで帰ろうかと思っていたところ、悔い改めて座り込んでいたのだそうです。ともにみことばから罪が示され、年代を越えて分かち合いをする機会が与えられたことは、大きな喜びでした。

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週末になって思う事

2021-04-01 | コリント人への手紙

3月28日の説教は、Ⅰコリント10:23-30から語られました。私は、礼拝の終了後すぐに、説教への応答を分かち合いをしたのに、その内容をすっかり忘れて、月曜日から今日まで暮らしていました。自分で自分を良しとする勝手な思い込みから、やたらと奔走しているような日々でした。(ζητἐω=求める・心がける・奔走する)

はたして、私のしたことが、有益であり、誰かの助けとなり、教会の向上のために役に立つものであるのかと、立ち止まって考える時を持たなかったことを悔い改めました。

 

Ⅰコリ 10:23 すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。 10:24 だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。

 

今週は、イエス・キリストの受難の苦しみを覚えつつ、教会では朝に、夜に、信徒説教と祈りが祈りが積み上げられています。明日の夜はパッションの夕べ。土曜日の朝は最終回の祈祷会があります。今から祈り備えます。

次主日のイースター早朝礼拝では副牧師、主日礼拝は主管牧師がメッセージをしてくださいます。礼拝の中で、すでに天に召された兄姉の写真が、遺族の兄姉が教会持って来て並べて、短い祈りの時が持たれます。私も毎年、夫の遺影を持参しますが、すでに天国にいますから平安です。

それよりも、まだ救われていない息子家族、その他の親族の人たちのことを、また教会員の家族の方々がイエス・キリストを信じ受け入れて救われるようにとを祈ります。

 

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試練とともに脱出の道

2020-12-28 | コリント人への手紙
 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。 第一コリント10:13
 
教えられた真理
神様は私の環境も信仰も賜物もすべてご存知の上で、手加減をして、ギリギリ何とか耐えられる試練を与えておられる。
訓練は苦しいので避けたいと私は思ってしまうが、神様は、救いを全うして御国に導き入れるために整えるという目的を持って与えておられる。
ですから、脱出の道というのは、それから離れるのではなく、試練と脱出の道はセットになっている。知恵や助け手などを与えられつつ忍耐・試練は続くのです。
 
不要なものは削り落とし、必要なものを持って、この世的なものに目を受けて力を抜くことなくしっかり耐えて、神に祈って格別の守りと導きを求めていると前進できる。
 
 
明かされた自分の霊的状態
退職して療養していた夫に10年間仕えて、天国に送って、家を売り払って教会の近くに引っ越して来たことで、偶像崇拝の巣窟であった田舎から脱出できたと、気を抜いていたところがあります。また高慢になっていました。
 
立っていると思うものは倒れないように気をつける必要があります。謙遜に低くなっていたら、倒れる心配がないし、低いところに聖霊は下るから、謙遜になることが大切です。
 
入力や学び、奉仕があって、疲れた時には、この世的な楽しみを見つけて横道に外れていました。特に私はユーチューブを長時間見てしまっていました。
 
 
神様への応答、実践
神は真実な方であることに信頼します。
1500年前の預言をことこどく成就してイエス・キリストがご降誕されたのですから。
神様は、言ったこと、約束されたことを、必ず果たされる方です。
年末年始は、この一年使ったノートやシートを振り返って、ザルのような私の頭の中にひっかかっているものを、見直して、「ザルさらい」をしようと思います。
その中で、祈りが聞かれたことや、約束がそのとおりであったこと等を見つけられたら嬉しいと思います
 
 
恵みとあかし
独り暮らしの年末年始。今年は冷凍のお弁当をたくさん注文しました。
買物にもあまり出ないで良いように、配達を頼みました。
肉の食べ物より、みことばをたくさん食べて過ごせる環境が整ったことを感謝します
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