私は、他の人の信仰の姿勢や奉仕を自分と比べる時、言葉で表現しにくい感情に揺り動かされることがある。
来週、宣教師のご両親をお茶に招くことになったが、他の人がどんなに素敵な接待をしたのだろうと気になる。
しかし、比較することなく、主を愛する愛をもって、主を愛しておられる彼らを心から接待しようと、自宅の狭い部屋に招き入れることにしました。
3回、イエスはペテロにわたしを愛しますかと聞いた。
その1回目は、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」
その2回目は、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」
ペテロの返事はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。という他の人のことを気にしていない返事であったので、二回目の質問には、「この人たち以上に」という言葉がなくなった。
21:21 ペテロは彼(ヨハネ)を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
若くて、賜物が豊かで、教会で大いに用いられている姉妹であるが、牧師や教会では公に言わない内緒を抱えている様子を見聞きすると、複雑な思いがする。何か言いたくなることがあるが、不必要な言動は避けなくてはいけない。
それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
お料理も苦手、予算もあまりない私にも、おもてなしをする方法が導かれた。手作りおはぎを弟子訓練をしている姉妹が持参してくださる。私は果物の盛り合わせを。それ以外に、霊的なおもてなしを示された。それは、彼らに教えていただくこと。
彼らが、教会で挨拶をされた時に、「愛」について話をされたが、その聖句がはっきりしなかったので、聖句はどこですか? どうしてそのことを挨拶の時に言われたのか教えてください。と質問をすること。英語が難しかったら、きっと弟子訓練している彼女が通訳をして助けてくださることでしょう。
仕えることの実地訓練にもなりそうです。