ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

キリストの眼鏡とイヤリングをつける

2021-02-17 | 使徒の働き

説教から学んだこと 使徒2章23-28節

★ダビデは、詩編16章で、こう言いました。
「私はいつも、私の前に主を置いた。主は私の右におられるので、私はゆるぐことはない。」

★ペテロは、ダビデの言葉をこう言っています。
「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、わたしが動かされないように、私の右におられるからだ。」

★その直前では、イエス・キリストの十字架上の死を、「神の定めた計画と神の予知」とによって既に決定されていたことであると言っています。

 

私の霊的な状態

★このところ、列王記を通読しているが、この「神の計画と神の予知」が、事が起こる前に書かれていて、結局そのとおりに事が進んでいる場面をしばしば見ました。私は、王たちが罪を犯してしまう様子を見て、非難したり悲しくなったりしていました。

★しかし、そんな読み方では不十分で、キリストの贖いを見通して、その恵みを喜んで読むのが正しい読み方ではないのかと、考え方が変えられました。

★神は罪性を持つどうしようもない人間を救うために、イエス・キリストを十字架につけて復活させるという壮大な計画を立てて、それを預言通りに実行してくださったことを感謝します。

 

恵みと祝福

★私は、揺らぎやすい者であり、動かされやすい者です。しかし、聖霊の時代の今、主は栄光の右の座から聖霊を注いで、揺り動かそうとする力に負けてしまって揺り動かされないようにと、その時その時、不思議な方法で守り導いてくださいます。

★どうしたら「いつも」「前に主を置いて読む、目の前に主を見る」ことができるでしょうか。そうだ、「キリストの眼鏡」をいつもかけようではないか。これからは、神が前もって知らせてくださった福音を良く知って、神のご計画・みこころに従順に従う道を、一歩ずつ選び取っていく生き方をしたいと思います。それは、神を讃美し、喜び、感謝して、永遠のいのちに生きることができる祝福の道です。

★私は目が良くないのですが、「キリストの眼鏡」をいつもかけていることを忘れないようにしよう。聖書を読む時だけでなく、奉仕をする時も、個人的な日常生活をする時も。「キリストの眼鏡」はだんだんと度数が合って来て、何気ないことまで、だんだん良く見えるようになって、そこに主の臨在を深く知っていけることでしょう。

 

おまけ

★この記事の下書きを終えてから、ラインで80歳で教会に来れていない姉妹とラインでお話をしました。電話の目的は祈祷課題を聞き取ることだったのですが、キリストの眼鏡ではなくて、キリストのイヤリングをつけて聞くように心がけました。

★携帯の電源が切れるまで1時間半。残ったメモは2500字以上でした。今度はこれを、小グループメンバーに、彼女からの祈祷課題として、短くまとめて分かち合います。早速キリストの眼鏡を使うことになります。

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使徒2章15~21節から 伝道に適用

2021-01-11 | 使徒の働き
 2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
 
知ったことーー「思っているヒュポランバノー」は、ある考えを取り上げる、想像する。浅い自分なりの判断で勝手に結論づけているものです。
ペテロは彼らのその浅い判断をまず聞いて話題に取り上げて、それから否定している。
適用ーー話の進め方として、まず相手の考えを取り上げて、そこを突破口として話を進めよう。
 

 2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
 2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
 
知ったことーーすべての人とは肉なるすべての人。だから私自身にも神の霊が注がれることを言っている。その結果、老人と言われているので、私も、預言し、幻を見、夢を見ることになると言える。見たものを語るなら預言となる。
適用ーー神のことばを預かって語るのは牧師だけかと思っていたが、悔改めた。見た夢を語り、祈れば不思議にそれが起こされる。積極的にビジョンをかたろう。
 

 2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
適用ーー低く謙遜なしもべの姿勢で神の前に出で、上からの霊を受けて、預言をして伝道、弟子づくりができるように祈り求めよう。
 

 2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
知ったことーー「立ち上る煙」は黙示録に書かれている。
 

2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
 2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
知ったことーー主を知らない人は主に助けを求めて呼ぶことはできない。その日までによく主を知っておくことがポイント。
 
 
ペテロから伝道のやり方が教えられた
①聖霊により、変えられて、進み出て立たされて語った
②人々に呼びかけた。聞いて下さい。知ってください。終わりの日が来ますよ。
③人が思っていることを言って、それは誤解ですよ、本当はこうですよと話した
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使徒2章14節のメッセージから、適用へ

2021-01-11 | 使徒の働き
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。
 
知ったことーーペテロが立ったのは、立つ、進み出る、推挙するの受動態。自分からというよりも聖霊に押し出されて立った。十一人の弟子と一緒。その回りには百二十人くらいの信者がいる。ここでのペテロの話が、教会のスタートの時です。
適用ーー私が伝道をしようとする時、個人で勝手に始めずに、聖霊の満たしを祈りもとめ、また教会で分かち合い、祈られて、進み出て行こう。
 
知ったことーーペテロは①声を張り上げた ②はっきりと言った
適用ーー語る内容に確信と使命感をしっかり持てるように、日頃から祈り備えよう。祈る時、語る時など、必要な時には、大胆に大声ではっきり語ろう。
 
「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
知ったことーー二つの命令 ①知っている状態であれ ②私の言葉レーマをしっかり聞いてください
適用ーーただその時、話を聞くだけでなく、聞いた後もずっと、内容を思い巡らしているように勧めよう
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主日の説教の予習を原典からやってみた

2021-01-09 | 使徒の働き
明日は使徒2章14~21節から語られるので、予習をしました

2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
聖霊に満たされたペテロが大声で宣言した。その回りには同じ聖霊に満たされた他の11使徒が立っていた。聖霊に満たされた者たちは一致して行動するとわかる。
耳を貸してくださいと命令形で言っている。マタイのたとえ話を聞く時の耳は単数だったがここでは複数形。両耳でしっかり注意深く聞けと言っている。
 

2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
どういう状態なのかよくわからない時、人は、自分の知恵で考えたり想像できる範囲で、勝手な判断するるものです。よく洞察する必要がある。
 

2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
神のもとにあった霊が、神の元から注ぎ出される。幻を幻視し、夢を夢見る。面白い表現です。
 

2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
霊は、身分が低いとされていた者たちにも注がれる。娘(町の女たちと訳せる)、青年(下僕とも訳せる)。しもべ、女性のしもべにも。
 

2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
天での不思議なわざ(テラス)、しるし(セーメイオン)、どちらもいせ預言者、にせキリストもすると辞書に書かれていた。
理解できない不思議なことが起こった時には、自分なりの勝手な判断をして決めつけることなく、それが真の神からのものか、サタンから来ているものなのかを洞察しなくてはならない。
 

2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
主の大いなる輝かしい日、その日は、私が生きている間か、死んだ後かは分からないが必ず来る。これは、旧約聖書に書かれていたことです。
今は聖霊の時代です。神の霊、イエス・キリストの霊、聖霊が、私たちのうちに住んでともにいてくださいます。
日頃から、自分勝手に物事を考えないで、聖霊に満たされて、主の名を呼び求めて、祈り、神との交わりの中で神に聞いて、神により頼んで、すでに救われている者として、日々の生活を続けます。
 
 
どんな説教が語られるか、強調されるところはどこか、どんな応答が求められるのか、とても楽しみです。
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聖霊に満たされた人の舌は語る

2020-12-15 | 使徒の働き
使徒 2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
――聖霊に満たされると聖霊が舌をつかさどり、大胆に大きな声で宣言するようになり、聞いた人々が信じるようになる一方、他方では反発する人も起こされる。
 
使 4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。 
ーー聖霊に満たされた人は、確信をもって一貫して大胆に語る。民の指導者たちのような民衆の反応や自分の生活が脅かされる等という恐れはない。
 
使 13:9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、 13:10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
ーークリスチャンはいつも親切で優しい人、物静かな人、というイメージを持つ人が多いが聖霊に満たされたクリスチャンは違う。宣教の邪魔をしようとするサタン・悪霊にははっきり叱りつけるものです。
 
教会で牧師が信徒を厳しく叱りつける時は、背後にサタン・悪霊が、その信徒を信仰から引きずり落そうとしているのが見えるので、目を覚ますようにと叱っているのである。牧師に叱られたからと教会を去った信徒がいるが、その人はそんな自分の状況が最後までわからず、その人に働いていたサタンの支配に戻ってしまったと言えます。
 
未信者の中には、宣教のことばをに反発したまま、楽しいからと長く集会に通っている未信者の人がいる。私たちはその人の目が開かれる時を待っている。しかし、話を聞きたいと思って参加して来る他の人の邪魔をするようなことがあったら、その時ははっきりと叱らなくてはならない。
 
ただしかし、叱ろうとする人が聖霊に満たされていなくては叱ることもできない。
私自身、惰性で伝道集会に出席していて、聖霊による宣教の働きの前進を邪魔して妨げていた存在ではなかったかと振り返りました。
聖霊を消したり、聖霊を悲しませることはないか、自分の心は何によって満たされているかを点検して、心を神に明け渡して空っぽにして、聖霊の満たしを求めよう
 
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