私は、コロナ禍であっても、基本的に喜んで生活していますが、その喜びがただ表面的で、身体のことばかり、自分中心の狭い範囲の中で深みのないものではなかったか。はたして、それがみここにかなったものであるのかを再点検します。
ルカの福音書
10:17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
悪霊を追い出す権威を与えて遣わして伝道していた。現在の日本での伝道も悪霊追い出しをすることになる。私自身、古い家の仏壇を壊した。法事をすることをやめた。その他いろいろなことが、神の力によってなし得たことを喜んでいたが、だからといって、私の家族はすべて救わたわけではない。
教会の中には、かつて、仏壇を捨てたのに、その後信仰を捨ててしまった人もいた。
10:18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。 10:19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。
10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
喜んではならない、軽々しく喜んでいると、足をすくわれることもあるから注意しろという戒めなのではないか。
10:21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
まだ右や左もわからないようなキリストの弟子達が、父なる神の働きによって悪霊追い出しができたことを、イエスは喜んでいます。
11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
私が一番に求めるべきものは、幼子のようにひたすら求めるべきは、聖霊の満たしです。
神に聞いて従う信仰の確信が与えられ前進しようとする者に神は聖霊を与え、神みこころ、導きを洞察することができる力を与えてくださる。それに従う信仰も祝福も喜びも与えてくださいます