ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

キリストに似た者の信仰が、模範となって広がる

2020-08-28 | 信徒メッセージ
テサロニケの人々は、みことばを受け入れて、パウロ、シルワノ、テモテたち、私たちと主とにならう者となりました。

主にならう前に、信仰の先輩たちにならう者となったと書かれていることを教えられました。意外です。
人はまず、福音を伝え、信仰生活について教えてくれた先輩たちにならうのなら、私達が次の人たちに福音を伝える時の姿勢が問われます。

たとい、コロナやその他、激しい苦難の中であっても、聖霊による喜びを内に持って、みことばを伝えるのです。

マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範となったのです。
テサロニケの信徒たちの模範、型となった。能動態でも受動態でもなく、自ら進んで模範となったと書かれています。

和菓子屋では、を用いて、餡と餅を形つくる話を聞きました
餅がゆるいと、にくっついて、きれいに形つくれない
餅がかたいと、に強く押し付けなくてはならず、きれいに形つくれない

聖霊の導きに委ねて、従順に、謙遜になって、キリストに似た者へと変えられていくことを、私自身も求めます。

主のみことばは、テサロニケのところから出てマケドニヤやアカヤに響き渡った。
それだけではく、
テサロニケ人の信仰が、あらゆる所に伝わっている。
みことばが響き渡ったというマケドニヤとアカヤと、信仰が伝わったあらゆる所とは、どちらが広いところを言うのでしょうか。どちらが先行するのでしょうか。

まず、神に対する信仰がをあかししたところで、そのあかしを信じた人たちの間に、みことばが響き渡ることになると思われます。

私達が伝道する際には、まず自分自身の神への信仰をはっきりあかしをして、そしてその人の心に、神の力が働いて、主のみことばが響き届いて、その方が主を受け入れられことを祈り求めます。
反対をいうと、自分の信仰に確信がない者には、伝道して実を結ぶことはできないとも言えます。日々、みことばに整えられて、宣教の働きに用いられる器へと変えられることを求めます

第一テサロニケ 1章4-8節より koho定例祈祷会



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新しいぶどう酒は新しい皮袋へ

2020-08-28 | 信徒メッセージ
日々、私の内の聖霊が、日々力強く働こうとしているのに、
私自身が、古い皮袋のままで、聖霊の働きを阻んでいなかったか

私にとって、捨て去るべき古い皮とは
礼拝に行っているから大丈夫と形骸化していること
フルタイムではなく、パートタイムのようなクリスチャンであること
説教、信徒説教を聞きっぱなしにして応答していないこと
奉仕することに言い訳をたくさんしている。目が見えない。部屋が西日で暑いなど

では、新しく変えられるべきポイントは何だろう
今週は、「謙遜」な姿勢で、神の前に出ること、
みことばに「謙遜」な姿勢で、聞き従うこと
謙遜な器に日々、変えられることを祈り求めます

すでに、罪が赦されて、神様との和解が成立していることを喜んでいます。
聖霊様がみことばを思い起こさせてくださり、日々守りと導きの恵みを与えてくださっていることを感謝します
コロナ禍の中ですが、神の平安の中で落ち着いて生活でき、教会生活も、ネットが大いに用いられて続けられ祝福されていることは、格別に感謝です

ルカの福音書5章33-39節 Tera姉の主日メッセージより





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イエスのあかし、ヨハネのあかし

2020-08-22 | 聖句暗記
課題の聖句暗記をするのに、何度も間違える二つの個所があったので、その違いの意味はなんだろうと考えた。(黙示録22:18,19)

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。
もし、これに付け加える者があれば
神はこの書に書かれてある災害をその人に加えられる。

また、この預言の書のことばをすこしでも取り除く者があれば、
神は、この書に書いてあるいのちと聖なる都から、その人の受ける分を取りのぞかれる。

A.この書の預言のことば  この書の/預言のことば
B.この預言の書のことば  この預言の書の/ことば

A 聖書に書かれている預言のことばに、神の預言ではない人間のことばをまるで預言の言葉のようにして聖書に付け加えることが禁止されている。
聖書は、それ以上付け加え必要もないほどに、欠けのない完全な神のことばですから。

B.預言が書かれて完成されている聖書から、たとい一つの単語であっても
人間の思いで取り除くことは禁止されています。余分のない完全な神のことばですから。


このヨハネからの警告を聞いて、私は、私の聖霊にお願いします。
私が、聖書に勝手な言葉をつけ加えて、神からの守りを失い、裁きの災いの中に陥ることがないように、
気にいらない、難しいと、勝手な取捨選択をしないで、神の約束してくださっている永遠の神の御国に入れますように、

聖霊にお願いします。主イエスの恵みによって、神のことば聖書を、正しくそのまま理解ができるように、助け導いてください。



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15年間、病苦の中で信仰を保つ友と

2020-08-18 | 喜び
礼拝メッセージへ応答の分かち合いを、病気のために、長い間交わりが持てなかった姉妹とすることになりました。

そこで、もう一度考え直す機会が与えられました。

コリント人への手紙第Ⅰ3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

この働きとは、調べたら
κὀποσ ①骨折り、労苦、勤労 ②苦労、難儀、面倒、煩労

教会の姉妹に、私よりもずっと若いのに、15年程前から、原因不明の病気で、頭痛がして、足腰が痛み、礼拝は欠席することが多く、来られても、別室でライブ映像を見て横になって礼拝をしたり、途中で帰られてしまう。パソコンも長時間使うと疲れてしまう。
それで、教会の人との交わりも少なく、寂しく思っておられたでしょう。
時には、あまりに辛くて聖書を開くことも、祈ることさえも難しかったと告白しておられました。様々な医師に診てもらい、最大の努力をして治療、体力の回復に奮闘し続けておられます。

コリント人への手紙第Ⅰ3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるので

彼女のように、骨折って何とか、主を礼拝し続けていることは、彼女自身の報酬を受けることになるでしょう。「受けるのです」が未来形ですから、今すぐに目に見えて、改善されて、これが報いだと言えなくても、将来に希望が持てます。

彼女とはzoomでお会いします。まず、自分の悔い改めたことを離して、彼女には大きな報いが約束されていることを祝福しようと思います。

悔い改めとは、この働きを、成果が目で見える働き、賜物によって喜んでする働き、他の人から評価を受ける働きばかりに注目していたことは間違いであった。
夫が救われたのも、私の祈りと努力が聞かれたのだと喜んでいて、みことばを植えてくださった人々、水を注いでくださった人々の働きに目をとめて、感謝することが少なかったことを悔い改めました。


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教会奉仕の心得を教えられた

2020-08-17 | 信徒メッセージ
コリント人への手紙第一3:5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
私が受洗する2年前に、妹の教会を訪問した時に初めて福音を聞いた。妹から聖書をプレゼントしてもらった。今の教会に来てからも牧師以外にも、アメリカ人宣教師たち、通訳者から教えられた。
彼らは、神様から私に与えられた、神のみこころに従って仕えた働き人であった。

3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
彼らは、その時、その時に働きかけてくださったが、継続的に福音を知らせ、理解して信じるようにと、継続的に成長させてくださっていた。

3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
伝道のためにと、キッズスタッフをする、会場を掃除する、短い塩味のきいた言葉をかける、その他の隠れた奉仕も、神のしもべとして仕える時、神様は相手の方の内側から成長させておられ3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自えない神が見えないところで働いている信仰を見ておられて、この世でも、次の世でも報いを受けられる。

3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
私たちは神のみこころを知り、聖霊の導きに従って、一緒に働く神のしもべです。働く場所は神が備えて、神が実を結ぼうとしている畑である。また、神、キリストのからだである教会です。立案、設計、建築すべてを神が支配しておられる。

コリントの人たちがパウロから厳しい叱責を受けている。私も教会で叱られることを真正面から受け止めよう。神が与えてくださる訓練を成長のために神が与えてくださった賜物であると受けとめます。その信仰を原動力として奉仕をします。

下働きを喜んでやります。私の後に続けて仕事をする人がやりやすいように支えます。私の前にやる人も、私の後にする人も、みなが一つの神の仕え人ですから。神がともにいて導き、報いの約束もありますから。

私の中にある、競争心、嫉妬、高ぶり、見栄っ張り、自己主張、これらは成長させておられる神の働きの妨げとなりますから、捨てます。ただの人と呼ばれないで、エペソ 4:13にあるように、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する方向に進むことを臨みます。




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