会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

ホロコーストの生き残りイスラエル・メイル・ラウ師と面談

2018-08-13 16:28:43 | 旅行

 葉上照澄大阿闍梨の足跡を辿って聖地エルサレムにて平和を祈る旅の4日目の6月14日午前10時半から私たちは元イスラエル国首長ラビで、ホロコースト生存者、テルアビブ首長ラビイスラエル賞受賞者のハラブ・イスラエル・メイル・ラウ師と面談しました。

 イスラエルはユダヤ人が中心の国で、ナチスの迫害を受けた人たちがつくりあげたのでした。ラウ師はユダヤ教の偉大な指導者であり、通訳の方を通じてでしたが、感銘深くお話をお聞きしました。イスラエルという国家が難しい環境にあることを認めつつ、仏教徒が中心の私たちに向かって「争いのない世界にするために是非とも協力して欲しい」と訴えられたのでした。私はお土産に会津の赤べこをラウ師にお渡ししました。「牛は仏教では聖なるもの」とされていますから、そのことも話題になりました。
 帰国後、私はイスラエル・メイル・ラウ著の『ホロコーストから生還した少年の物語 深淵よりラビ・ラウ回想録』(滝川義人訳)を一気に読破しました。ナチスの迫害によって両親も家も一切失いながらも、イスラエル国の主席ラビにまでなられたのは、いかなる環境にあっても、それにめげない宗教的な信念があられたからだと思います。
 ユダヤ人のためにユダヤ教の責任者として逃げ隠れもしなかった父、集会所であるシナゴーグでふるいにかけられ、二度と会うことがなかった次兄、男子に比べれば女子供は生存のチャンスが少ないと理解して、列車の区分けのときに長兄の方へ押しやった母。その三人はナチスの犠牲になったのでした。生き残りとしては最年少の8歳でした。ラウ師は長兄や色々の人の助けで、ホロコーストから生還することができたのでした。
 訳者の滝川氏によれば「深淵」というのは、詩篇130編1、2の「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞きとって下さい。嘆き祈る私の声に耳を傾けて下さい」に由来するそうです。ラウ師が人格者であるのは、ホロコーストという極限を生き抜いたからではないでしょうか。今回お会いしてみて人格者の上の人格者であることに感銘を覚えました。 
 今回の旅行では、イスラエル国首長ラビのハラブ・ダビット・ラウ師、ダニエル・シュペルベル師とも面会することができましたが、ラウ師同様に世界平和の必要性を説いておられました。         合掌

写真 (上)赤べこを手にしたハラブ・イスラエル・メイル・ラウ師
   (下)ハラブ・イスラエル・メイル・ラウ師との記念撮影

 

 

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イスラム法学博士モハメド・アブ・オベイト師と面会

2018-08-05 08:12:28 | 旅行

葉上照澄大阿闍梨の足跡を辿って聖地エルサレムにて平和を祈る旅に参加して、まず私たちが面会したのは、イスラム法学博士のモハメド・アブ・オベイト師でした。ナザレの近くのナウラという村の自宅を訪問し、その後はイスラム寺院を見学し、ラマダンの祈りに加わり、夕食を共にしました。日程二日目の6月11日のことです。

イスラエルの人口は854万7千人で、面積は四国と同じくらいの2.2万平方キロメートル。イスラエルの人口のうちの74.90パーセントがユダヤ人、アラブ人が20.70パーセント、その他が4・40パーセント。ユダヤ人のほとんどはユダヤ教ですが、アラブ人もいることから、イスラム教徒が17・4パーセントもいます。

この日は当初の予定が変更となり、イスラム法学者と意見を交換することになりましたが、終始和やかな雰囲気のなかで会話が弾みました。今回の旅行の代表である横山照恭護心院住職(延暦寺一山)とモハメド・アブ・オベイト氏は、旧知の友のように語り合いましたが、私どもにも気軽に話しかけて下さり、有意義な一時を過ごしました。

とくに印象に残ったのは豪華な絨毯です。かつて私がカスピ海に面したイランのパーストに滞在したときにも圧倒されましたが、イスラエルの地で、イスラムの文化に触れるとは思ってもいませんでした。

上の写真 モハメド・アブ・オベイト師を囲んでの記念撮影
下の写真 私たち一行も一緒に祈りを捧げたモスク

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イスラエルで平和の祈りを捧げてまいりました 柴田聖寛

2018-06-20 10:08:17 | 旅行

 エルサレムから無事戻ってまいりました。今もなお紛争が続いている地であるだけに、平和のありがたさを痛感いたしました。6月9日の午前5時に天王寺を車で出発。福島空港の駐車場に着いたのが午前7時半。ANAの午前8時5分発で伊丹空港に向かい、午前9時に到着。その日は京都で一泊し、翌日に備えました。

 今回は「葉上照澄大阿闍梨」の足跡を辿るとともに「イスラエル聖地エルサレムで世界平和を祈る」というもので、日本全国から十五人が参加し、私のような天台宗の僧侶ばかりではなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地ということもあって、クリスチャンの方もおられました。

 日程は6月10日から16日までの7日間。関西国際空港から10日午後7時10分発のキャセイパシフィック航空でフライト。香港を経由して6月11日午前10時頃にテルアビブに降り立ちました。中国の内陸部を通過しトルコからのコースでしたが、搭乗時間は長かったものの、世界は狭いというのを改めて実感しました。

 今回は宗教者同士の交流を深めて、世界平和の一助になればというのが目的でしたが、とくに印象に残ったのは、イスラム教徒のムハンマド・アブ・オビエド師と夕食を共にし、ペルシャ絨毯の上を歩き、モスクで祈りを捧げたことです。オビエド師はイギリスで法学博士号を得たインテリで、しっかりと私の手を握ってくれました。

 もう一つは、テルアビブで「葉上照澄大阿闍梨」を記念した植樹を行いましたが、雨が降りそうにもないので、私が雨乞いの祈祷をしたところ、雨が降り出したことです。降られ過ぎても困るので、引き続いて雨を止める祈祷をしたところ、またもや晴れ上がり、参加した人たちからビックリされました。

 詳しい内容については、後日ご報告いたしますが、帰りも同じキャセイパシフィック航空のテルアビブ15日午後3時15分発に搭乗。香港経由で関西国際空港には16日午後零時30分に到着し、行きと同様京都に一泊しました。17日午前10時30分発のANAで福島空港に。午前11時40分に到着し、天王寺に戻ったのは午後2時を回っていました。帰国いたしましたので、まずは皆様にご報告を申し上げます。 

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ソウルの奉恩寺で平和の祈り捧げる 柴田聖寛

2017-09-13 09:43:14 | 旅行

今こそ信仰者が平和の祈りを捧げるときではないでしょうか。第20回日中韓仏教交流会議(韓国大会)は去る6日から8日までの日程で韓国のソウルで開催されましたが、日本仏教代表団60名の1人として私も訪韓しました。

今回のテーマは「日中韓三国仏教交流の持続可能な交流発展」で、中国からは300名、韓国からは200名が参加しました。

6日は三国代表団歓迎晩餐が催され、メインイベントである世界祈願法要は7日に奉恩寺で執り行われました。

水間寺貫主(比叡山延暦寺長臈)の武覚超日中韓国際仏教交流協議会理事長が「第20回韓国大会に当たり、三国仏教徒は親善交流を更に深め、共に心を一つにし、平和実現と仏法興隆の為に精進せんことを誓う」との世界平和祈願文を読み上げました。

続いて、参列者全員で般若心経と「願わくは此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我れ等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と唱和いたしました。

今の東アジアは戦争の危機に直面しており、それを防ぐためにも祈りの心が大切だと思います。今回もまた理事長武覚超水間寺貫主様、常任理事西郊良光様(天台宗宗機顧問、圓満寺住職)、水尾寂芳比叡山延暦寺副執行様、吉田慈敬東雲寺名誉住職様、諸大徳各位様にはお世話になりました。本当にありがとうございました。   合掌

 

写真は上から「法要会場での記念撮影」「奉恩寺に入る日本、韓国、中国の僧侶」「しっかりと手を握り合う武覚超理事長と韓国の慈乗会長、中国の学誠会長」「三者による署名」

 

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前延暦寺執行武覚超先生の晋山式参列と長浜市の玉泉寺参拝

2016-11-23 17:04:01 | 旅行

今月の19日から22日まで関西に行ってきました。19日はいつもの通り、車で福島空港に向かい、そこから飛行機で大阪に降り立ち、一泊目は京都に宿を取りました。

20日は大阪府貝塚市にある水間特別大寺で、前延暦寺執行の武覚超先生(文学博士)の晋山式に臨みました。参列者は地元の名士や天台宗の関係者ら約150人で、東北からは私一人でした。

21日は滋賀県長浜市を訪れ、元三大師誕生の寺である玉泉寺に参拝いたしました。元三大師は第18代天台座主であられ、比叡山延暦寺の中興の祖として知られています。逗子の本尊は国宝に指定されており、お寺やその周囲は国の重要文化財に指定されることになっています。

この日は伊吹山の山頂に登って、伊吹山寺にも参拝いたしました。往復2時間かかりましたが、30代後半にそこにこもって、21日間修業したことを思い出し、自然と涙がこぼれてなりませんでした。すでに私は古希を過ぎていますから、30年以上前のことになります。

最後の日である22日朝は、長浜市の宿泊先にいましたが、ニュースで福島県沖の地震が伝えられ、浜通りには津波警報が出ましたから、びっくりしました。会津もかなり揺れたようですが、被害が少なかったのを聞いて安心しました。この日のうちに福島空港に到着し、夕方には帰山することができました。

今回の旅行では有意義な経験をさせてももらいました。これもまた仏様の導きではないかと思っています。

                      合掌 平成28年11月23日

                             柴田聖寛

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