年の瀬も押し迫ってきましたが、今年は新年早々に能登地方が大地震に見舞われました。総選挙では自公が少数与党となり、国内の政治も混沌としています。世界に目を転じれば、中東ではイスラエルとハマスの戦いが激化し、ウクライナとロシアとの戦争も、未だに休戦にいたっておりません。アメリカの大統領にトランプが当選したことで、今後の世界がどうなるかも見通せなくなっています。一天台宗の僧侶として私は、この一年、世界が平和でありますようにと日々祈りを捧げてまいりました。
個人的にも、今年は色々なことがありました。伝教大師様の「一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」(『山家学生式』)との言葉を旨としてきましたが、今後とも心折れることなく仏道に励みたいと思っております。皆様も良いお年をお迎えください。
なお、令和6年の年末の御祈祷は12月31日、令和7年の初祈祷は1月1日に執行いたしますので、多数の御参拝のほどよろしくお願い申し上げます。
合掌参拝
新年おめでとうございます。皆様にとって素晴らしい一年でありますようお祈り申しあげます。今年は牛の年に当たりますが、馬は神馬とも呼ばれ戦争の象徴であるのに対して、牛は聖牛ともいわれ、平和の象徴であります。お釈迦様のゴーダマという言葉は「特に優れた牛」という意味があります。牛のように平和な年であり、世界が健やかに大地を踏みしめて前進することを祈願してやみません。
とくに、今年は「伝教大師1200年大遠忌」にあたることから、私なりに伝教大師様について書いてまとめたいと思っています。さらに、会津天王寺を創建された天台宗の僧観裕は、第58代光孝天皇の皇子とも伝えられ、30歳のときに行基作の11面観音像を背負って都を離れ、菩薩のお導きによって会津高田の地を選んだともいわれます。
その故事にちなみ、会津天王寺55世である私の手で、僧観裕の遺徳を偲び、光孝天皇の歌碑を建立したいと思っています。
昨年は新型コロナもあって、どこにも出かけられませんでしたが、牛のようにどっしりと、一歩一歩踏み固めていく所存ですので、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
合掌
本年は伝教大師最澄1200年大遠忌の前年にあたりますので、徳一との一三権実論争に関する講演会やシンポジュウムを前向きに企画しております。この論争は日本思想史上の最大の出来事ともいわれており、これをきっかけに仏教が日本化したわけですから、意義のあるイベントにしたいと思っております。
干支がネズミということもあり、隅から隅まで光が照らすような世の中になることを願っております。今の時代は自分のことを棚に上げて他人を批判することがまかり通っています。伝教大師は「願文」において、自らを「愚が中の極愚」と卑下されたのでした。人間には謙虚さが必要であることを説いておられたのです。そこから自利利他の精神が生まれ、他人を利する菩薩道に通じるのです。
また、本年は東日本大震災から9年目を迎えます。「災害は忘れた頃にやってくる」ともいわれますので、あの時の教訓を肝に銘じるべきだと思います。
本年も皆さんとともに、伝教大師の教えを学び実践していきたいと願っておりますので、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
合掌
「倖あれと友が掌に実むらさき」 石田あき子
ムラサキシキブといえば京都の嵯峨野の正覚寺が有名ですが、晩秋の会津路の私どもの会津天王寺でも、たわわに紫色の実を付け今が見頃です。名前の由来については「ムラサキシキミ」と呼ばれていたからだといわれます。「シキミ」とは実がたくさんなるということを意味しますから、見たそのままを植物の名にしたのです。
石田あき子は俳人石田波郷の妻で、夫の闘病を支えながら、子育てをし、自らも句集「見舞籠」世に出したのでした。悪戦苦闘している彼女の姿を見た友人が、励まそうとして、そっとムラサキシキブの実を差し出したのだと思います。そんなほのぼのとした光景が目の前をよぎってなりません。
山茶花のみちのくびとに媚びて咲く 山口青邨
会津天王寺は四季折々の花を楽しむことができますが、ことしもまた、境内に山茶花が5弁の花を咲かせました。秋の終わりから初冬にかけての花ということで、雪国に住む者の心を慰めてくれます。もともとは四国や九州が北限であったのですが、品種改良されたおかげで、会津でも見られるようになったのです。青邨のその句は、厳しい冬を前にしたみちのくびとをおもんばかって、精一杯に愛嬌を振りまく花であることを表現しています。