会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

平和の象徴の牛は健やかに大地を踏みしめて前進する  柴田聖寛

2021-01-01 07:16:00 | 日記

  新年おめでとうございます。皆様にとって素晴らしい一年でありますようお祈り申しあげます。今年は牛の年に当たりますが、馬は神馬とも呼ばれ戦争の象徴であるのに対して、牛は聖牛ともいわれ、平和の象徴であります。お釈迦様のゴーダマという言葉は「特に優れた牛」という意味があります。牛のように平和な年であり、世界が健やかに大地を踏みしめて前進することを祈願してやみません。
 とくに、今年は「伝教大師1200年大遠忌」にあたることから、私なりに伝教大師様について書いてまとめたいと思っています。さらに、会津天王寺を創建された天台宗の僧観裕は、第58代光孝天皇の皇子とも伝えられ、30歳のときに行基作の11面観音像を背負って都を離れ、菩薩のお導きによって会津高田の地を選んだともいわれます。
 その故事にちなみ、会津天王寺55世である私の手で、僧観裕の遺徳を偲び、光孝天皇の歌碑を建立したいと思っています。
 昨年は新型コロナもあって、どこにも出かけられませんでしたが、牛のようにどっしりと、一歩一歩踏み固めていく所存ですので、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

      合掌

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新年おめでとうございます   柴田聖寛

2020-01-03 10:05:55 | 日記

 本年は伝教大師最澄1200年大遠忌の前年にあたりますので、徳一との一三権実論争に関する講演会やシンポジュウムを前向きに企画しております。この論争は日本思想史上の最大の出来事ともいわれており、これをきっかけに仏教が日本化したわけですから、意義のあるイベントにしたいと思っております。
 干支がネズミということもあり、隅から隅まで光が照らすような世の中になることを願っております。今の時代は自分のことを棚に上げて他人を批判することがまかり通っています。伝教大師は「願文」において、自らを「愚が中の極愚」と卑下されたのでした。人間には謙虚さが必要であることを説いておられたのです。そこから自利利他の精神が生まれ、他人を利する菩薩道に通じるのです。
 また、本年は東日本大震災から9年目を迎えます。「災害は忘れた頃にやってくる」ともいわれますので、あの時の教訓を肝に銘じるべきだと思います。
 本年も皆さんとともに、伝教大師の教えを学び実践していきたいと願っておりますので、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

                     合掌

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ムラサキシキブが実を付けました  柴田聖寛

2019-10-29 09:55:09 | 日記

「倖あれと友が掌に実むらさき」 石田あき子

 ムラサキシキブといえば京都の嵯峨野の正覚寺が有名ですが、晩秋の会津路の私どもの会津天王寺でも、たわわに紫色の実を付け今が見頃です。名前の由来については「ムラサキシキミ」と呼ばれていたからだといわれます。「シキミ」とは実がたくさんなるということを意味しますから、見たそのままを植物の名にしたのです。
 石田あき子は俳人石田波郷の妻で、夫の闘病を支えながら、子育てをし、自らも句集「見舞籠」世に出したのでした。悪戦苦闘している彼女の姿を見た友人が、励まそうとして、そっとムラサキシキブの実を差し出したのだと思います。そんなほのぼのとした光景が目の前をよぎってなりません。

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会津天王寺境内の山茶花が開花  柴田聖寛

2019-10-25 09:25:53 | 日記

山茶花のみちのくびとに媚びて咲く 山口青邨

 会津天王寺は四季折々の花を楽しむことができますが、ことしもまた、境内に山茶花が5弁の花を咲かせました。秋の終わりから初冬にかけての花ということで、雪国に住む者の心を慰めてくれます。もともとは四国や九州が北限であったのですが、品種改良されたおかげで、会津でも見られるようになったのです。青邨のその句は、厳しい冬を前にしたみちのくびとをおもんばかって、精一杯に愛嬌を振りまく花であることを表現しています。

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県博での興福寺展と一三権実論争について

2019-06-18 19:05:15 | 日記

 福島復興記念展として「興福寺と会津 徳一がつないだ西と東」が7月6日から8月18日まで会津若松市の福島県立博物館で開かれ、国宝の維摩居士坐像などが展示することになっていますが、仏都として会津が見直されることは、大変良いことだと思います。

 興福寺は南都六宗のうちの法相宗ですが、そこで学んだ徳一は9世紀初め、天台宗の最澄と一三権実論争を繰り広げたのでした。それ以降の法相宗の教えはあくまでも奈良や京都にとどまり、法華経を重んじる私どもの天台宗が大きな流れとなり、鎌倉仏教の法然、弁長、証空、一遍、親鸞、栄西、日蓮、道元もまた、比叡山で修行をしたのでした。

 その論争について考える上で、今私が読んでいる楠淳證・舩田淳一編の『「仏性論文集」の研究』は大いに参考になります。龍谷大学アジア仏教文化研究叢書7として今年2月に発刊されたばかりですが、著者の菩提院蔵俊(1104~1180)は平安末期の著名な唯識学者であり、「序辞」において楠淳證氏は「世親の『仏性論』について多角的視野からの検証を行った優れた書物であり、ことに現行の『仏性論』が漢訳者の真諦三蔵(499~569)によって改変されたものであると主張している点に大きな特色を有する書物であることが明らかになった」と述べるとともに、徳一撰の『教授未学章』『中辺義鏡章』『法相了義灯』が収録されていることから、「従来の一三権実論争研究に対しても一石を投じる貴重な文献であるといってよい」と力説されています。

 私ども天台宗は「誰もが成仏できる」との信仰にもとづいています。しかし、その信仰を打ち固めるためには、徳一の存在があったわけですから、私は『「仏性論文集」の研究』をじっくり読むつもりです。感想については、後日ブログにアップしたいと思っております。

                            合掌

 

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