会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

令和三年を振り返って   柴田聖寛

2021-12-30 18:24:01 | オピニオン

 今年も色々なことが公私ともにありました。残念でならないのは、平和を待望する世界の人々の思いとは違って、刻一刻と戦争に向かっているような気がしてならないことです。未だに新型コロナウイルスが収束していないのも深刻な問題です。
 それだけに私は、天台宗の一僧侶として、何が大事か身をもって痛感するに至りました。安岡正篤先生の『東洋倫理概論 いかに生くべきか』に収録された「真の脱落」の章で、「法華経如来神力品」を紹介されています。「若しは經卷処住の處、若しは園中(修行する精舎)に於て、若しは林中に於て、若しは樹下に於て、若しは僧房に於て、若しは白衣の舎(俗人の家)、若しは殿堂に在って、若しは山谷曠野、是の中皆應に塔を起して供養すべし。所以は何(いかん)。當に知るべし。是の處即是道場にして、書佛此に於て阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼたい・正しい悟り)を得、諸佛比に於て法輪を轉(てん)じ、諸佛に於て般涅槃(はんねはん・悟りの境地に入る)す」
 安岡先生は「生を明らむるは佛家一大事の因縁なり。生死(しょうじ)の中に佛あれば生死なし」とも書いておられます。老いた今なってはなおさら、私は生死の覚悟によって誠の信仰者に一歩でも近づきたいと思っています。
 また、今年は牛の年でありましたが、牛は寒気に強く農耕の準備に用いられましたが、あくまでも準備の期間でありました。来年は寅年ですから騎虎之勢で、さらなる飛躍を目指したいと思いますので、何卒今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

       合掌

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瀬戸内寂聴師の遷化の報に接し   柴田聖寛

2021-12-10 20:26:06 | 天台宗

 

 

 瀬戸内寂聴師が去る11月9日に遷化されました。数えで99歳でした。私にとって忘れられないのは、事務局を仰せつかったこともあり、一隅を照らす運動40周年東日本大会が平成21年10月6日、磐梯熱海温泉の「郡山ユラックス熱海」で3000人の参加者を集めて開催され、瀬戸内師の「一隅を照らす心」と題した記念法話が行われたことです。瀬戸内師は「命とは自分以外のものを幸せにするために授かるもの、どうしたら相手が幸せになるか思いやり、相手の痛みを感じわかちあう」ことの大切さを説いておられました。ユーモアを交えての講演に聴衆も身を乗り出して聴き言っていたのが今も忘れられません。
 第一部で同運動総裁である半田孝淳天台座主猊下大導師による法華懺法が厳修され、同運動会長小堀光詮三千院門跡門主らが挨拶を述べたのに続いての第二部でお話をされたのでした。
 天台ジャーナル令和三年12月1日号によると、瀬戸内師は徳島市出身。東京女子大卒。昭和32年に『女子大生曲愛怜(チュイアイリン)』で文壇にデビュー、昭和48年11月、51歳で出家。行院後、京都嵯峨野に「寂庵」を結び、昭和62年には陸奥教区天台寺就任。京都と岩手を往復する生活を長く続けてこられました。小説などの著作は400冊を超えるといわれます。そして、一般社会に対して、著しく天台宗の宗旨を宣揚した僧侶に贈られる天台特別功労賞を受賞されました。そのときの講演では、湾岸戦争の終了後にイラクに薬を届けに向かったエピソードも語られ、平和の大切さを訴えられました。
 私は瀬戸内師の本がほとんど目を通していますが、2年前に出された『寂聴九十七歳の遺言』を読み直してみて、「死についても楽しく考えたほうがいいわね」という帯の文章に救われるとともに、正直に生きたことで天台の僧侶になったわけで、伝教大師様のお導きがあったからではないかと思います。
 とくに私の胸が詰まったのは「愛することは許すこと」の小見出しで述べられている文章です。死刑囚になった我が子を愛し続けた母親の愛を取り上げていたからです。「死刑囚のわが子を見舞ったところで何もかえってこない。それこそ世間の非難しか返ってこないかもしれません。でも、見舞わずにはいられない。これがほんとうの愛情なのです。こうした母の愛は、すべての人間を許す仏さまや神様の愛、『慈悲』や『アガペー』に近いものでしょう」と書いていられます。
 瀬戸内師ほどではありませんが、私の人生も波瀾万丈でありました。それでも今天台宗の一僧侶として信仰を踏み固めるべく精進しているのは、伝教大師様の教えがあったからこそで、瀬戸内師の遷化の報に接し、なおさらその思いを強くした次第であります。

 

  合掌

 

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第258世天台座主に大樹探題がご上任 柴田聖寛

2021-12-04 17:39:24 | 天台宗

 

 第257世座主大僧正森川宏映猊下の逝去に伴い、天台宗と総本山比叡山延暦寺は先月22日、第258世座主に次席探題で書写山圓教寺(姫路市)第140世長吏の大樹孝啓(おおき・こうけい)師の就任を発表しました。大樹師は大正13年(1924)6月兵家県生まれ。97歳。昭和11年出家得度。大正大学予科卒。昭和59年書写山圓教寺長吏に就きました。平成22年には最高法階である探題に就任されました。平成28年からは一隅を照らす運動の会長を務めています。書写山圓教寺開創千年余の古刹で、西国三十三観音霊場の第二十七番札所として、多くの巡礼者が訪れています。
 大樹新天台座主は、祖師先徳鑽仰第法会を記念した特別授戒会が全国各教区で行われたときには、伝戒和上を勤められ、伝教大師の「忘己利他」「一隅を照らす」の教えを説かれました。また、一隅を照らす運動会長に就任されたときには「最澄様は浄仏国土を目指された。そのためには在家の菩薩を一人でも二人でも増やさなければなりません。菩薩を作るためには『布施 持戒 忍辱 禅定 智慧』の六行の実践が必要です」と述べておられました。
 私も一隅を照らす運動の40周年東日本大会が平成21年、一隅を照らす運動45周年東日本大震災復興記念大会が平成26年にいずれも郡山市のユラックス熱海で開催されましたが、当時私は事務局の大役を仰せつかりましたので、大樹新天台座主のお言葉の一つ一つに深い感銘を覚えたものでした。
 上任式は去る11月22日午後3時から滋賀院門跡で営まれ、天台宗と延暦寺の両内局が見守る中、阿部昌宏天台宗宗務総長から梶井袈裟が贈呈されました。天台宗は新たな師表を迎え、私もまた天台宗の教えを広める先頭に立つべくお誓い申し上げます。 

     合掌

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森川宏映天台座主猊下のご遷化 柴田聖寛 

2021-12-04 17:25:33 | 天台宗

 

 

 一僧侶として多くの方の死に立ち会って供養をさせていただきましたが、人間の命というものが儚いものがありますが、だからこそ誰もが成仏するという天台宗の教えに、私は導かれて今日まで歩んでまいりました。天台宗の第257世座主大僧正森川宏映猊下が、去る11月22日午前7時30分、ご遷化されました。世寿97歳。  
 天台ジャーナル令和3年11月23日号が号外として発行され、平成27年12月14日、第256世半田孝淳天台座主のご遷化に伴い、同日に大僧正森川宏映猊下が上任されたことに触れるとともに、そのご功績について「祖師先徳鑽仰大法会第二期の各法要や事業の推進を先頭に立ってご教導くださったほか、比叡山宗教サミットを通してローマ教皇はじめ世界の宗教者と親交を深められるなど『世界平和』実現に尽力された」と書かれています。
 森川座主猊下は大正14年10月22日に愛知県春日井市のお生まれになり、京都大学農学部を卒業されました。農学部で学ばれたこともあり、人間ばかりではなく、動植物、鉱物などあらゆる存在は仏性をもち、成仏できるという天台本覚思想の「草木国土悉皆成仏」についても、「私はこれこそが仏教の中心思想だと思っています」と述べておられました。また、地球温暖化、生態系の変化、自然災害の猛威に関しても常々憂慮され、「草木国土悉皆成仏」のよってのみ解決することができると主張されていました。
 密葬儀は11月26日に滋賀院門跡にて執り行われました。本葬は令和4年1月18日午後1時から天台宗務庁にて天台宗葬で執行されます。葬儀委員長・喪主 宗務総長 阿部昌宏。、総務奉行 延暦寺執行水尾寂芳、遺弟代表 延暦寺一山眞藏院住職櫻井行尚。

 合掌

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