伝教大師様のお導きのおかげもあってか、近年になって、会津地方で天台宗への関心が高まってきています。法相宗の徳一については、郷土史家の方を中心にして研究が行われてきましたが、徳一のことを深く知るには、論争をたたかわせた伝教大師様のことを学ばなくてはという機運が盛り上がってきたからです。このため、私のような者であっても、色々な会合に招かれて、お話をする機会が多くなりました。
徳一ゆかりの磐梯町では、かつては隆盛を誇った慧日寺の復元が進み、平成20年に金堂が、平成21年には中門が竣工しました。それにともなって町独自の出版物がいくつか出ていますが、徳一については、田村晃裕東洋大学名誉教授が執筆を担当されました。田村先生は昭和54年に出版された『最澄辞典』(東京堂出版)の編者でもあり、伝教大師最澄の研究家としては、第一人者といわれています。
磐梯町としても、伝教大師様と徳一の両方に造詣が深いということで、田村先生にお願いしたのではないでしょうか。伝教大師様が確立した天台宗に関して、田村先生は「仏教の本質は勿論ただ学ぶことにあるのではなく、それを実践修行して体得し、実際に苦悩を脱却し、また苦悩に沈む人々を救うことにある」と書いておられます。
しかし、その一方では、徳一が果たした役割も正当に評価されたのでした。仏教は本来一種類の乗り物であるのに、それを声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三種類の乗り物に分けたのは、私たち天台宗からすれば方便であったわけですが、論敵の徳一がいたおかげで、かえって一乗の教えが強固になったからです。
伝教大師様や天台宗をもっと知りたいという要望がありましたので、去る6月1日から3日にかけて、私が企画して「伝教大師(最澄)と会津徳一菩薩の旅」を実施いたしました。会津地方ばかりでなく、東京や埼玉から駆けつけた人も含めて、当初の予想を上回る34名の参加がありました。
今回の旅行のメインは、天台宗の総本山である比叡山延暦寺でしたが、武覚超比叡山延暦寺執行の法話を聞かれたことで、皆さん感動されたようです。武執行は「全てのものが仏になると法華経で示されていますが、伝教大師が一番大事にされたのも、その慈悲の心なのです」と述べられましたが、熱心にメモをとっていられたからです。
伝教大師様に「一隅を照す、即ち国宝なり」という言葉がありますが、私に課せられた使命として、今後ともお導きのままに、不滅の法灯を守っていきたいと思っております。
徳一ゆかりの磐梯町では、かつては隆盛を誇った慧日寺の復元が進み、平成20年に金堂が、平成21年には中門が竣工しました。それにともなって町独自の出版物がいくつか出ていますが、徳一については、田村晃裕東洋大学名誉教授が執筆を担当されました。田村先生は昭和54年に出版された『最澄辞典』(東京堂出版)の編者でもあり、伝教大師最澄の研究家としては、第一人者といわれています。
磐梯町としても、伝教大師様と徳一の両方に造詣が深いということで、田村先生にお願いしたのではないでしょうか。伝教大師様が確立した天台宗に関して、田村先生は「仏教の本質は勿論ただ学ぶことにあるのではなく、それを実践修行して体得し、実際に苦悩を脱却し、また苦悩に沈む人々を救うことにある」と書いておられます。
しかし、その一方では、徳一が果たした役割も正当に評価されたのでした。仏教は本来一種類の乗り物であるのに、それを声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三種類の乗り物に分けたのは、私たち天台宗からすれば方便であったわけですが、論敵の徳一がいたおかげで、かえって一乗の教えが強固になったからです。
伝教大師様や天台宗をもっと知りたいという要望がありましたので、去る6月1日から3日にかけて、私が企画して「伝教大師(最澄)と会津徳一菩薩の旅」を実施いたしました。会津地方ばかりでなく、東京や埼玉から駆けつけた人も含めて、当初の予想を上回る34名の参加がありました。
今回の旅行のメインは、天台宗の総本山である比叡山延暦寺でしたが、武覚超比叡山延暦寺執行の法話を聞かれたことで、皆さん感動されたようです。武執行は「全てのものが仏になると法華経で示されていますが、伝教大師が一番大事にされたのも、その慈悲の心なのです」と述べられましたが、熱心にメモをとっていられたからです。
伝教大師様に「一隅を照す、即ち国宝なり」という言葉がありますが、私に課せられた使命として、今後ともお導きのままに、不滅の法灯を守っていきたいと思っております。