さて、維摩だなー
維摩居士又は、浄名大士ともいう。
「維摩経」に登場する中心人物であるインド、バイシャーリー(毘舎離)の長者であり在家で大乗仏教の玄義に明るく般若の深義「無相不可得」特に文殊と論争し不二の法門(悟り)は「空」の一字をも用えずとし「黙」を持って処したことは有名である。
のちのち禅の深義、華厳、密教の思想にもことさら影響したようだ。小生にとっては現代版「維摩居士」が登場することを願うばかりの今日この頃であります。
合掌
さて、維摩だなー
維摩居士又は、浄名大士ともいう。
「維摩経」に登場する中心人物であるインド、バイシャーリー(毘舎離)の長者であり在家で大乗仏教の玄義に明るく般若の深義「無相不可得」特に文殊と論争し不二の法門(悟り)は「空」の一字をも用えずとし「黙」を持って処したことは有名である。
のちのち禅の深義、華厳、密教の思想にもことさら影響したようだ。小生にとっては現代版「維摩居士」が登場することを願うばかりの今日この頃であります。
合掌
唯識とは
法相宗の根本教義、唯心とも一切の諸法はみな心識の転変によるもの心識のみ実有である
「心外無別法」の立場である。
六識―眼、耳、鼻、舌、身、意、の総称である。その根源は第七末那識と第八阿頼耶識のはた
らきがある。
未那識―私であり私の物だ、自我を思い込む。
阿頼耶識―過去の認識や経験を蓄積にて潜在的な力を持っており主体を根底より支えている。
阿摩羅識―質の転換(転依)すなわち(無垢識、真如識)けがれが無くなったものです。
なかなか難しいものです。これが分かれば全て悟られます。
天台宗では、この点について妙法蓮華経、の方便品、譬喩品と同じだと思います。