令和4年度の天台宗功労者表彰式が去る10月25日午前11時から比叡山の延暦寺会館で開かれました。30年にわたって天王寺住職を勤め、布教に功労があったというので、大樹孝啓天台座主猊下が私に表彰状と記念品(袈裟)を手渡されときには、熱いものがこみあげてなりませんでした。住職30年勤続功労者は全国で56名。東北地方からは6人、福島県は私一人でした。
ついで、大樹座主猊下からお言葉があり、阿部昌宏宗務総長からの挨拶があり、記念撮影が行われました。続いて水尾寂芳延暦寺執行の祝辞のあと祝宴が行われました。
今年度は天台宗の住職を50年、30年と勤められた41人の方が出席されましたが、その一人として私も光栄に浴することができました。祝宴の場で水尾執行から「柴田さん。お若いですね」と声をかけられましたが、その一言で励まされて元気が出ました。私は75歳を迎えましたが、今後も日々精進を重ねていきたいと思っております。
思い起こせば天王寺の住職になったのは、私が40代前半のときでした。中通り生まれで会津との結びつきはほとんどありませんでした。御仏の命じられるままに、単身で会津美里町に移り住んだのです。私は50代で結婚して家族を持ち今日にいたりました。何もない所から出発し、新寺建立と同じような苦労がありました。檀信徒の皆さんのご支援のおかげで、門構えや庭を整備しました。とくに庭に関しては、山形県の鳥海山の石の寄進を受けて、寺院らしい雰囲気になりました。
住職としてのお勤め以外に、天王寺が会津三十三観音霊場の二十八番札所の高田観音であることから、私は会津三十三観音霊場についての本を過去に出版するとともに、伝教大師最澄様と論争をした法相宗の僧徳一が、会津の慧日寺にいたということを知り、私なりに研鑽を深めております。また、布教活動の一つとして、会津天王寺通信のブログをアップしています。
できれば私は、これから20年住職を勤めさせていただき、住職50年勤続功労者として、比叡山に招かれるのが夢です。日々精進に努めたいと思っておりますので、皆様のご指導とご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。
合掌