東北復興は「求法人」の祈りの心で(上)
―東日本大震災から2年半を経過してー
2013年9月13日
会津天王寺住職 柴田聖寛
慈覚大師1150年御遠忌が平成24年4月1日から平成27年3月31日までの期間にわたって行われますが、平成23年3月11日に東日本大震災が発生したこともあり、「求法人(ぐほんじん)」の祈りが全国津々浦々に広がっています。
東日本大震災と同じ規模の千年に一回ともいわれる貞観大地震が起きたのは、貞観11年(869)年7月6日のことでした。慈覚大師円仁は貞観6年(864)正月14日に亡くなられましたが、由緒あるお寺は全国で615カ寺ともいわれており、その偉業ははかり知れないものがあります。東北地方だけに限っても106カ寺に達します。その地震の前にも、天長7(830)年の出羽国で大きな地震があり、天地は裂け、山崩れとなり、人々は恐怖におののいたのでした、それを見かねた慈覚大師は巡礼の足をのばしたのでした。
とくに、貞観大地震の地震や津波で大打撃を受けた東北地方は、天台宗のお寺が中心となって祈りを捧げたのでした。慈覚大師が撒いた天台宗の種が、東北の人々を励まし元気づけたのです。そうした故事にちなんで、今回の東日本大震災に際しましても、天台宗は祈りと復興への協力によって、東北の人たちを積極的に応援してきました。
東日本大震災に際しては、春のお彼岸の時期でもありましたが、ガソリンが来なくなったり、福島第一原発事故で会津地方も大騒ぎになったりしていましたので、それどころではありませんでした。
被災地への救援物資の輸送にも私は携わりましたが、まだ高速道路の規制があった3月19日、滋賀県の東雲寺の御住職、真光寺の副御住職の御協力を得て、比叡山延暦寺を中心に、関西各地の宗派を超えた御寺院様から御預かりした救援物資を積み込み、私たちが運転して、会津若松、本宮、郡山というように回りました。それに引き続いて4月1日には、南相馬の日光寺様に食料などを届けました。目が回るほどの忙しさでしたが、私の性格からしても、じっとしてはおれなかったのです。
また、私は天王寺の住職として平成23年4月28日、自寺で慰霊祭を執り行いました。そして、5月9日に気仙沼の大島で天台宗有志、5月11日には陸前高田、気仙沼の観音寺で、座主猊下が参列しての天台宗の慰霊法要がしめやかに行われました。陸前高田では、高台の梨畑は自衛隊や警察の車両で埋まり、そこで宿泊していたのを目撃しました。
「一隅を照らす運動45周年記念大会」が来年11月12日に郡山市の「ユラックス熱海」で開催されます。東北の地に一日も早く平安な日々がもどるように、さらなる祈りを捧げたいからです。
東日本大震災では、津波などでの死者と行方不明者は約2万人にのぼります。それにともなう福島第一原発事故によって、約30万人もが避難を余儀なくされています。忘れてはならないのは、福島第一原発の事故は今もなお続いていることです。収束にはいたっていないのです。今年の8月になってからは、汚染水の問題が明らかになってきており、放射能との闘いは未だに終わっていないのです。