会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

「比叡山の十二年籠山行を『比叡山時報』が紹介  柴田聖寛」

2021-08-26 12:54:51 | 天台宗

天台宗が高い評価を受けているのは、もっとも厳しい修行を己に課すことからです。とくに比叡山の宗祖伝教大師御廟所をの「浄土院」はもっとも比叡山で清浄な地とされています。比叡山時報令和3年8月8日号では、伝教大師1200年大遠忌記念「比叡山と十二年籠山行」について紹介しています。
天台宗の信仰がどんなものであるかを理解してもらうには、それを知ってもらう必要があります。伝教大師祖廟「浄土院」は常に清められ、世俗とは一縁を画しています。そこでは、伝教大師が定められた「比叡山と十二年籠山行」が「侍真」と呼ばれる僧によって受け継がれています。「侍僧」という言葉は元禄12年に、安楽律(天台宗の属し、僧の日常生活の規則である小乗の四分律を加えた)霊空光謙が定めた『開山侍真条例』の「籠山比丘をもって祖廟の侍真とする」を踏襲しており、12年間にわたり、1日も欠かすことなく、太子宝前への捧斎供養にとどまらず、朝課、晩課の勤行を行い、籠山中には、境内から一歩も外に出ることが許されません。
この期間中に侍僧は法華か密教のいずれかを専攻しなければなりません。日々の勤行以外にも、御廟内外の清掃は厳しいものがあり、だからこそ清浄な地を保っているのです。年数の根拠に関しては、伝教大師最澄様は大乗戒律独立の根拠を示した『顕誡論』において『蘇悉地羯羅経』の「若し時念誦をなさば、十二年を経よ。縦ひ重罪ありともまた皆成就せん。仮使ひ法具足せざるも皆成就することを得ん」との文章を引き合いに出して、「最下純の物も十二年を経れば必ず一験を得る」と書かれました。それによって、『山家学生式』にある「一隅を照らす国宝的人材の育成」を目指されたのです。
 霊空光謙が『開山堂侍真条制』が制定されてから、目下奉職中の渡部光臣師にいたるまで、117名が浄土院で修行し、極限状態に耐えられず、籠山途中で死亡した者27名。籠山を終えた後に病死した者2名で、実に4人に1人が命を落としたことになります。
 また、侍真となるためには、その資格を得ようとすれば、『梵網菩薩誡経』の教えにもとづき、不眠不臥で仏様を会得しなければなりません。
 私ども天台宗は「一隅を照らす国宝的人材の育成」のために、令和の世に遭っても、信仰を自らのものとするために、厳しい修行を実践しているのであり、その典型が侍真僧なのです。天台宗では「十二年籠山行」は「回峰行」とともに、比叡山仏教の極みでもっとも厳しい修行といわれています。

              合掌

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会津天王寺の開祖である観裕の父光孝天皇の歌を碑に 柴田聖寛

2021-08-23 14:24:49 | 天台宗

会津天王寺ではこのほど傳第五十八代光孝(こうこう)天皇が親王時代に詠まれた、

 君がため、春の野に出でて 若菜摘む

  我が衣手に 雪は降りつつ

の歌碑を建立いたしました。天皇自身の歌集『仁和御集』の冒頭の歌であると同時に、(『古今集』春上)や『小倉百人一首』にも収録されています。光孝天皇の皇子である僧観裕が元慶二年(八八三)に開山したのが天王寺です。行基作の十一面観音像を背負って東を目指し、菩薩のお導きによって会津高田(現在の会津美里町)の地を選んだといわれます。

光孝天皇のお人柄に関しては「温和で学識があり、人間味にあふれていた」(『日本三大実録』)に書かれています。その皇子である僧観裕も衆生を救うために、みちのくに足を踏み入れられたのでした。会津で唯一皇室ゆかりの寺として伝承されていることもあり、ここに僧観裕の偉業を偲び、光孝天皇の歌碑を建立いたしました。

歌人の佐佐木幸綱は「あなたのために、春の野に出て若菜(わかな)を摘む私の衣の袖(そで)に、雪がふりかかる」(『口語訳詩で味わう百人一首』)口語訳しています。

若菜というのは、せり、なずななどのことを指し、愛する人のためにようやく春になって野草の新芽を摘むようになったことを表現したのでした。

光孝天皇は(八三〇から八八七)。仁明(にんみょう)天皇の皇子で。第五十八代の天皇。在位期間はわずか三年でしたが、和歌を復興させるのに尽力したことで知られています。

      合掌

  令和三年八月吉日 第五五世 会津天王寺 聖寛代

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養老孟司氏の『バカの壁』『一番大事なこと』を再読 柴田聖寛

2021-08-10 08:55:58 | 読書

 

  いよいよ読書の秋到来ですが、皆さんはどんな本を読んでいられますか。私は養老孟司氏の『バカの壁』『いちばん大事なこと』を再読しています。いずれも2003年に出版されベストセラーになった本です。とくに『バカの壁』は流行語にもなりました。
 最近になって多様性ということがしきりに口にされますが、私からすれば、それは様々な考え方を尊重することが前提でなければなりません。しかし、そこに立ちはだかるのが偏見と、自分だけが正しいという思い上がりです。それを払しょくしなければ、かえって、多様性は混乱を生むだけです。それを教えてくれるのが『バカの壁』です。とくに人間というのは、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまいます。そのことを養老氏は問題にしたのでした。
 物を知っているというのは、もともとはコモンセンス、つまり常識があるということでした。物知りということではなく、正しい判断力があるということなのです。NHKなどのマスコミの報道に振り回されている人たちは、コモンセンスをもう一度再確認すべきではないでしょうか。マスコミとて絶対の存在ではないのです。
 養老氏によれば、カール・ポッパーという哲学者は「反証されない理論は科学的理論ではない」と述べています。「全ての白鳥は白い」ということを証明するためには、たくさんの白鳥を発見しても意味がなく、「黒い白鳥は存在しないのか」という厳しい反証にさらされるというのです。
 確実なことというのは、あくまでも探し続けるからこそ意味があるのであって、それをイデオロギーとして他人に押し付けてはならないのです。
 また、養老氏は『いちばん大事なこと』では、環境問題の難しさについて触れています。人間の力で感染症や自然破壊を阻止できるというのは、まさしく一方的な見方であり、「自然に本気でつきあっていれば『ああすれば、こうなる』が通らないことが体験できる」と書いています。結論的には「環境を破壊しない」ということにつきるのですが、人間はもっと謙虚にならなければならないのです。この二冊の本をぜひ手に取ってもらえれば、と願っています。世界が違ったものに見えてくるはずですから、

      合掌

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比叡山で伝教大師1200年大遠忌御祥当法要  柴田聖寛

2021-08-07 10:27:58 | 天台宗

 

 久しぶりのブログのアップとなりました。新型コロナの爆発的な感染拡大は今も続いており、例年になく暑い夏となっていますが、皆さんにはいかがお過ごしでしょうか。私も75歳の後期高齢を目前にして、健康の大切さを改めて再認識している次第です。大病をしたわけではありませんが、ときには休養というのも大切ではないでしょうか。 
 宗祖伝教大師1200年大遠忌御祥当法要が去る6月3日から5日にかけて、比叡山延暦寺大講堂において厳かに執り行われました。天台ジャーナル令和3年7月1日号で詳しく報じていますので、皆さんに知っていただくために、簡潔に紹介したいと思います。コロナ禍ということもあって参列者を極力少なくし、法要の模様は3日間ともインターネットを通じた全国中継を実施しました。
 3日は御祥当逮夜法要を伝教大師御影供(みえく)が行われました。森川宏映天台座主猊下を大導師に、延暦寺一山住職が出仕。内陣須弥壇(しゅみだん)中央に奉安された伝教大師御影の功績を讃えた祭文が読み上げられました。御命日の4日は、午前中に御廟の浄土院で論議法要「長講会」が執り行われ、午後からは祥当法要。根本中堂から分灯された不滅の法灯を先頭に出仕僧らが入堂し、大導師の森川映天台座主猊下が法則(ほっそく)で伝教大師に報謝を捧げられた。5日の御祥当後法要は大樹孝啓探題大僧正を大阿闍梨に、天台宗・延暦寺両内局員、延暦寺一山住職の出仕で努められ、宗祖への恩徳が示されました。
 4日の祥当法要で挨拶された阿部昌宏総務総長は「最澄さまはわたしたち、そして皆さまの側におられます」とおっしゃいましたが、私もまた天台宗の一住職として、同じ思いを持っています。規模は縮小されたとはいえ、10年間にわたる祖師先徳鑽仰大法会の掉尾(ちょうび)を飾るにふさわしい法要となりました。

             合掌

 

 

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