天台宗が高い評価を受けているのは、もっとも厳しい修行を己に課すことからです。とくに比叡山の宗祖伝教大師御廟所をの「浄土院」はもっとも比叡山で清浄な地とされています。比叡山時報令和3年8月8日号では、伝教大師1200年大遠忌記念「比叡山と十二年籠山行」について紹介しています。
天台宗の信仰がどんなものであるかを理解してもらうには、それを知ってもらう必要があります。伝教大師祖廟「浄土院」は常に清められ、世俗とは一縁を画しています。そこでは、伝教大師が定められた「比叡山と十二年籠山行」が「侍真」と呼ばれる僧によって受け継がれています。「侍僧」という言葉は元禄12年に、安楽律(天台宗の属し、僧の日常生活の規則である小乗の四分律を加えた)霊空光謙が定めた『開山侍真条例』の「籠山比丘をもって祖廟の侍真とする」を踏襲しており、12年間にわたり、1日も欠かすことなく、太子宝前への捧斎供養にとどまらず、朝課、晩課の勤行を行い、籠山中には、境内から一歩も外に出ることが許されません。
この期間中に侍僧は法華か密教のいずれかを専攻しなければなりません。日々の勤行以外にも、御廟内外の清掃は厳しいものがあり、だからこそ清浄な地を保っているのです。年数の根拠に関しては、伝教大師最澄様は大乗戒律独立の根拠を示した『顕誡論』において『蘇悉地羯羅経』の「若し時念誦をなさば、十二年を経よ。縦ひ重罪ありともまた皆成就せん。仮使ひ法具足せざるも皆成就することを得ん」との文章を引き合いに出して、「最下純の物も十二年を経れば必ず一験を得る」と書かれました。それによって、『山家学生式』にある「一隅を照らす国宝的人材の育成」を目指されたのです。
霊空光謙が『開山堂侍真条制』が制定されてから、目下奉職中の渡部光臣師にいたるまで、117名が浄土院で修行し、極限状態に耐えられず、籠山途中で死亡した者27名。籠山を終えた後に病死した者2名で、実に4人に1人が命を落としたことになります。
また、侍真となるためには、その資格を得ようとすれば、『梵網菩薩誡経』の教えにもとづき、不眠不臥で仏様を会得しなければなりません。
私ども天台宗は「一隅を照らす国宝的人材の育成」のために、令和の世に遭っても、信仰を自らのものとするために、厳しい修行を実践しているのであり、その典型が侍真僧なのです。天台宗では「十二年籠山行」は「回峰行」とともに、比叡山仏教の極みでもっとも厳しい修行といわれています。
合掌