会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

叡山学院の後輩たちの天台声明を堪能   柴田聖寛

2020-02-28 20:59:46 | 天台宗

 私もかつて叡山学院の一学生であっただけに、久しぶりに後輩たちの天台声明を堪能することができて、感慨ひとしおでした。「第4回平安千年の声明の調べ みほとけの音聲」は去る2月19日に京都府民ホールで開催されました。主催は叡山学院と種智院大学で、第1部は種智院大学の真言声明による「心経会」、第2部は叡山学院の天台声明による「四箇法要」がそれぞれ披露されました。
 プログラムの「ご挨拶」で坂本廣博叡山学院院長が述べておられますが、叡山学院は、延暦25年(806)に、伝教大師が朝廷から年分度者2名を賜ったことから始まる教育機関です。天台宗における最高機関と位置づけられています。天台教学を学ぶとともに、声明・法儀・書道など、僧侶として必要な技法を取得する場でもあります。とくに、声明に関しては、各学年とも週3時限の講義・実習があります。
 一方の種智院大学は、弘法大師空海が天長5年(829)に創立した綜藝種智院が始まりです。声明については、オール真言の大学といわれるだけあって、古義真言宗諸派に伝わる南山進流ばかりではなく、長谷寺が本山の真言宗豊山派流、智積院を本山とする真言宗智山派流までも含めて授業で教えています。 
 第一部は種智院大学が真言声明による「心経会」を、第二部は叡山学院が天台声明による「四箇法要」を披露しました。
 叡山学院の「四箇法要」では「唄・散華・梵音・錫杖」の四つの曲目が演唱されました。法要の主要部分に先立って、道場を莊嚴(しょうごん)するためのもので、天平勝寶4年(752)4月9日の大仏開眼供養で行われたことが知られています。鑑真和上直々の声明であるとともに、唐の体系だった声明を慈覚大師円仁が日本に伝えたのでした。「呂曲」「律曲」「ユリ」「塩唄(えんばい)」「モロ上がり」「モロ下がり」に特徴があるといわれます。
 齊川文泰叡山学院教授がブログラムの解説文で「天台声明とは佛教の儀式音楽であり、西洋のキリスト教儀式音楽であるグレゴリア聖歌やミサの各曲と竝ぶ東洋を代表する宗教音楽です」と指摘されていますが、今回もまた、私は天台声明の芸術性の高さに魅了されました。また、新型コロナウイルスを吹き飛ばすような迫力がありました。わざわざ会津から出かけた意味があったと思います。齊川教授をはじめとして、関係者の皆さんには深く感謝申し上げます。

                             合掌

 (上)が叡山学院による「四箇法要」、(下)が種智院大学による「心経会」

 

 

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 一隅を照らす運動機関誌「きらめき」に「照隅祭」の記事 柴田聖寛

2020-02-27 12:27:30 | 天台宗

 

 天台宗の一隅を照らす運動機関誌の「きらめき」の第59・60号がこのほど発刊されました。一隅を照らす運動の森川宏映総裁や鳥井信吾同副会長のあいさつ文、原晋青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督と杜多道雄一同理事長・天台宗宗務総長との対談などが掲載されています。
 今回の目玉記事は、昨年11月2日から5日にかけて比叡山延暦寺で開催された「照隅祭」に関してです。1日目は吹奏楽の名門大阪桐蔭高校と元ザ・ブルーハーツの梶原徹也さんとの息の合った演奏、2日目は宗門校の比叡山高等学校と天台宗僧侶による天台声明のコラボ、3日目は莵道(とどう)高等学校とヴォ―カリストのTRUEさんや洗足学園音楽大学との共演が繰り広げられました。
 「照隅祭」は「メッセージ体験型カルチャーイベント」として企画されましたが、「西塔エリアだけで連日2千名を超え、イベント期間中の3日間で延べ3万人が参加した」こともあり、大盛況を博しました。「皆さん自身が一隅を照らす光に」という目的の趣旨は達成されたのではないでしょうか。私のように古希を過ぎた者でも、若い人の心を揺さぶるには「五感の体験」が大事だと思うからです。

     合掌

 

 

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妙傳寺の御本尊は大陸伝来の如意輪観音半跏像 柴田聖寛

2020-02-23 16:35:48 | 天台宗

「柴田さんではないですか」といわれて振り返ったら、大原三千院で一緒だった荒木正宏さんでした。第4回平安千年の声明の調べ「みほとけの音聲」は去る19日に京都府民ホールで開催されましたが、そこで声をかけられたのです。岩手県出身の荒木さんとはウマが合って、よく将来のことを語り合ったものです。今は京都市左京区八瀬近衛町、妙傳寺の御住職です。
 荒木さんはカバンから一枚のプリントした紙を私に示すと、自分のお寺の御本尊の説明をしてくれました。これまで年代不詳とされていた本尊の如意輪観音半跏像(にょうりんかんおんはんげぞう)は、像高は50・4センチ。最近の研究で7世紀の作とほぼ特定され、中国の南北朝時代の作風の影響を受けて、朝鮮半島から伝来したことが明らかになってきたそうです。
 あくまでも写真でしか判断できませんが、どうすれば人々を救えるか悩んでいる観音様のお姿であることは確かです。様々な装飾が施されていることで、シルクロードを通って入ってきた西域の文化を感じさせる華やさが感じられます。とくに「宝冠に左右に獣面を表し瓔珞(ようらく)に小鈴がつく鈴飾りを表すなど、きわめてユニークな姿である」と評されています。
 日本の仏教美術では、仏教が伝わってきた欽明7年から大化元年までが飛鳥時代、大化改新後から平城遷都までが白鳳時代、平城遷都後から都が平安京に移るまでが天平時代といわれていますが、妙傳寺の如意輪観音半跏像には、法隆寺の観音菩薩立像などと同じように、白鳳時代の「童子形の仏像彫刻」(久野健『日本の彫刻』)といった特徴があります。
 できるだけ早く機会を見つけて、妙傳寺の御本尊を拝ませてもらえればと思っています。これもまた、御仏のお導きではないでしょうか。

      合掌
 

 

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危機の時代だからこそ日々の祈りが大事なのです 柴田聖寛

2020-02-18 07:28:19 | オピニオン

 今私たちは未知のウイルスに怯えています。WHOは新型コロナウイルス感染症をCOVID-19と名付けましたが、2月17日現在の世界全体の感染者数は71324人に達し、死者も1775人を突破しました。
 このうち中国の感染者数が70548人で、死者は1770人。湖北省武漢市では想像に絶する事態になっています。次いでクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス355人、シンガポール72人、日本59人、香港57人、タイ34人、韓国29人、台湾20人、米国15人、マレーシア22人、ベトナム16人、豪州15人、マカオ10人、フィリッピン3人、ロシア2人、ネパール1人、インド3人、ドイツ16人、英国9人、フランス12人、スペイン2人、エジプト1人、カナダ1人などとなっています。
 国境の壁がほとんどなくなったことで、未知のウイルスが中国の一都市で発生すれば、あっという間に世界中に広がってしまうのです。治療法はまだ確立しておらず、ワクチンもできていませんから、人類はかつてない危機に直面しているのです。ようやく日本政府も感染拡大を想定して、国内の検査・治療・相談体制の充実拡充に着手しましたが、今後どうなるのかはまったく予測が付きません。会津が生んだ野口英世博士が黄熱病の研究に身を捧げたと同じように、未知のウイルスから人類を救うために、現代の野口博士が出現することを願ってやみません。
 神仏を信仰する者は、祈りをささげる前に、身を清め、沐浴をしておこもりをするのが決まりです。穢れなきことを神仏は喜ばれるからです。新型コロナウイルスの対策として、手洗いや咳エチケットなどが大事だといわれていますが、自分の身を清潔にしておくことは、信仰ばかりでなく、健康を保つためにも必要なことなのです。
 未知なるウイルスとの闘いはこれからが本番です。天変地異や疫病の流行は人類にとっての試練ですが、信仰者として試されるときでもあり、危機であればあるほど、日々の祈りが大事なのだと思います。

                合掌

 

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比叡山の今年の言葉は「一々労不惜」  柴田聖寛

2020-02-11 10:07:15 | 天台宗

 新年早々から中東できな臭い動きがあったと思ったらば、今度は中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによって世界中が大変なことになっています。こんなときだからこそなおさら、伝教大師様の教えが身に沁みてなりません。
 令和となり最初の年賀式が去る1月8日に比叡山延暦寺で催され、宗内諸大徳、政財界、山門出入り方など約350名が参列し新年の門出を祝い、森川宏映座主猊下からのお言葉があり、杜多道雄宗務総長からのあいさつがありました。
 また、その年賀式では小堀光實執行から「比叡山から発する今年の言葉」として「一々労不惜(いちいちろうふしゃく)」が披露され、「事態のひとつひとつに労りの心を惜しまずに力を合わせて過ごしたいとの願いが込められている」との意味の説明があり、「文字通り、伝教大師様が徹底して自分を忘れ周りの人たちに尽くす『忘己利他』の思いを込めた一々労不惜をもってこの一年、専心に勤めて参ることをお約束申し上げたい」との決意が述べられました。
 今年も伝教大師の教えを実践するためにも、「一々労不惜」の言葉を肝に命じながら頑張りたいと思っておりますので、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたします。

                      合掌

 

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