↑
前回の、お部屋の写メを撮影していた父ちゃん。
洗面台を撮ったとき、
自分も写ってしまったようです。
こうして撮って、母ちゃんに送ってくれてたんだなあと、
愛おしく思います。
(笑ちゃんの動画を送りました)
血液が作られなくなった父ちゃん。
輸血すると血管が見えて。
嬉しそうでした。
(この移植の治療が終了した時点で、
元の病院へまた転院する事が決まっていました)
(※たかあき、主治医を下の名前で呼び捨てにする我が家でした。)
(※LD-IF値、血中で測れるがん細胞の量です)
(腫瘍の塊は、また別扱い)
(他愛もない話を、3分48秒しました。
これが2人で会話をした最後でした。)
(正直、この写メが来たときには、
本当の覚悟をしなくちゃいけない時が来たかな。)
(そう感じた母ちゃんです)
(もう腎機能が、、、)
(父ちゃんも、分かっていたのかもしれません)
(先代ケン坊の最後の日、
前日に補液したのに、吸収されずに皮膚に出る、
それを父ちゃんも見ていたのだから)
あはつあふ、さ
どうしていいか分からないよ。
側にいてあげたかったですね。
なんでも2人で話し合いながら生きてきたので、
1人が心細いんだと思いました。
本当に残酷な病気でした。
日にちが経ち、
失意と混乱の中過ごしてきたので、
記憶もあっているのか分かりません。
文面もバラバラで、、、
それなのに、
いつも覗きに来て下さり、
ありがとうございます。
2023年 2月3日の事を載せてみました。
父ちゃんと会話した最後の日でした。
自分で何か感じる事があったのか?
翌日から容態は急変していきました。