笑日和

わんこと楽しく

声は無くとも。

2023-08-04 18:59:41 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

毎年、福島県へ行くときに

父ちゃんは、母ちゃんの好きな山野草のお店へ寄ってくれました。

 

母ちゃんが山野草を見ている間父ちゃんは、

笑ちゃんと散歩をしたり、

車で休憩していたり。

そんな時間も好きなんだと言っていたっけ。

 

一人静。(ひとりしずか)

今年も静かに咲きました。

 

派手さは無いけれど、

見惚れてしまう山野草です。

 

駐車場の自動ライトの設定。

日没時間に合わせて季節ごとに変えるもの。

父ちゃんの役目でした。

 

機械音痴の母ちゃんは困り果てました。

たまたまライト切れで、電気屋さんに来てもらい。

そのときにやり方を教わりました。

 

父ちゃん亡くなる数日前に、

『ZEROコーラ買ってきて』と。

 

吐き下しの凄まじいときだったので、

ムカムカ感を少しでもなんとかしたかったのだろう。

 

息苦しさも増し、意識も遠のくあたりだったので、

飲んでないんだろうなあ。

そう思っていました。

 

病院から荷物を引き上げてから、

葬儀だ、手続きだ、来客だと、

忙しさにかまけて、そのままにしていた父ちゃんの荷物。

 

四十九日翌日から一気に動き出した母ちゃん。

やっと父ちゃんの荷物に手をつけました。

 

飲んでいないだろうと思っていたコーラ。

↓これだけ飲んでいました。

 

先生に言っても吐き気やムカつきが変わらない。

ならば、コーラでスッキリ。

そう思ったのだろう。

 

最後の最後まで戦っていたんだなあ。

生きることを、復活することを、

諦めていなかったんだなあ。

 

この一本のコーラが伝えてくれました。

声は無くとも、ちゃんと伝わったぞ、つよし。

よく頑張った。偉いぞ。

 

たった一本の飲みかけのコーラ。

 

泣けて。

泣けて。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[26]

2023-08-01 16:51:09 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

今年の桜は早かった。

 

つよしの居ない桜の散歩は、

全くもって楽しくない。

 

四十九日まであと少し。

3月27日、

お友達が来てくれるそう。

駅まで笑ちゃんとお迎えに行きました。

 

改札口で笑ちゃんと待っていました。

 

こんにちは。

つくしちゃん。

つくしちゃんのパパのときには、

母ちゃん、行かなかったのに、、、

 

同じ経験をしたママさん。

今の母ちゃんの気持ちがよく分かる。

 

つくしちゃんのママの言葉には、

傷つくワードが含まれないので、

安心して会話ができました。

 

今の母ちゃんの精神状態が、

どんなかは、すごくよく分かってくれていて、

有り難かったです。

 

つよしが闘病中も、同じ病院の同じ科の先生のとこでも、

いろいろと心強く、応援してくださいました。

本当に感謝。

 

つくしちゃんLOVEの笑ちゃんは、

ずーっと、つくしちゃんを追いかけ回していて。

こんなに楽しそうな笑ちゃんを見るのは、

久しぶりでした。

 

今年はジューンベリーの花も早かったです。

 

『俺、花なんかいらないよ』

そう言っていたつよしでしたが、

 

四十九日までに数回花を変えて、

じゃんじゃん飾ってしまった母ちゃんでした。

ごめんね、つよし。

つよしに、って言うより、

お焼香に来てくれる人のためにね。

 

4月1日。

四十九日。納骨。

 

2月12日に亡くなってから、

これまで、

これは夢なのか?

悪い夢なら早く覚めてくれ。

胸の奥が常に苦しく、

ふわふわとした毎日。

 

流れに沿って四十九日に納骨をしましたが、

もう少しゆっくり考えれば良かったな。

 

大嫌いな父親と一緒の墓に、今は2人きり。

そのうち、もっと嫌いな母親も入るだろう。

 

『なんて事するんだよー』とも聞こえてくるし。

『もう、どうでもいいよ』とも聞こえてきそうな。

 

ごめんね。つよし。

 

納骨は4月1日の四十九日にしてきたつよしでしたが。

つよしの身体の一部は、大学病院でお仕事をしています。

 

癌が多くあった、肋骨、背骨を中心に、

内臓も。

 

なんで死んじゃったんだろ。

こんなに若くして。

毎日、辛く苦しく。

それがいつまで続くんだろう。

 

行きたいところも、無くなりました。

欲しい物も、無くなりました。

食べたい物もありません。

 

『待ってないで先に食べてていいよ』

そう言っても、

『2人で食べたほうがいいじゃない』

と待っていた、つよし。

 

笑ちゃんとつよしで散歩をしたあと。

『やっぱり奥様がいたときの方が楽しいよ』

と言っていた、つよし。

 

きっと今も、天へと登らなくてはいけないのに、

母ちゃんの側をうろうろしているに違いない。

 

笑ちゃんを見送ったら、

早めに迎えに来てください。

それだけが今の願いです。

 

半年、1年過ごせれば。

幹細胞癌の手術をしたときに、そう言われた笑ちゃん。

 

残された母ちゃんのとこが心配なのか?

つよしが、『もう少し母ちゃんの側にいてあげな』

そう言われているからか?

 

言われていた1年を過ぎました。

 

あと何日、母ちゃんと居てくれるか分かりませんが、

笑ちゃんの明るさが、救いです。

 

長く父ちゃんの事ブログでしが。

これからは、父ちゃん居なくなってしまったブログです。

 

そうは言っても、父ちゃんの残り香が少しずつ登場。

 

いつも覗きに来てくれて、

ありがとう。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[25]

2023-07-28 18:28:45 | 笑ちゃんの父ちゃん。

家族葬の希望があった、つよしでした。

出席する人も決めていました。

が、死人に口なし。

母ちゃんがつよしの言った通りに伝えても。

その約束を守ってあげられない人もいました。

 

亡くなった人の意思を尊重してあげられないなんて、

悲しい人です。

 

いろいろあった葬儀でした。

 

火葬場へ向かう霊柩車。

『これが2人の最後のドライブだな』

母ちゃんの後ろにいる棺の中のつよしへ声をかけました。

 

霊柩車の運転手さんは、

これまでのつよしの話を、

火葬場に着くまでずっと聞いてくれました。

有り難かった。

 

苦しんだとき、それを見るのも辛かった。

息を引き取るときも辛かった。

棺を閉じられるときも辛かった。

そして何より、火葬へと運ばれ、

扉が閉じるとき、1番辛かった。

『つよしー、つよしー、つよしー』と、

ずっと声をかけていた母ちゃんでした。

 

病気が発覚したときから覚悟はしてきた母ちゃん。

でもその覚悟は、

100しなければいけない覚悟のうちの、

たったの、3くらいの覚悟であった。

 

亡くなってその後にそう感じました。

 

親族の死、親の死、友人の死、

様々経験してきましたが、

伴侶の死は、全く別物でした。

 

いろいろあった葬儀を終えて、

やっと大好きな家に帰って来たつよしです。

 

四十九日までの間に、

いつも座っていた椅子に連れてきたり。

 

 

寝ていた布団に連れてきたりしました。

何をしても、悲しさだけでした。

 

家族葬にしたので、ポツポツと人が来てくれました。

 

四十九日になる前に、どうしてもお礼をしたい人がいました。

 

剛がいつも座っていた席を取りました。

 

今回はミニ骨壷のつよしです。

 

つよしが亡くなってから、

眠れない、食べられない。

そんな母ちゃんだったので、栄養ドリンク飲みながら。

 

2ショット撮りながら。

 

3月だったので途中は雪もたくさんでした。

 

到着する直前は、車内で涙が溢れました。

この前はつよしも一緒に来たのになあと思いながら。

 

つよしのために、用意して下さいました。

 

お花や陰膳まで。

 

笑ちゃんの薬の時間もあり、

日帰りで金沢へ行った母ちゃんでした。

帰りもいつもの席を取りました。

 

方向音痴の母ちゃんにはありがたい、

東京駅から自宅3分のところまで、バスがあります。

なんとか無事に行って帰って来れそうです。

 

実の親には恵まれなかったつよしでしたが、

実の親以上に、本当に可愛がって頂いたつよしでした。

なんで、金沢のお父さん、お母さんより先に、

逝ってしまったのか。

 

本当に悲しいだけです。

 

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[24]

2023-07-21 20:42:34 | 笑ちゃんの父ちゃん。

↑ 前回の父ちゃんの既読の最後は、母ちゃんからの音声LINEでした。

『炭酸水とZEROコーラも持っていってあるからねー、飲めるときに飲むんだよー。頑張るんだよー。何もしてあげられなくてごめんねー。頑張るんだよー。』

という母ちゃんからの音声を聞いたのが最後でした。

2/7

  ↑、CTを撮った父ちゃん。急性胃炎を認めました。直ぐに抗菌薬を投与。しか    し急性胃炎をきっかけに脱水。この日から尿は出なくなりました。

 

2/8 11:51

母ちゃん仕事中に病院から電話あり。『ICUへ入るのですぐ来て下さい。』声をかけても意識が無い状態。採血結果で腫瘍崩壊症候群を起こしており透析必要になりICUへ。母ちゃん駆けつけ『つよしー‼️分かるーーー‼️』医師、看護師が父ちゃんのベッドを囲む中、大きな声で叫びました。苦しそうに肩で息をしていて意識が無い中、1秒にも満たない、ほんの一瞬、母ちゃんに目線をくれました。そのほんの一瞬が父ちゃんが母ちゃんを見てくれた最後でした。直ぐに目は白黒し。その苦しさを見ていられず。『早く人口呼吸器して下さい』と、ICUを出た母ちゃんでした。その後人口呼吸器装着。

※腫瘍崩壊症候群とは、癌細胞が一気に壊れるとその死骸の成分が腎臓へと溜まり腎不全を起こす現象です。父ちゃんは前にも経験あり。

 

2/9  9:46

母ちゃん仕事中、病院から電話あり。『今朝から容態が悪いのですぐに来て下さい。』『本日採血で極めて重度の肝機能障害を来している。腫瘍崩壊症候群、サイトカイン放出症候群の影響もあり、原因の特定は困難。胃粘膜の障害で、胃に入っている管からも出血が続く。リスクを承知で移植投与を行っているが、それによる副作用が強く出てしまっている状態。』『ステロイド大量療法や感染症治療の強化など出来る限りの治療を行って行くが、本人の状態は極めて厳しく、救命が困難な可能性も高い。今日、明日が山。』

前日は苦しそうにしていたが、人口呼吸器によりそれは治まる。だけどもう意識はない状態。この日も声かけが出来た。『サンディーズに行くんでしょー‼️元気になったらサンディーズへ行くって言ってたでしょー‼️』看護師がいる中、大きな声で父ちゃんに叫びました。振り返ると看護師、、、泣いていました。救命の為の大量の薬の投与によって、父ちゃんの顔面は2倍に腫れ上がり、肝機能障害により黄色くなり、眼球も飛び出していて。その姿を前にして、『よく頑張ったよ、もういい、もう頑張らなくていいよ。』そう声をかけた母ちゃんでした。

 

2/10

山だと言われてじっとしていられず。仕事は休みをもらって。ずっと病院で待機していました。もう、これくらいしかやってあげる事がないのだから。良くも悪くも病院から連絡があるといいのだが、それが無かった。山と言われた2日が過ぎた。

1人で病院へ向かったのを聞いた母ちゃんの弟が、仕事終えてから駆けつけてくれました。この写真も父ちゃんのスマホへ送って。元気になったら、こうして病院で応援していたんだよって伝えるつもりでいました。

 

2/11

この日も朝からずっと病院で待機していた。山を越えたのか?つよしの最後の頑張りだったのかもしれません。

 

2/12

この日も朝から病院で待機。10:40、ついに携帯が鳴った。『もうダメかも』みんなに連絡しました。『もう血圧も測れなくなっているので来て下さい。』病院の駐車場で待機していた母ちゃん、父ちゃんのところへ急いで走って行きました。顔のむくみ、目の飛び出しは収まり。でも意識は無く。脈は113。あとは心臓止まるのを待つだけ。足全体に紫斑も出ており。最後の最後の時間でした。弱りゆくつよしの脈、『パンツ10枚注文したのが明日届くんだよー‼️どうするのー‼️』母ちゃん叫びました。耳は最後まで聞こえてるとよく聞きますが、どうやら本当。母ちゃんの叫び声に反応して脈はまた復活。しかし、しばらくしてそのときはきました。14:21。つよしの心臓が止まりました。

 

多発性骨髄腫。(血液の癌)2年6ヶ月。

抗がん剤治療、自家移植、CHOP療法、アベクマ移植、

最後は、急性胃炎(5日間)、腫瘍崩壊症候群(5日間)、サイトカイン放出症候群(5日間)、急性肝障害(3日間)これの影響で最後は敗血症。

 

副反応の厳しい治療と分かっていました。

『耐えてみせるぜ。』そんな事を言っていたつよしでした。

自分の身体の状態から、諦め半分。

完治とは断言できないが、完治を目指せる治療と聞いて、期待半分。

最後は大変苦しみました。

また、母ちゃんと笑ちゃんと旅したい、その一心で最後まで頑張りました。

亡くなったときのその顔は、とても穏やかとは程遠く。

走って、走って、走って、

ゴールのテープに手を伸ばし、あと1ミリのところでテープに指先が届かなかった。

その悔しさが滲み出た。そんな顔でした。

 

両親の夫婦喧嘩が毎日続く、そんな幼少期でした。

同じ経験をしていた母ちゃんと出会いました。

仕事から帰って来ると、『家はいいね。家が1番だね。』毎日そう言っていました。

同じ経験をしてきた父ちゃんと母ちゃんは、夫婦喧嘩などしませんでした。

喧嘩のない普通の生活が出来た20年でした。

もっと、もっと、幸せな毎日が続くと信じていました。

54歳は早過ぎた。

 

2022年 12月27日に入院したまま帰って来ませんでした。

笑ちゃんは久しぶりに父ちゃんと会いました。

抑えていないと、棺の中へ入って行く勢いの笑ちゃんでした。

火葬場が混んでいて、冷蔵庫宿泊が10日もあった父ちゃんでした。

 

きっと笑ちゃんは、父ちゃんをペロペロするだろう。

大丈夫なようにエンバーミングしてもらいました。

一生懸命にペロペロしていた笑ちゃんでした。

 

金沢のお母さんを参考にして、つよしの守り神を手に。

↑これは、家に置いておき母ちゃんの心の支えにしています。

 

生前に決めていた家族葬にしました。笑ちゃんも特別に参加しました。

お通夜の日には、笑ちゃんもお泊まりしました。

新緑の旅が好きでした。棺には若草のものを選びました。

 

わんこブログなのに、父ちゃんのことばかりでごめんなさい。

いつもありがとうございます。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[23]

2023-07-14 17:13:59 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

 

 

 

 

 

(ブログ上では、父ちゃんと呼んでいますが、

家では父ちゃんなんて呼んだ事はありません。)

(つよし。と呼んだり。)

(ご主人さま。と呼んだり。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(洗濯する気満々だった母ちゃん。)

(考えてみたら、そりやそうだよな。)

(なんてバカなLINEしたんだろ。)

 

 

 

 

2023年 2月7日。16:56。

いた苦しい

 

これが父ちゃんからの最後のLINEでした。

 

自家移植のときの何倍もの副作用。

比べものになりません。

そう言われていたアベクマ移植の副反応でした。

 

どうして、いた苦しかったのか。

後に分かりました。

 

16:56が、父ちゃんからの最後のLINEで。

17:23が、既読の最後でした。

 

意識が遠のく27分前まで、

必死に繋がりを持とうとしていた、つよしでした。

必死に生きている事を伝えようとしたつよしでした。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[22]

2023-07-07 17:56:42 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

 

 

前回の、お部屋の写メを撮影していた父ちゃん。

洗面台を撮ったとき、

自分も写ってしまったようです。

こうして撮って、母ちゃんに送ってくれてたんだなあと、

愛おしく思います。

 

 

 

 

 

(笑ちゃんの動画を送りました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血液が作られなくなった父ちゃん。

輸血すると血管が見えて。

嬉しそうでした。

 

 

 

 

 

(この移植の治療が終了した時点で、

元の病院へまた転院する事が決まっていました)

(※たかあき、主治医を下の名前で呼び捨てにする我が家でした。)

 

 

 

(※LD-IF値、血中で測れるがん細胞の量です)

(腫瘍の塊は、また別扱い)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(他愛もない話を、3分48秒しました。

これが2人で会話をした最後でした。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(正直、この写メが来たときには、

本当の覚悟をしなくちゃいけない時が来たかな。)

(そう感じた母ちゃんです)

(もう腎機能が、、、)

(父ちゃんも、分かっていたのかもしれません)

(先代ケン坊の最後の日、

前日に補液したのに、吸収されずに皮膚に出る、

それを父ちゃんも見ていたのだから)

 

 

 

 

 

あはつあふ、さ

 

どうしていいか分からないよ。

 

側にいてあげたかったですね。

 

なんでも2人で話し合いながら生きてきたので、

1人が心細いんだと思いました。

 

本当に残酷な病気でした。

 

日にちが経ち、

失意と混乱の中過ごしてきたので、

記憶もあっているのか分かりません。

文面もバラバラで、、、

それなのに、

 

いつも覗きに来て下さり、

ありがとうございます。

 

2023年 2月3日の事を載せてみました。

 

父ちゃんと会話した最後の日でした。

自分で何か感じる事があったのか?

翌日から容態は急変していきました。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[21]

2023-06-30 21:51:31 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2023年 1月27日。14:45。

じゃらじゃら沢山の点滴をしていましたねえ。

 

無菌室。

父ちゃんが1人で頑張っていた部屋です。

 

トイレと洗面台が歩いてすぐにありますねえ。

トイレには扉がないのだそうです。

入院時、普通の部屋ならば、

母ちゃんが荷物を持って行けましたが。

どの病院も、無菌室入院となると、

初日でも家族は入れませんでした。

最初から最後まで1人で頑張らなくてはいけませんでした。

残酷な事ですよねえ。

 

1月27日。15:46。

洗濯物の受け渡しに来た母ちゃん、

病院一階のコンビニから父ちゃんに連絡、

どれか食べたいのある?と。

 

父ちゃんが選んだのは、これでした。

 

1月27日。17:53。

父ちゃんの病院の帰りにお水を買い行った母ちゃんでした。

ストックもあり、これ↓も買い足した感じで。

このお水があと数本残っています。

母ちゃん1人じゃ、なかなか飲みきれないよ。

父ちゃんは、1日に7〜8本飲んでしたのにねえ。

 

1月27日。20:06。

今回は、大五郎みたいなハゲ方だぞ。って。

母ちゃんに写メ送ってきました父ちゃんです。

亡くなる16日前に、、、

無理して、、、

元気そうな、おちゃらけた写メよこしてさ、、、

この写真を見ると、

ほんと、泣けてくる。

どんなにか辛かったか、

なんでそんな時にまで、母ちゃんを安心させようと。

一生懸命に笑ってさ。

 

歯茎を出して笑ってくれていたので、

写真を引き伸ばすと、歯茎の状態が分かりました。

大きな水ぶくれがたくさんあります。

 

この頃には、普通の歯磨き粉は使えなくなっていました。

口の中が染みて、痛いのだと連絡きました。

歯ブラシもキツイそうで、

うがいタイプのものに変わりました。

 

1月28日。12:58。

薄っすらと雪が降りました。

 

1月28日。13:08。

ご機嫌で歩く笑ちゃんでした。

 

1月28日。13:36。

もっと、もっと、笑ちゃんの写メを送りたかったなあ。

あと、残すところ数日でした。

 

1月28日。18:42。

父ちゃんの洗濯物の受け渡しをするときの手提げです。

毎回消毒してから、よく乾かして。

父ちゃんにも伝えていました。

安心してもらえるように。

 

1月30日。16:46。

洗濯物の受け渡しをして、またねー。とLINE。

 

今、ここだよー。と、LINE。

 

1月31日。8:29。

今年2回目の成田山。

この日、大きな移植を行う日でした。

じっとしてなんかいられません。

 

これを買って、父ちゃんも母ちゃんも

お財布に入れたっけ。

 

今年二度目の護摩木です。

本堂で声を出して、お経を唱えました。

何故か涙止まらず。

 

父ちゃんのは、お薬師様のお堂で、

ご祈祷をお願いしました。

 

父ちゃんは来られないので、

代わりに、父ちゃんの手袋やら、

髪の毛なら、病院の名札ならを持って。

母ちゃんが代わりにお祓いを受けました。

お坊さんにも、

病気のこと、この日が移植のこと、

長々とお話し聞いてもらって。

藁にもすがる思いで、願いました。

 

どうか、治療が成功します様に。

どうか、助けて下さい。

 

成田の駐車場から父ちゃんに電話しました。

父ちゃんは、

『いろいろやってくれて、ありがとね』

『涙が止まらないよ』

『来年は成田山、絶対に一緒にいくよ』

そう、言っていました。

母ちゃんも、その言葉を心の底から信じていました。

 

1月31日。16:00。

笑ちゃんとお散歩です。

移植は午前中に終わりましたが、

まだ変化のないときでした。

 

2月1日。16:47。

移植から2日目、朝から高熱が出た父ちゃんでした。

6:28から熱が出たし、

8:34には一気に38.3°cまで上がり、

『何もやる気が起きないよ』と。

11:15、『コーラ2本とバニラアイス買ってきて』のLINE。

まだ、意識はあるのだなあと。

 

2月2日。5:12。

応援する笑ちゃんです。

この写メは、まだ見てくれていました。

 

1月29日の父ちゃんと母ちゃんのLINEのやり取りです。

 

2023年 1月27日〜2月2日の事を載せてみました。

亡くなる10日前までの事でした。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[20]

2023-06-26 20:24:50 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2023年 1月18日。16:34。

洗濯物を取りに父ちゃんのところへ行きました。

前を歩くおじさんは、関係のない方です。

 

入院患者さんが借りられる文庫もあったりしましたが、

もう少し免疫上がってから、などと言っていたら

結局は行けませんでした。

 

1月18日。16:55。

父ちゃんの洗濯物の受け渡しをして、帰る駐車場のエレベーターから。

鏡があるので利用して、よく写メ送っていましたっけ。

『またね』の意味を込めて。

 

1月18日。17:00。

信号で止まると、また写メ送って。

常に連絡を取り合っていたのにね、

今は、送る父ちゃんが居なくなったので、

空しい毎日ですよ。

 

1月19日。10:06。

元気よく歩きます笑ちゃんです。

 

1月19日。11:30。

笑ちゃんの日常もこまめに写メで送ってましたっけ。

 

1月21日。15:00。

写真だけじゃなく、触らせてあげたかったですよね。

本当に。

 

1月21日。15:32。

散歩へ行くとき、片方、

父ちゃんの手袋をしていくようにしました。

手袋くらい一緒に散歩をと言う思いで。

 

1月22日。16:07。

洗濯物受け取ったよー。

また来るからねー。

のLINEを入れて。

 

1月22日。16:16。

外へ出て駐車場へ向かいました。

 

1月24日。10:50。

ヤスダヨーグルトのバナナ見つけたよー。

退院したら飲ませるからねー。と。

 

1月24日。13:09。

笑ちゃんトリミング。

お利口ちゃんだったよーとLINE。

 

1月24日。15:04。

この日は、CHOP療法の結果と、

これからの治療の説明を聞きに来ました。

母ちゃん来るのを知ると、

病室から、ゆっくり、ゆっくり歩いてきた父ちゃんです。

やっと歩いているといった感じ。

こんなポーズするけどね。

で、この写真と、

 

この写真は、

後に大きく伸ばして、リビングに飾ってあります。

父ちゃんと母ちゃんが最後に会った日でした。

亡くなる19日前の事でした。

 

結果から言うと、悪性リンパ腫の抗がん剤を

1クールしてみましたが、

父ちゃんの癌細胞は減りませんでした。

 

もう1クール様子をみてもいいけれど、

今の状況では内臓がもたないと言われました。

それで時間をかけてしまうと

当初の目的の移植が出来なくなる。

そんな説明をされました。

 

しかも、癌細胞が多く残っていての移植には、

大きなリスクもありました。

 

さらに、

この移植をしても効果がない場合、

残念ですが他に手立てがありません。

とまで言われました。

 

隣に座って話を聞く父ちゃんの肩と背中を、

手のひらで撫でながら、

『大丈夫かい?』と声かけしたのを覚えています。

父ちゃんは、

『うん、大丈夫だ』と答えましたが、

 

この説明を聞き終えたら、

一階のコンビニまで一緒に行くよ。

と、言っていた父ちゃんでしたが、

『今日はこのまま部屋に帰るよ』と言いました。

 

心のダメージは相当なものだったと思います。

 

リスクはあるけれど、

もう手段なく、移植に向けて進みました。

 

母ちゃん外に出ると、

雪の予報ありで、塩化カルシウム撒いていた病院でした。

 

父ちゃんに写メ送ると、

『気が早いな』なんて、

普通っぽい返信したけれど、

精神状態は穏やかではなかったはずです。

 

1月25日。10:47。

父ちゃんに送ったはずの↓こんな写メ。

『今日は美容室へ行っているんですね』と、

かしこまった返事が来た。

 

えーーー!

父ちゃんに送ったはずが、

お隣のご主人へ。

 

父ちゃんが、生きるか死ぬかのときに、

父ちゃんも笑っていましたよ。

こんな母ちゃんで、ごめんよー。

 

1月25日。15:55。

お口直しに、可愛い笑ちゃんの写メを送りました。

 

2023年 1月18日〜1月25日までの事を載せてみました。

 

1月24日、

意識のある父ちゃんと会えたのは、

この日が最後でした。

父ちゃんの肩と背中を撫で感触は、

母ちゃんの右の手のひらに、

今でもはっきりと残っています。

 

こんなに笑顔だったのに、、、

先生から何を言われようが、

希望は捨てなかったのに、、、

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[19]

2023-06-23 20:50:33 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2023年 1月3日。4:33。

いつものように起きて、

いつものように散歩して、

いつものように朝ごはん食べて。

それから笑ちゃんは、ばあちゃんちへ。

 

1月3日。

父ちゃんが大きな治療の移植をするために、

さらに大きな病院へ転院しました。

 

早朝に母ちゃんが迎えに行って。

やっぱりこの朝も病院の食事をキャンセルした父ちゃん。

この日はお弁当もいらないと、、

どうやら病院出てからコンビニへ行きたかったようだ。

サンドイッチとかを買って、

『やっぱり外はいいね』って言いながら、

寒いと言うのに、嬉しそうに食べていました。

 

普通に車を走らせる母ちゃんに、

『もっとゆっくり走ってよ』って、父ちゃん。

なるべく病院の外の世界を楽しみたかったのだ。

 

病院着く前に、

手前の公園で少し歩こうか?と声をかけると、

『うん、そうする‼️』と嬉しそうにしてましたが、

 

5分歩けたかなあ、

呼吸が苦しくなり、お腹も壊して、

結局は大きな病院へ向かいました。

 

このとき2人で歩いたのが、最後の散歩でした。

たった5分の散歩。

 

9:32。

10:00入院でした。

父ちゃんは、ひがし棟でした。

 

コロナでなくても、

父ちゃんの入院した部屋は、無菌室だったので、

面会は禁止でした。

前の病院より厳しく、ズルは出来ませんでした。

 

方向音痴の母ちゃん、一人で病院から出られるか心配でしたが、

なんとか出られて、

父ちゃんに写メ送りました。

『外へ出たよー』と。

 

1月3日。11:42。

ばあちゃんと留守番していた笑を迎えに行って、

 

1月3日。11:52。

お散歩へ行きました。

 

1月3日。16:18。

父ちゃんへ写メしました。

 

1月4日。15:20。

前に居た病院へ1月3日までの分の

支払いへ行って来ました。

またここへ通えると信じていた頃です。

ですが、このときが最後になりました。

 

1月6日。17:29。

父ちゃんのところへ行くときは、

今、ここだよー。

と、写メ送っていました。

 

今、駐車場に着いたよー。

母ちゃんそろそろ来る、と分かると、

洗濯物のバッグを用意して待っていました。

 

帰りも、ここだよー。と。

『え?もうそんなところまで行っちゃったの?』

なんて返事が来ていましたねえ。

 

1月7日。15:40。

父ちゃん居なくても、頑張って散歩していた笑ちゃんでした。

『ノリノリだな』なんて、

父ちゃんからLINE来ていましたねえ。

 

1月9日。17:01。

車の走行距離、43529km。

父ちゃんが亡くなるまで、

あと、871km。

 

と言うのは、、、

父ちゃんが亡くなったときの走行距離、

44400kmだったから。

 

やだねえ、4がたくさんでさ。

車に興味のない母ちゃんは、

そもそも走行距離なんて見ていない。

だけど、死と直面すると、

カラスの鳴き声や、数字の4が、

やたらと気になり出す。

 

この時もそうだった。

だから44400kmが、

ババーンと目に飛び込んだ。

 

1月11日。8:00。

運転しながら自撮りな母ちゃん。

 

1月11日。8:07。

着いたところは成田山。

 

1月11日。8:08。

古いお札が気になっていたので、お返しに。

 

1月11日。8:10。

この日も病室で頑張る父ちゃんに、

写メ送っていましたねえ。

 

1月11日。8:12。

父ちゃんにタイムリーな幕があったりしてね。

 

1月11日。8:13。

来て良かった。

やっぱり心が救われる。

 

ご祈祷のお札も用意しました。

 

星供養。

父ちゃんと母ちゃんと笑ちゃんと。

揃えていただくのはこれが最後となりました。

父ちゃんは、

『ありがとねー』って言っていましたよ。

 

1月16日。

父ちゃんに元気を届けようって事で、

笑ちゃん可愛いやつ。

 

お花散らしたりしてね

 

キラキラさせたりしてね。

 

で、母ちゃんも

 

生きるか死ぬかの父ちゃんに、

なんて写メを送ってんだか、ですよ。

 

こんな母ちゃんと一緒に過ごして来て、

父ちゃんは幸せだったのかなあ?

なぞ。

2023年 1月3日〜1月16日までの事を載せてみました。

 

1/3にさらに大きな病院へ転院。

当初の予定では1/10に移植予定のはずが、

癌細胞の量が多すぎて移植出来ず、

多発性骨髄腫の父ちゃんに、

悪性リンパ腫で使う抗がん剤を1クール使用する、

CHOP療法という治療を1/5から開始。

 

↑の、ふざけた写メを送ったあたりから、

また、髪の毛が抜け始めました。

 

髪の毛が抜ける事には、

それほど抵抗のない父ちゃんでしたが、

嘔吐、下痢、などの副作用は、

とても辛いものでした。

 

それでも、今後のために、

一生懸命に食事もしていましたよ。

とても立派な父ちゃんでした。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[18]

2023-06-19 21:09:40 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2022年 11月30日。

願いを込めてツリーを飾りました。

 

12月3日。4:55。

父ちゃんにりんごをむいてあげました。

 

笑ちゃんの熱い視線があり、

 

 

小さくちぎってあげていました。

 

ほのぼの、いい時間でしたねえ。

 

12月5日。8:27。

あらあら、また昔ながらのパスタです。

 

12月5日。11:27。

またまた入院。

12月5日。11:52。

癌細胞が増え、腎機能が落ち。

骨痛もひどくなりました。

なのにね、母ちゃんが帰るときには、

エレベーターまでこうして見送りに来る。

なんて人なんだ。

胸が苦しくなります。

 

12月5日。12:33。

父ちゃんが居ないのがなんとなくわかるのかな。

 

12月5日。14:23。

父ちゃんの枕を守ります。

 

12月5日。18:31。

今日はもう帰って来ないかな。

諦め半分の笑ちゃん。

 

12月8日。18:27。

綺麗な月でした。

 

12月9日。4:34。

病室にいる父ちゃんにも写メ送りました。

月のパワーが届くように。

 

12月9日。16:45。

母ちゃんが洗濯物を取りに行きました。

 

12月9日。16:48。

少し調子が良いのかな?

いい笑顔してましたねえ。

亡くなる2ヶ月前でした。

 

12月18日。16:03。

あ、そうだ。

アップルウォッチ欲しがっていたっけ。

近くの電気屋さんで父ちゃんに買ってあげる事にしました。

 

12月18日。16:03。

お一人様1つ。色などは選べず。

大小の大きさだけ選べて。

大きいのにしました。

 

12月18日。16:46。

きっ喜ぶと思って急いで連絡しました。

父ちゃん、大喜び。

箱開けて写メしてー。って。

ここから先はお楽しみ。って母ちゃん言いましたっけ。

黒いバンドの物でしたが、

後に、父ちゃんのスマホには、

グレーのバンド穴の空いた模様の物が、

本当は欲しかったのが分かりました。

ゆっくり選んであげなくて、ごめんね。

父ちゃんに残された時間がないから、

母ちゃん焦ってしまったよ。

だけど、嬉しそうにいろいろ設定をしていた父ちゃんでした。

 

12月23日。14:57。

退院して来た父ちゃんでした。

ゆっくりお風呂に入り、身体を温めました。

かなり痩せてしまいました。

骨も溶けていくので、身長も5cmも低くなりました。

それでも、家のお風呂はいいね。って。

笑ちゃんに見守られながら。

 

12月23日。17:23。

お風呂から出て、少し休んだら、

父ちゃんとホームセンターへ買い物へ行きました。

驚いた事に、自分が運転をすると。

その行く道の車内で、父ちゃん、、

『あー、なんでもない、こういうのが本当に幸せだ』

って、しみじみ言いました。

母ちゃんも、『ほんと、幸せだね』って。

 

ホームセンターの帰りに、

次は、『今夜はとんかつが食べたい』と。

いつもテイクアウトするお店まで車を走らせて。

父ちゃん、お店へ入って行きました。

後に、その時のレシートが父ちゃんが最後に着ていた

ジャケットのポケットから出て来ました。

なんだか、思い出して泣けました。

母ちゃんの母と弟にも買っていってあげたんだったね。

 

12月25日。レモンケーキ。

母ちゃんの誕生日には入院していて作れなかった。

どうしても、作ってあげたかったんだろうね。

体調悪いのに、一生懸命に作ってくれました。

父ちゃん、初めて作るレモンケーキで、

大変だったと思います。

その想い。一生忘れません。

 

↑ 不思議な4日間でした。

退院してくるほど体調良くも無い。

12/23に退院して来て、

このくらいなら運転もできる近くのホームセンターへ行き、

これが幸せだと言って、

食べたいとんかつを食べ、

クリスマスイヴとクリスマスを家で過ごし、

母ちゃんにレモンケーキを作ってくれて、

 

今、思うと、先生に無理言って帰って来たんじゃないかと。

 

12月27日。入院。

この日、家を出た父ちゃんは、

二度と家には帰って来ませんでした。

 

家を出るとき、

引き出しからへそくりを出し、

『これももう、こんなに要らないな』

『カメラももう使ってないから売ろうかな』

そうかと思えば、カーテンを開けて庭をじーっと見て。

まるで、もう帰っては来れないを感じているようでした。

 

↓この後、もう通院のレベルではないので、

これからすぐ入院です。と告げられて。

え、入院?じゃ入院の荷物持って来るね。

さっさと行こうとする母ちゃんを、

珍しく引き止めて、

『ここ、まあ、ここに座ってなよ』

抗がん剤治療をするベッドに座れと言う父ちゃんでした。

 

母ちゃんと一緒にいる残りの時間も、

分かっていたのかなあ。

そう思うと、本当に胸が苦しくなります。

 

母ちゃんと言えば、

出来るだけ、いつもの通りに。

病人相手ではなく、

出来るだけいつもの母ちゃんでいるように。

涙流れるときはトイレやお風呂で。

あとは、ニコニコ、ゲラゲラ、

笑って過ごしていました。

12月29日。

庭の大掃除もしたよー。

父ちゃんに年末、写メ送りました。

 

12月29日。14:28。

母ちゃん洗濯物取り行きました。

コロナで面会NGですが、

自販機に飲み物買いに来たー、

偶然を装って、ちょこちょこ顔を見に。

 

12月29日。14:28。

大きな移植前。

どうかそれまで生きていますように。

 

2022年 11月30日〜12月29日までの事を載せてみました。

 

こうして母ちゃんはちょこちょこ父ちゃんと会えていましたが、

笑ちゃんは、2022年12月27日の朝が最後でした。

父ちゃんと会えなくなって、

そろそろ半年の笑ちゃんです。

 

笑ちゃんはどんな思いで毎日過ごしているのか、、、。

辛い。

 

 

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[17]

2023-06-13 14:31:42 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2022年 11月8日。8:29。

この日は母ちゃんも休みをとっていて、

朝ゆっくりの散歩をしました。

 

入院する日は父ちゃんからリクエスト。

母ちゃんの作る昔ながらのナポリタン。

この頃になると、薬の副作用などの影響で、

血糖値が上がりインスリンを。

糖尿病の入り口に入ったりしていましたが。

良い事も悪い事も、父ちゃんの思うまま。

できる事と言ったら、小さなストレスをなくすことくらい。

それくらいしかやってあげることはなくなりました。

いいじゃない。

こんなに笑顔になるんだから。

 

11月8日。10:59。

あんなに運転が好きだった父ちゃんが、

自ら助手席に座るようになりました。

さ、それから病院です。

 

11月8日。11:49。

これから入院。

大きな治療が始まります。

首にカテーテルを入れる処置をするための入院です。

何回も何回も入退院を繰り返してしるのに、

その度に記入しなくてはいけない。

面倒な作業です。

 

11月8日。14:20。

『カテーテル入れ終わったよー』

そんなLINEが父ちゃんからきました。

 

11月8日。14:24。

『今回の部屋はここだよー』のLINEもきて。

 

家に帰った笑ちゃんは、

いつでも階段から来る父ちゃんを、

1番に『お帰りー』がしたくて、

こんな格好でも待っているつもりで。

 

11月8日。15:09。

『カテーテルの包帯がお出かけ仕様になったよー』

そんなLINEがきました。

カテーテルを入れる処置をする病院と、

そのカテーテルを使って処置をする病院が違うので、

いろいろと忙しかつたなあ。

こんな写真を送ってくる父ちゃんでしたが、

この処置はめちゃくちゃ痛いのだそうだよ。

1番最初は痛くて泣いていたもんね。父ちゃん。

 

11月8日。15:14。

『おやつにプリンでたよー』

なんだか嬉しそうなLINEでした。

 

11月8日。18:58。

待っても、待っても、この日は父ちゃん帰って来なかったねえ。

疲れて、父ちゃんの枕で寝ちゃった笑ちゃんでした。

 

11月9日。4:33。

母ちゃんと2人で朝の散歩。

まあ、やる気無しの笑ちゃん。

父ちゃんいないとつまらないんだろうなあ。

母ちゃんも同じだよ。

 

11月9日。6:37。

笑ちゃんを、ばあちゃんちに預けに行きますよー。

 

11月9日。7:18。

父ちゃんを違う病院に移動するのに、

母ちゃん迎えに来ました。

当然、入院しているんだから、

朝ごはんは出るんだけれど、、、

その病院の朝ごはん、

『明日の朝は食事いらないです』

なんて父ちゃん前の日に勝手に断ってしまう。

 

少しの時間でも外の空気を吸いたいからだ。

だから母ちゃんが簡単なお弁当を作って持っていき。

病院の駐車場の車の中で朝ごはん。

1分でも1秒でも病院から離れていたいんだよね。

 

11月9日。8:38。

処置をする病院へ到着。

外の世界では分からないけれど、

大きな病気と共に生きている人は、

たくさんいるんだよね。

うちだけじゃない。といつも思う。

 

11月9日。8:42。

ここでも何回もお世話になった父ちゃんでした。

 

2021年の10月に自家移植をした父ちゃんでしたが、

効果は数ヶ月しかなく。

全ての治療法をやり尽くし。

最後の大きな治療をする事になりました。

父ちゃんのリンパ球を採取して、

アメリカへ送り、T細胞の先端に、

癌を見つけやすくする遺伝子を組み込み、、、

最強のT細胞を作ってもらい移植するのだそうだ。

11月9日。9:39。

首に用意された管がここで活躍。

他にもここで差し込む管がプラスされて。

機械を通して、父ちゃんの血液がぐるぐる回ります。

6時間くらいこうしていました。

母ちゃんは隣に椅子に座り、

2人で静かに過ごしました。

お昼もここで食べたりして、

トイレへ行くときは、管を止めて車椅子で。

途中、学生が4名とドクターがきて。

父ちゃんの挑む治療の説明をしていました。

父ちゃんがしたとき、この病院で5例目。

数が少なく目にすることもなかなかできないので、

笑ちゃんちはお願いされて承諾して。

『この治療の薬価は?』とドクターが学生に質問。

学生が、だんまりすると、

『3千2百64万円』とドクター。

さらに、だんまりする学生たち。

笑ちゃんちも最初聞いたときは、

だんまりどころか驚きでしたが、

なんども聞いているうちに慣れてしまいました。

これで病気が治るならお安いもんだ。

 

11月9日。15:26。

採取終えてふらふらですが、

みんなの写メ用に笑ってもらいましたっけ。

これで真っ直ぐ家に帰るわけではなくて。

朝、退院して来た元の病院へ戻り、

首の管を抜いてもらいます。

行ったり来たり、

ふらふらの父ちゃんには大変だったと思います。

それでも母ちゃんと2人で、

くだらない世間話をしながら、

楽しい時間でしたねえ。

 

11月12日。蟹。

金沢市内に、父ちゃんの事を我が子のように

可愛がって下さる方々がいて。

何とか父ちゃんに元気になってもらいたい。

様々応援して下さいました。

その気持ちに応えようと、

本当に頑張っていた父ちゃんでした。

11月18日。17:02。

しかし、この頃から腎機能がまた落ち始めます。

癌細胞が多いと抗がん剤でやっつけられた癌細胞が出す

成分がゴミとなって腎臓に集まり、腎機能落ちます。

素人の考えだけど、、、

結構な勢いで癌細胞が増えている最中、

↑のリンパ球採取をするには、

3週間も抗がん剤を止めなくてはいけない時がありました。

そりゃ、調子に乗るよね癌細胞。

敵が居ないんだもの。

こんな愚痴を言っても、

父ちゃんの治療に逃げ道は無く。

選ぶ手段も無い状況でした。

腎機能落ちるときは、父ちゃんけっこうヤバいとき。

それなのに、この日の朝一、

8:30、母ちゃんの免許の更新に運転してくれて。

これが最後、次回からは母ちゃん1人で行かなくちゃ。

 

11月19日。12:23。

前日に父ちゃん入院して、

だらだらと家で過ごしていた母ちゃん。

そこへ、石川県からぐっちママ&パパさんが。

残念、父ちゃん入院しちゃったの。

この後父ちゃんに連絡して、

電話していた父ちゃん。

いつもの声じゃなくてね。

病気でかすれた小さな声しか出なくてね。

それでも来てくれたお礼を伝えた父ちゃんでした。

 

11月29日。16:24。

洗濯物を回収しに行きました。

元気な父ちゃんを伝えたくて、写メして。

みんなに送りました。

 

11月24日。退院。

今回の入院から、骨の痛み止めの薬を、

医療用麻薬に変えました。

生活のクオリティーを保つために。

これまでは、内臓への負担を考え、

麻薬を嫌がっていた父ちゃんでしたが、

かなりキツくなってきたんだと思います。

麻薬を始めた事により、

反応の悪さも拍車がかかりました。

ピース✌️していて本人は笑っているつもり、

これでも、必死に笑っているつもりなんです。

、、、

見ていて、本当に辛かった。

 

11月24日。13:39。

父ちゃんが起きたら、動く、

それまでは、みんなで静かに過ごしていました。

笑ちゃんもそれができちゃうの。天才。

 

11月28日。散歩。

血液が自分で作られない。

酸素不足で苦しい散歩です。

だけど、未来の自分の体力のために、

少しずつ本当なら頑張っていました。

 

とても真似ができません。

 

2022年 11月8日〜11月28日の事を載せてみました。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[16]

2023-06-11 16:24:58 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2022年 9月16日。

まだまだ普通に散歩ができると、

信じて疑わなかった頃でしたねえ。

 

笑ちゃんも、父ちゃんにずっと甘えていられると

思っていたのにねえ。

 

9月22日。

いつもそばにいたのに。

 

9月23日。

笑ちゃん病院の日。

 

父ちゃん普通に運転もできていて。

 

わんこたちのお墓参り。

 

10月8日。

04:21。

旅の始まりは近所のセブンから。

 

5:01。

高速にのって。

 

9:51。

サービスエリア休憩に、

こんにゃく玉食べたりしてね。

 

11:18。

ついに初めての秋田県。

見て見たかった鳥海山。

 

11:18。

日本海は象潟へ。

 

13:43。

見てみたかった、九十九島。

 

13:43。

歩いてみました。

16:38。

地味な母ちゃんのブログに、

ちょこちょこ来てくれる秋田県の人。

その人と、運が良ければ会えるかなー。

ちょいちょいヒントを出しながら、

秋田県へ来たのです。

宿も載せてみて、連絡を待ちました。

17:48。

運良く連絡が来て、一安心。

近くのモンベルさんへ買い物へ行きました。

モンベルでの買い物、父ちゃんとはこれが最後になりました。

 

20:18。

朝から嬉しそうにしていました。

疲れ果て、早くに寝ました。

 

10月9日。

秋田の方に教えて頂き、水のきれいな散歩をしました。

 

予定していた角館へも行きました。

10月9日。

結婚生活、たったの20年。

これが最後の3ショットとなりました。

 

10月9日。

奇跡的に秋田で会えたお友達。

にこりちゃん。

またね。とお別れしたのに。

最初で最後の父ちゃんになっちゃってね。

 

10月10日。11:42。

帰り道も、それはそれは楽しそうに、嬉しそうに。

また次もきっとある。

頑張って運転していました父ちゃんでしたが。

これが人生最後の旅となりました。

2022年 9月16日〜10月10日までの事を載せてみました。

 

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[15]

2023-06-07 15:29:17 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2022年 5月30日。

笑ちゃん、、術前検査で東大へ行きましたねえ。

父ちゃんが、普通に車の運転もできて、

普通に歩けて、

そんなときで、ほんと良かった。

 

早めに着いて、散歩しました。

 

病院の前で。

 

 

 

6月3日。

布団で横になる父ちゃんを、

ペロペロ看病する笑ちゃん。

1日に何度もこうしていましたねえ。

 

6月13日。

お風呂に浸かっても、ペロペロしにいく笑ちゃんでした。

笑ちゃんだって大きな病気なのにねえ。

 

6時13日。

笑ちゃん手術本番の日。

朝の散歩は普通にしました。

 

さ。入院の荷物を持って出発てすよー。

 

術中に亡くなる確率もまあまあ高かったので。

みんなで写真したんですよね。

まさか、父ちゃんの方が先に逝ってしまうなんて、

このときは思いませんでしたよ。

ほんとに。

 

6月17日。

本当はまだまだ入院しなくてはいけない笑ちゃんでしたが、

わんわん吠える、ここから出せー!をする。

これ以上の入院生活は余計に悪化する。

そんな事で連絡来て、お迎えに。

数日だったのに、さらに激痩せしていて驚きましたよ。

そして、置いてけぼりの恨みを、

父ちゃんと母ちゃんにぶつける笑ちゃんでしたっけ。

 

そんな笑ちゃんの勘が冴えたのか?

帰ってきてその明け方に、

じいちゃん亡くなり。

奇しくもその日は6月18日、

父の日でした。

6月24日。

ばあちゃんは、ずーっとじいちゃんから離れず、

こうしていました。

起き上がる気力もなくなり、、、

現在、同じ体験をしている母ちゃんは、

今なら、このばあちゃんの状態がよく分かる。

これは、なった人じゃないと、

本当に分からない。

 

7月11日。

じいちゃん亡くなって喪に服したいところですが、

みんな癌、みんなに時間がない。

そうは言っていられず。

 

父ちゃんと相談して秋田へと、予定を立て始めました。

 

7月27日。

この頃からでしょうかねえ、

また癌細胞がじわじわと動き出したのは。

憎きやつらですよ。

 

父ちゃんにリード持ってもらって、

ご機嫌でお散歩。

笑ちゃんは最後までしてもらいたかったと思います。

ほんと、悔しいですねえ。

 

2022年 5月30日〜7月27日までの事を載せてみました。

 

↑最後まで履いていたスニーカーです。

今は玄関に揃えて置いてあります。

二度と足音がすることはありません。

 

胸が苦しくなります。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[14]

2023-06-03 19:42:50 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2022年 3月28日。

笑ちゃんちの散歩道。

 

2022年の桜が、

父ちゃんの最後の桜になりました。

4月2日。

お菓子作りの材料に、

この生クリームをいつも頼まれていたっけ。

4月7日。

父ちゃんの治療の日、

近くの道の駅で買っていた祭り寿司。

これが美味しいんだ。

 

4月8日。

シャツを、後ろ前逆に着ていると言うのに、

まるで気がついていない父ちゃん。

胸元にあるはずのポケットが背中にいますけど。

 

4月8日。

庭のジューンベリーの花満開。

これも、去年が最後の父ちゃん。

 

4月19日。

笑ちゃん健康診断。

癌が見つかりました。

エコーで見つけちゃう、

母ちゃんが20代の頃から信頼している先生です。

 

ここから、車の中で待つ父ちゃんに、

『笑ちゃんに癌が見つかった』の連絡をしたっけ。

4月27日。

元気なのにどんどん痩せていく感じの笑ちゃんで。

父ちゃんも癌、笑ちゃんも癌。

口数も減る、笑ちゃんちでした。

5月6日。

母の日、父の日、まとめてプレゼントを。

 

じいちゃんと、ばあちゃんは大喜び。

 

5月14日。

福島県は、伊佐須美神社でご祈祷を。

父ちゃんの病気をどこかへ吹き飛ばせー。

 

5月14日。

明日が誕生日の笑ちゃん。

馬刺しを父ちゃんからもらっていました。

 

5月14日。

3月から職場復帰をした父ちゃん。

有給休暇0で頑張っていました。

大好きな福島県はサンディーズさんへ。

 

5月15日。

前年度と表情と反応が少し違ってきました。

治療しながらの仕事はキツイと思いました。

仕事辞めてもいいんだよ。

何度も言いましたが、

今の生活を守りたかったのだと思います。

 

良い事も、悪い事も、普通の事も、

父ちゃんの思うままにしてあげようと決めました。

 

サンディーズで朝ごはんもお腹いっぱ食べて、

出発までは、おめめを休めて少し休憩。

 

ちゃっかり笑ちゃんも。

 

5月20日。

自宅近くを楽しく散歩。

この頃は、自家移植の効果があり、

骨の痛みも少なく、

癌細胞も、無くなりはしませんが、

落ち着いてくれていました。

 

2022年 3月22日から5月20までの事を載せてみました。

もう、来年の今は無い。

最後の3月から5月だったんだなあ。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。[13]

2023-06-01 06:52:25 | 笑ちゃんの父ちゃん。

 

2022年 1月6日。

笑ちゃん地方に雪が降りました。

 

 

翌日、暖かな笑ちゃんちにしては積もりました。

 

1月8日。

5ヶ月の入院生活終えて、じいちゃんが退院して来ました。

この時のお迎えも笑ちゃんの父ちゃんがしてくれました。

 

じいちゃん、笑ちゃんの父ちゃんが大変な最中。

どさくさに紛れて、母ちゃんも喉の手術をしました。

『あー、癌じゃなくて良かったー』

そう言っていた父ちゃんでした。

 

そうだよね、2人が倒れたら笑ちゃん可哀想。

 

2月17日。

軽井沢の南季の灯火さんへお泊まりに。

 

そろそろ職場復帰。

その前に行ってみたかったんだろうなあ。

 

2月24日。

職場復帰の前にどうしても会ってお礼をしたい。

 

金沢のお父さんとお母さんのところへ挨拶へ行きました。

 

実の両親よりも親らしい事をたくさんして頂きました。

感謝。

 

雪の金沢までの往復は大変そうなので、

軽井沢まで車で来て、そこからは新幹線で金沢への往復をしました。

 

軽井沢からの帰り道、ドライぶを楽しんでいた父ちゃんでした。

 

横になっている時間も多いですが、

 

だんだんと調子を上げて。

 

2022年 1月6日から3月4日までのことを載せてみました。

 


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