笑日和

わんこと楽しく

笑ちゃんの父ちゃんの事。⑥

2023-04-29 08:12:47 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 4月9日。

近くの菜の花畑へ散歩へ行きました。

 

家でゴロゴロしていたら、

近くにこんなところがあるよ、と連絡きて。

直ぐに散歩へ行ってみた笑ちゃんちでした。

 

すごく静かな場所で、

こんなところなら、引越しして来てもいいな。

現在の住まいもかなりな田舎ですが、

もっと静かな場所への憧れもあった、

そんな父ちゃんでした。

 

葉っぱを、

 

炒めて、味付けして、

 

ふりかけにしました。

 

ふきを炊くにも楽しそうで。

 

 

 

 

 

血液を作る材料の元になるものが癌化しているので、

この頃は時々でしたが、

今日は赤血球、

今日は血小板、

交互に輸血をしていた父ちゃんでした。

 

えーっ? 包丁やりたいのー?

 

まあ、言う事を聞かない父ちゃんなので、、

 

隣で見守り。

 

たけのこ。

 

 

料理は手伝い程度でしたが、

おやつは、全部父ちゃんです。

中のあんこも、小豆から。

大判焼きに、

 

ガトーショコラ。

美味しかったよ。

 

みんなでキッチンに立って、

本当に楽しい日々でした。

笑ちゃんも嬉しそうで。

 

なのに、今のキッチンは、

火が消えたように静まり返って。

 

本日の笑ちゃん。↓

今日は早朝も歩きたくなくて、

さっきも散歩へ行こうと出かけましたが、

直ぐに帰って来て。

ゴロ〜ん。

 

数キロ先の高速道路、

今頃は大変な事になっているのかな?

 

今日の千葉県は曇り空。

風があるけれど、

過ごしやすい気温です。

 

2021年 4月9日から5月13日の事を

載せてみました。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。⑤

2023-04-25 20:19:34 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 2月22日。

こんなお願い事もしましたねえ。

 

 

 

木のコブに触ると良いとかで、、

 

でも、この日は乗り気じゃなかった父ちゃん。

なぜなら、笑ちゃん入れない神社だったから。

 

2月24日。

房総半島も南の方。

菜の花を見に行きました。

 

行きたいところ、

行きたい日、

したい事、

何でも言うんだよ。

父ちゃんには、そう言っていました。

 

体調良い日はやっぱりドライブがしたかったようです。

2月24日。

 

午前中の治療を終えて、

ランチへドライブ。

腎機能落ち気味?顔が浮腫んでいても、、

嬉しそうでした。

3月16日。

 

3月19日。

春彼岸。わんこたちのお墓参りへ。

 

3月20日。

父ちゃんのコルセットが少し写っていますが、

ドライブの次に好きな事、

キッチンに立つこと。

 

母ちゃんの手伝いを、よくしてくれました。

 

3月22日。

時はコロナで、免疫の無い父ちゃんは、

人混みNGなので、

スーパーやコンビニへも行かせませんでした。

この頃の軽井沢、本当に人が居なくて、

有り難かった。

軽井沢のタリアセンにて散歩を。

 

軽井沢の行き来、サービスエリアにも寄らず、

まっしぐらに。

サービスエリアも人がいるので、

感染が怖くて。

そんな事をしていました笑ちゃんちでした。

 

3月26日。

家の近くの遊歩道。

人のいない時間を選んで、歩いていました。

何年先も桜を見られますようにと願いながら。

 

3月29日。

父ちゃんが大好きな福島の宿へ。

 

ここに来ることが1番嬉しそうでした。

ですが、名物の馬刺しは、

免疫力がないのでNGでした。

いつか食べられるかなー、、と思っていましたが、

最後までOKが出る事はありませんでした。

それでも、宿のオーナーさんが様々工夫してくれて、

有り難かったです。

 

2021年2月〜3月の事を載せてみました。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。④

2023-04-22 19:19:14 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 1月19日。

退院してから初めての外来通院が始まりました。

検査で病院内を結構歩くので、

車椅子で移動したりしていた頃です。

この頃は週に2回の抗がん剤治療。

 

この日は、午後父ちゃんの治療終えて、

家に父ちゃんを送り届けて寝かせたあと、

母ちゃんまた病院へ戻りました。

栄養指導を受けるために。

 

ご飯の量やら、

 

魚ならこれくらい、

 

などなど、

大変だったのは塩分の量。

ほんのわずかな量で、、、

あとは出汁とかで味を誤魔化す感じ。

 

家にある調味料は全部、減塩に変えました。

 

それと、これ、

MCTオイル。

 

入院して痩せる、

皮膚がほろほろと剥がれ落ちる。

 

このオイルを、味噌汁にもたらしました。

 

この栄養指導の日の事をよく覚えています。

 

まだ病院も通い始めた頃の事で、

勝手がよく分かっていなかった母ちゃん。

 

午前中に父ちゃんの治療で、

その治療終えたらお会計をしてしまったのだ。 

それから父ちゃんを家へ送り、寝かせて、

また病院へ戻り栄養指導を受けたのだが、

栄養指導にもお金が発生するのは知らなかった。

またまた会計へと言われ、受付へ行くと、

大きな声で叱責されました。

 

『まとめて会計して下さい❗️』

 

なんだかね、、、

お昼も取らずに1人で駆けずり回っているのに、

情けないやら、悲しいやら、

車に乗ってから涙が溢れて。

なかなか家に帰らないでいたら、

父ちゃんから電話きた。

『まだ終わらないの?』

 

これこれ説明したら、父ちゃん、

『ごめんね、俺のせいで嫌な思いさせて』

『早く帰って来なー』

 

癌患者の父ちゃんに、ごめんね、

なんて言わせてしまった。

もう、自分が嫌で嫌で、

情けなくて、情けなくて、、、。

余計に泣けた、そんな日でした。

 

免疫を上げて欲しくて、

ゆっくり入浴もしてもらいました。

 

昼夜関係なく、ほとんどは寝ていました。

抗がん剤治療は、キツイんだと思います。

この頃はまだ、この程度でしたが、、、

 

それでも母ちゃんの手を借りる事なく、

お風呂も、トイレも、洗面も、

自分で出来ていた父ちゃんでした。

 

そしてまた治療、

 

2月。

↑の治療のあとに、

父ちゃんがドライブへ行きたい。と言いました。

 

この日、退院して初めて、

笑ちゃんのリードを持つ事ができました。

 

大丈夫?の問いに、

『こうしてみたかったんだよ』と、

とても嬉しそうでした。

 

2月6日。

この日は調子が良く、

小豆を炊いていました父ちゃんです。

 

その2日後には、

また寝る。

体調には波がありました。

 

2月9日。

またドライブへ行きました。

 

県内ですが、神社へ。

息を吹きかけて、

 

えい!っと投げて割る。

 

機会があれば、よくこんな事をしていました。

少しは気が軽くなるように。

 

2021年 1月から2月の事を載せてみました。


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笑ちゃんの父ちゃんの事。③

2023-04-19 19:50:26 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2021年 1月1日。

笑ちゃんの父ちゃんは年末年始お休みですが、

母ちゃんお仕事。

 

なので早朝の散歩がてら、

事が事なので、近くの神社に初詣。

と言うか、神頼み。

 

笑ちゃんを抱っこしてお参りしましたが、

この直後には、痛みでリードも持てなくなりました。

 

1月4日。

朝一番で、大きな病院へ行き。

夕方まで検査をしました。

ピースなんてしている父ちゃんですが、

この時の状態は、

夜中にトイレに行くときに、

起き上がるまで30分かかるほどの痛みがありました。

このあとの説明で、この日から入院する事になりました。

血液検査へゆっくり歩いて行き、

CT検査へも歩いて行き、

まる1日歩いていた父ちゃんの元に、

車椅子が用意されました。

その車椅子に乗るように促されて、

その車椅子の後ろを母さん着いて行きました。

 

着いたところは一般病棟ではなく、

ICU(集中治療室)でした。

 

一旦先に入った父ちゃん、

その間に、書類の記入をする母ちゃん。

事の重大さに、母ちゃんの弟も駆けつけました。

 

ここに来る前に、

症状を入力するとある病名にたどり着く。

全くもって、その通りな症状で。

 

そして、先生からの説明でも、

その病名が告げられました。

 

多発性骨髄腫。 

血液の三大癌、なのだそうだ。

 

ん?何なのこれ。

腫ってついてるけど、え?癌なの?これ。

 

父ちゃんも母ちゃんも初めて聞きました。

 

調べてる段階で、

漫才師の宮川大助・花子の名前が出て来る。

 

あ、特番で見た事あるよ、これ。

花子さんが、痛い痛いって言って起き上がれない。

そんな場面をテレビでやってたやつだ。

 

やっぱり癌なんだ。

 

無言になる父ちゃんがいました。

 

ただ、先生からは、

『今日来てもらって良かったですよ』

と、言われた父ちゃんでした。

 

すでに腎不全を起こしていたのだ。

 

直ぐにでも抗がん剤をスタートさせたいところですが、

先ずは腎臓の機能を回復させてから。

 

そんな流れで、透析からのスタートをした父ちゃんでした。

 

母ちゃんと弟がICUへ入れてもらえました。

父ちゃんの目から涙が流れていました。

てっきり、悲しくて泣いているのかと思ったら、

首からの処置があまりにも痛くて、

それで泣いていたんだと。

 

一日中検査、そして父ちゃんを病院に置いて帰る寂しさ。

帰りの車の中で、母ちゃん弟に言いました。

『みんなのために頑張る人なのに、

この世に神様なんていないね』って。

 

ばあちゃんと留守番をしていた笑ちゃんを

迎えに行って、我が家に帰って来ました。

 

笑ちゃんは不思議そう。

ずっと父ちゃんの布団から離れません。

退院したときの事を考える母ちゃん。

介護ベッドをレンタルするか、

父ちゃんに聞くと、要らない。と。

 

まあ、でも、

トイレ含めて水回りが近くないと。

 

母ちゃん、一階の寝室から布団を、

2階リビングへ運びました。

リビングが病室に変わったときです。

どこに布団が来ようと、

笑ちゃんは父ちゃんの場所を守っていました。

 

 

仕事終えてから、洗濯物の持ち運びをする生活になりました。

笑ちゃんと一緒に。

 

1月9日。

1つの山を超えた父ちゃん、

一般病棟へ移動する事が出来ました。

 

年末の記憶がなかったのは、

腎不全を起こしていて、尿毒症が起きていて、

それで、記憶がなくなった。

 

この病気は、血液の病気なのに、

骨を壊してしまうという、

厄介で治る事がない病気でした。

 

治る事が無いので、高額な医療費が一生続きます。

ありがたい制度を使います。

これを初めに提出すると、

限度額までの支払いで済みます。

 

ただ、複雑で、

病院ごと、、診療科ごと、の限度額なので、

父ちゃんみたいに、いろいろな科にかかると、

まあまあそれなりに。

 

やがて父ちゃんは破格な治療をする事になりましたが、

それは、それなりの請求額でした。

 

さあ、笑ちゃんが父ちゃんを探し出します。

どこー、父ちゃん。

 

ねえ、父ちゃんはどこなの?

 

始めの頃は、本当に大変でした。

散歩も歩かない、家の中でも探しまくる。

耳を澄まして父ちゃんを探す。

 

1月14日。

退院の1日前。

病院のコンビニにて。

 

このときも、

免疫ないのにコンビニ行くなんて。

母ちゃんに小言を言われた父ちゃんでした。

 

でも、嬉しかったんだろうな。

家に帰れるのが。

つい、はしゃいじゃったんだよね、父ちゃん。

 

このときは小言を言ってしまって、

ごめんね。

 

みんなに送るための写真は、

母ちゃんが『笑って』と必ず言ってました。

みんなが心配するといけないので。

 

でも、退院して普段の父ちゃんはこうでした。

 

 

笑ちゃんは、帰って来た父ちゃんに、

飛びつき喜びました。

 

1番痛みの強い肋骨めがけて、

ジャンプ ジャンプしてしまって。

 

帰ってきて嬉しい、

笑ちゃんと会えて嬉しい、

でも、強烈痛い。

 

そんな1度目の、入院と退院でした。

このときから、1年3ヶ月の休職をする事になりました。

 

2021年 1月の事を載せてみました。

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。②

2023-04-15 08:56:40 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2020年10月。

部屋の厚手のカーテンを変える事にしました。

無地のものから、

 

木々に小鳥のものに。

後に、『あのときこれに変えて良かったなぁ』と、

父ちゃんがしみじみと言う事になるとは。

 

11月。

父ちゃんの肋骨の痛みは、一向に治らず。

それでも、まだ普通の会話はしていた頃。

 

父ちゃんの洗濯物、

カゴにも入れず、ほんと、何度言っても頭にくること。

 

『ねえ?足の指は1本しかないの?』

 

そんな事も言っていた母ちゃんでしたよ。

 

デパートへ買い物へ行って。

一枚の敷物にスーっと引き寄せられて。

どこに敷くのかも想像もつかないのに、

お持ち帰り。

 

家に帰ってから、いろいろと置いてみるけれど、

イマイチしっくり来ない。

 

これが後に、ぴったりの場所を見つける事になるとは。

このときは想像もできませんでした。

 

11月、この年はこれが最後の病院かな?

笑ちゃんの病院の近くのお煎餅屋さんへ。

おばあちゃんが1人で頑張っているお店。

コロナなので、行くたびに応援も兼ねて、

よく立ち寄りました。

 

笑ちゃんもこのときは元気に、

問題なく過ごしていた頃です。

 

12月。

点検だったのかなぁ?

車屋さんへ。

待っている間も、車好きの父ちゃんは、

あっちを見たり、こっちを見たり。

このときだって肋骨は痛いだろうに、

笑ちゃんを抱っこして。

 

コロナのこの年は、皆さん自粛生活をしていて。

その家にいるときに使うもの、

の会社に勤めていた父ちゃんは、

毎日残業続きで、

暮れに向けて益々残業になって行きました。

 

家では笑ちゃんまったり、

お散歩も、母ちゃんと2人で行く毎日になりました。

 

父ちゃんどこかな?

探しながらの毎日でした。

 

12月27日、父ちゃん仕事納めの日。

近くの整形外科の終わる30分前に、

家に帰って来ました。

 

肋骨にひび。

たったそれだけの事なのに、

痛みは増すばかり、かすれ声になる、

顔が黒ずむ。

 

それまでも、絶対にこれおかしいよ、

普通じゃないよ、病院へ行きなさい。

何度も父ちゃんに言いましたが、

言う事を聞かず。

 

それでも、もやもや感あり、

これでは新年すっきり迎えられないからと、

『今、このまま整形外科へ行って来て』

父ちゃんに言いました。

 

渋々、面倒くさそうに1人で行きました。

 

整形外科にいる父ちゃんから電話かかってきました。

『背骨にたくさん穴が開いてるんだって』

『これは整形外科じゃなくて、内科なんだって』

『明日、近くの病院に○○大学病院から内科の先生来るから、

朝一で行ってみて、だって』

 

えーっ⁉️

 

コツコツと1つずつ積み上げてきた、

幸せの積み木の山が、

ガタガタと頂上から一気に崩れてしまった瞬間でした。

 

翌日、その紹介された病院へ父ちゃんを連れて行きました。

 

血液検査、尿検査、諸々して。

結果、大きな病院へ紹介された父ちゃんでした。

 

仕事納めの日、その翌日の病院の出来事。

ときは、年末年始。

もちろん大きな病院もお休みに入りました。

 

年末年始をこの状態で家で過ごすことになりました。

気休めでお灸を、、

なぜかドヤ顔の父ちゃんです。

 

そのドヤ顔は、浮腫んでいました。

鼻血も出ていました。

 

大晦日、

貧乏暇なしな母ちゃんは、

暮れも正月もありません。

 

そんな母ちゃんをいつも父ちゃんは車で送ってくれました。

大きな月が見えた大晦日でした。

 

しかし、後から聞くと、

年末年始の記憶は父ちゃんにはありませんでした。

 

2020年10月〜12月までの事を載せてみました。

生活が一変した頃の事です。

 

 


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笑ちゃんの父ちゃんの事。①

2023-04-13 10:03:39 | 笑ちゃんの父ちゃん。

2020年1月31日。

ときはコロナで、ドラックストアーの棚から、

マスクが無くなるという現象が起きました。

 

世間は自粛ムード漂う日々が延々と続いていました。

2020年7月。

庭のガーベラがキレイに咲く頃。

 

いつものように、まったりとした休日を過ごしていました。

笑ちゃんと母ちゃんは庭木の手入れです。

 

家の中でも普通の日常で、

笑ちゃんもおもちゃで遊んでいました。

 

まだその頃はじいちゃんも生きていて。

顔見せに、父ちゃんと笑ちゃんと母ちゃんとで、

よく行ったものです。

 

笑ちゃんの父ちゃんは、

1月と7月と、年に2回健康診断を受けていました。

その7月に受けた直後の、8月に、

肋骨が痛い、と言うようになりました。

そこで、近くの整形外科へ行きました。

 

ふむふむ、なるほど、

肋骨にヒビがある事がわかりました。

 

その晩、布団に入ってから母ちゃん聞きました。

『どこかに肋骨ぶつけたの?』と。

すると、父ちゃんの返事は、

ぶつけた記憶はないね。

との返事。

 

背骨を骨折した事のある母ちゃんは、

まあね、骨は骨折したって3ヶ月で治るんだから。

ヒビくらいならね。

 

そんな軽い感じで、その時は過ぎました。

 

父ちゃんは軽めのコルセットを巻くようになりました。

こうすると楽だから、そう言いながら。

 

母ちゃんに娘がいればこのくらいの年齢かな?

そのくらい歳の離れた母ちゃんの職場仲間。

いろんな悩み事を、よくうちに来て話してくれました。

夕ご飯食べて行ってくれたりしました。

 

またには外へ出かけてみよう。

房総の海の近くへ、みんなで行きました。

父ちゃんも、その子に元気になってもらいたくて、

一生懸命でした。

 

コロナな千葉県は、直ぐ近くの高速道路に入ると、

ほとんどが都内ナンバーの車で。

 

何となく、人の少ないところで歩きたい。

そんなときがありました。

9月。

長野の鬼押し出しへ散歩へ行きました。

何より運転な好きな父ちゃんは、

ドライブのときは痛みを忘れるらしい。

と、言っていたけれど、

痛みはさておき、行きたかったんだろうなーと。

今にしてみれば、そう思います。

 

10月。

長野の海野宿。

ここも人が少なくて、心置きなく散歩ができた場所です。

 

 

 

 

今から、2年10ヶ月前の、

2020年5月〜10月までの事を、

振り返りながらなので重複しますが、

載せてみました。

 

 

 


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宝もの。

2023-04-05 04:48:04 | 日記

母ちゃんの大切な宝物が1つが、消えて無くなりました。

毎日、毎日、一生懸命に探しますが、

見つかりません。

 

2月12日。

その宝ものは、消えて無くなりました。

 

『早く笑ちゃんを触りたいよ〜』

居なくなる数日前にそう言っていた、

笑ちゃんの父ちゃんでした。

本当に、残念無念。

 

今年は早くにジューンベリーの花も咲きました。

去年の秋終わり頃にカーテンを開けて、

じーっと庭を眺めていた父ちゃんでした。

何を思いながら、は、察することはできました。

 

体格の似た男の人を見つけると、

走って追いかける笑ちゃんです。

 

歩いていて急に止まって辺りをキョロキョロ、

似た声が聞こえます。

 

笑ちゃんよ、父ちゃんはもう居ないんだよ。

今でも父ちゃんの帰りを待ち続ける笑ちゃんを見ているのは、

本当に切ないです。

 

2年半の闘病生活を送っていた父ちゃんでした。

これまでの、いろいろをゆっくり綴れたらなぁと思います。

 

 

 

 

 


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