むかし、むかし、そのむかし。
母ちゃんの住む千葉県の家のトイレは、ぼっとん便所と言われるくみ取りの和式便所。
そう、トイレではない、「 便所 」 と言われていた時代。
かれこれ、46~47年前の事。
いきなり 「 便所 」 の話からになりますが。
昭和42~46年に、東京は辰巳に87棟が建つ当時としては巨大団地が出来ました。
埋立地の全部が団地と言う、まるで団地の孤島が。
それが、都営辰巳一丁目アパート(通称、辰巳団地)であります。
皇居から見て辰巳の方角、から、辰巳団地だそうで。
銀座へもお台場へも自転車で行ける最高の立地。
そんな団地に親戚のおじちゃん夫婦が昭和42年に入居したのだ。
初めて叔父ちゃんのアパートへ行って驚いたのは、
便所に椅子があるってこと、便所に座る、座って用をたすってこと。
幼い頃、それがなかなかうまく出来なくてね~。
便座はびしょびしょ、床までびしょびしょ、洋服もびしょびしょ、
何度教えてもらっても、びしょびしょ。
幼稚園児の私、便所恐怖症になったくらい。
そのくらい、和式の便所から、洋式のトイレへの変化は、
幼い私にはショッキングな出来事でした。
おじちゃん夫婦には子供がいなく、私や弟をすごく可愛がってくれました。
特に私は、小学生の夏休みといえばここ、おじちゃんのいる辰巳団地でそのほとんどを過ごしていました。
団地の子供たちとバスに乗り、お台場の船の科学館横にあるプールで毎日泳いだり、
夏休みの宿題を一緒にやったりと、当たり前のように過ごしていました。
それには訳があり、子供のいない叔父ちゃん夫婦の養女にと、私の両親が考えていたのだ。
ところが、幼い私には全く記憶がないのだけれど、私がものすごく拒んだそうで、
私が可哀そうだ、と言って叔父夫婦は養女のことはあきらめたそうだ。
もう何年経つだろうか?
残念なことに叔父ちゃん夫婦は結果、離婚に至ってしまったのです。
おばちゃんとは血縁関係ありますが、叔父ちゃんとはそこで縁が切れてしまいました。
私の弟が結婚を決めたときに、東京の叔父ちゃんに報告したいとのことで
電話してみてお話ししました。
声を聞いたのはそれが最後、23~24年前くらい。
会わなくなってからは、もう40年くらい経つのだ。
それがここ4~5日のこと、無性にその叔父ちゃんのことが気になって気になって。
元気にしているかな~、とても会いたくなりました。
会ったら、叔父ちゃんが連れて行ってくれた軽井沢でのこと、福島でのこと、たくさん聞きたいことがあったのだ。
でも年齢からいくと、すでに亡くなってるか?
もうそこには住んでいないか?
いたとしても、前妻の姪が訪ねてきたら今の奥様が迷惑か?
もしかしてボケていて、会ってもわからない?
いろいろ いろいろ 想像しました。
それでもどうしても訪ねてみたくなりました。
そして本日、行って来たのです。
40年前の記憶を辿り、87棟から叔父ちゃんの棟を見つけ出し、
確か一番端の階段上って4階?
まずはポストで確認、「 あれ?名前違う 」
ここの団地は子供には譲れなく、一代で終わりなので、
あれ?亡くなったか? 引っ越した?
階段も2回往復してみても間違いなく叔父ちゃんの名前なない。
一度外に出てみた。
ここまで来たんだ、隣の階段上ってみよう。
すると、ありました。叔父ちゃんの名前が。
良かった、生きてる。
何の躊躇もなくブザーを押してみた。
応答がない。
2回、3回、応答がない。
コンコンコン、ドアーを叩いてみた。
応答がない。
お出かけしてるのかな?
お向かいさんに聞いてみよう。
ピンポーン。
「 は~い 」 おばあちゃんの声がした。
「 お隣・・・さんの知り合いなんですが 」
おばあちゃん出て来てくれて。
すると、「 3日前に意識不明で救急車で運ばれましたよ 」
えっ。
するとおばあちゃん、この上の方が詳しいからと、
もう一人のおばあちゃんを訪ねてくれました。
すると、「 あ~、・・・さんの~ 」
詳しくお話してくれると 「 どうぞ、入ってください 」 と
お家へ通されました。
話を聞くと、叔父ちゃんは2年前から寝たきりだそうだ。
風の便りで聞いていた再婚は、1年で終わりその後はずっと一人だと。
寝たきりなのに一人暮らし、切なすぎる・・・思わず涙こぼれました。
胃がんも経験して全摘出。
2年前からは肺炎など入退院の繰り返しだそうだ。
今は痩せて痩せて、と言っていた。
だけど、子供好きな叔父ちゃん、昔は団地の子供が留守番するときには
預かってはごはんを食べさせていたんだそうで、
その恩があるからと近所の人たちが寝たきりの叔父ちゃんの面倒をみてくれたりしたそうだ。
ヘルパーなどもフルに活用していたようで、
このお話をしてくれておばあちゃんが、叔父ちゃんの部屋のカギを預かっているんだそうだ。
「 お部屋入って行きますか~? 」 と言われたけれど、
親族関係ではない私が、叔父ちゃん留守中に入ることは出来ないと断りました。
救急車で運ばれた病院は近くの聖路加病院。
現在親族ではないけれど、一か八かで行ってみることにしました。
受付済ませて病棟へ行き、部屋の前で手を消毒して、
そのあたりから、周りにいる看護師や医師が私のことをじーっと見ているのに気が付いた。
病室に入ろうとすると 「 ・・・さんのご親族の方ですか? 」
やっぱり聞かれた。
「 昔は親族でしたが・・・ 」 もろもろと説明をして、
「 一目だけでも会わせてもらえませんか? 」 押してみた。
すると先生、叔父の耳元で 「 ・・・さ~ん、・・・さんが来ましたよ~会いますか~? 」
意識が遠のいてる叔父に大きな声で聞いてくれました。
しっかりと、うなずいてくれました。
説明してもらわなくても一見してわかる終末期だ。
顔はよく覚えているのに、まるで別人な叔父ちゃんに泣けました。
「 叔父さん、わかる? ・・・だよ 」
小さな声と 2回のうなずき。
わかってくれました。
このあと、先生からこんな話が・・・
救急車で運ばれてきたので、このような処置をしていますが、見てのとおり終末期です。
ご自分で意思表示がすでに出来ない状態なので、今後どうするか・・・
ご親族さんが決定してくれないと今後の処置が・・・
そう、いろんな装置を付けてもらっている叔父ちゃんは、
その装置を外してしまえばすぐに逝ってしまう状態でした。
可愛がってもらったのに、何もしてあげられない、情けない。
それでも親族を探す小さな糸口になればと・・・可能性のあることは病院に連絡してみました。
幼い頃、様式トイレやら玄関が引き戸ではなくドアーやら、
幼い私の目にはハイカラに写ったその建物は、老朽化が進み、住んでいる人々も超高齢。
建て替えの予定だそうだ。
東日本大震災のときには液状化でひどかったそう。
それに、今回おじゃましてお話聞いている間も
小さな地震のようにずーっと建物が揺れている。
団地の孤島から一つ橋を渡れば、タワーマンションとやらが
春のタケノコのようにニョキニョキと空にそびえ立つ。
この辰巳団地だけが取り残されたような感じ、着いたときに思わず叫んだ。
「 うわ~、オールウェイズみたいだ~ 」
一つの時代が終わるんだな~、と寂しい思いになりました。
叔父ちゃんの家で過ごした夏休み、前の公園で紙芝居を見ました。
この団地も公園も、そして可愛がってくれた叔父ちゃんも
みんな消えてしまう日が来るんだ。
不思議なこと。
叔父ちゃんが連れて行ってくれた軽井沢、良く行くのです。
叔父ちゃんが連れて行ってくれた福島、良く行くのです。
そして、叔父ちゃんにそっくりの父ちゃんと家族になりました。
そう、笑ちゃんの父ちゃんは、この東京の叔父ちゃんにそっくりなのだ。
顔も体型も。
願い。
叔父ちゃんのご親族が早く見つかりますように。
最期苦しみませんように。
そして生まれ変わっても、また叔父ちゃんと出会えますように。
叔父ちゃん家で過ごした幼いとき。
叔父ちゃんが仕事へ行くとき、叔父ちゃんの車に乗り込み団地を一周してもらうのが楽しみでした。
「 もう一周 」 せがむ私に笑顔でもう一周してくれた叔父ちゃん。
さらに、「 もう一周 」 2周はしてくれましたが、3周目には
「 おじちゃん会社に遅刻すると怒られるから、また明日ね 」 優しく言い聞かせてくれました。
こんなに可愛がってくれたのに。。。