コラム(468):商売左翼の実態
「ひろゆき氏、沖縄左翼の実態をなにげなく暴いてしまう」でお伝えした「座り込み抗議が誰も居なかった」問題、SNSで沖縄の基地周辺での”抗議活動の実態“がまたたく間に拡散され、基地反対派が激怒しています。
いま、ひろゆきさんは、彼らから「悪意がある!」、「撤回しろ!謝罪しろ!」と激しく抗議を受けているようです。しかし、ひろゆきさんをどんなに叩こうが「だから基地反対の活動は正しい」という論理とは無関係です。しかも、ひろゆきさんを叩けば叩くほど基地反対派による「平和的な?」反基地闘争の実態が明らかになってきています。
時系列的には以下の形になっていると思います。
① ひろゆきさんが座り込みしてない現場をツイート
② 痛い所をつかれた基地反対派が大騒ぎ
③ 彼らがひろゆきさんを攻撃するために「あの山城博治さんを知らないとは…」と無知を嘲る
④ それではとSNSで山城氏の暴行動画・有罪判決の事実が拡散される
⑤ 基地反対派「何故こうなった?」←イマココ
基地反対派の暴力は日常茶飯事で、沖縄在住のボギーてどこんさんがこんなことをいっています。
これも報道されませんが違法行為で身柄を拘束された仲間を取り返すために機捜車両に襲い掛かるヘイワな皆さんの姿です。こんなことをしても誰一人逮捕されない。こんなのは沖縄だけですよね。
こんな動画もあります。「自分からトラックに潜り込む男、『人が引かれてる』と怒鳴り散らす女」
また、こんなツィートもあります。これ、バラしたらイケナイことでは?
素朴な疑問
沖縄に限らず、国内で「戦争反対」、「米軍基地反対」、「原発はいらない」などのプラカードを掲げては、声を張り上げて政府批判を繰り返す人たちの姿に、多くの方が違和感を覚えていると思います。かれらの主張を一見すれば、「平和・子ども・人権・平等・動物愛護・環境」などの誰もが反論しにくいようなことを掲げています。しかし、実際に活動している人たちの顔を見ると、サングラス、帽子、中にはヘルメット姿で、顔を隠していることも多く、違法行為を平然と行っていることもよく見受けられます。
これでは、仮に社会正義の運動であったとしても、手放しで賛同することができません。かつて1970年代学生運動の「反戦平和」を叫びながら、平和とは真逆の「闘争」、「戦争行為」に国民の支持が集まらなかったのと同様に感じます。
一方で、かれらは、「民意を重んじろ」、「話し合いで解決せよ」ということを強く主張しています。しかし、いざ話し合いの場がもたれた場合、かれらの主張ばかりが会場内に響き渡る不思議な光景を見かけます。しかも、かれらに対しての反対意見は怒号と罵声で封殺します。
かりに、主催者側が科学的根拠で説明しても、また、客観的な状況説明しても「その説明は納得できない」と大声で否定するだけです。いくら丁寧な説明があっても議論はかみ合いません。国会の論戦でも同じようなことがしばしば起こりますので、そのことはどなたもよく理解できるはずです。「話し合い」とは「俺たちの意見に従え」と同義なのです。
なぜ、国家を信用しないのか
かれらの考え方の根底には「国家は悪である」【※1】という間違ったカルト思想が刷り込まれています。だからなんでもかんでも国家・政府の言うことに反発するのです。これは社会主義イデオロギーに由来するもので、1991年のソ連の崩壊とともに消え去るべきものでしたが、未だにその洗脳が解けない人が一定数います。
【※1】レーニンは『国家と革命』のなかで「国家は支配者階級による統治機構であり、その本質は暴力装置である」と説いている。「国家とは、その社会において経済的に支配的な一階級が、自己の利害を全社会に押しつけ、自らの支配のための「秩序」を防衛し、政治的支配をおしひろげるための機構である。警察、監獄、軍隊などの暴力装置が国家権力の本質的な機能を果すものである。」とする。「自衛隊は暴力装置である」との発言する政治家はレーニンの思想に染まっているということに他ならない。
また、かれらの中には「国家や権威の存在を否定」する無政府主義の思想の持ち主も存在します。「政府が権力を行使すれば、国民の自由を抑圧する」から、そういう「国家や政府はいらない」とする考え方です。
したがって、仮に原発の説明会があったとして、国側が「安全に管理すれば大丈夫だ」と言うと、「そんなものは『国家』は嘘をつくから信用できない」と反論します。また、「核エネルギーは平和利用する」と言うと、「プルトニウムを『国家』が悪用するかもしれない」と反論してきます。どこまでいっても話し合いはかみあわないままで終わります。まぁ、最初から納得するつもりもなく妨害するために来ているだけですから。
テロリズムの本質
このような「国家は悪である」、「国家は不要である」という考え方をエスカレートさせればテロ行為に走る可能性も高くなります。現在の沖縄の反基地闘争はテロ同然と見るのが正しいと思います。テロリズムは、思想や言葉での主張よりも、違法な行動や暴力に訴えていこうとするものなのです。
また、政府批判を繰り返す勢力の根底にもテロリストと共通する思考があります。それは、日本という国家に対する憎しみの感情です。そのために、憎しみの対象を破壊するためには何をしてもいいと思っているのです。要は、「反基地」、「反原発」、「反戦」は名目で、自らのテロ行為を正当化するための口実にすぎなません。
そして、破壊されたくなければ、テロをやめさせたいなら、「金寄こせ」と脅迫してきます。これが彼らの本音です。金がすべてなのです。日本の左翼は、長年の反国家闘争から、国を脅せば金になる、商売になることを学んできたからこうなったのです。いつのまにか、国家への憎しみが商売になることがわかったのです。だから、これまでの「過激な闘争」には、補償金名目で莫大なお金が支払われていたのです【※2】。
【※2】1977年9月28日に発生した日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件では、600万米ドル(当時の為替レートで約16億円)の身代金が支払われた。また、成田国際空港建設に反対する闘争では、土地を収用された反対派住民に別途、補償金が支払われている。現在の沖縄の反基地闘争も例外ではない。
まさに、日本の左翼は、暴力団や海外のテロリスト集団と同じ手法で金を稼いでいるのがおわかりになると思います。したがって、彼らは金のために違法行為や暴力もいといません。しかも、かれらにとっては、金と破壊が目的なので、最初から建設的な代案などありません。ものを破壊してすっきりするような精神とはどのようなものなのかを想像すれば、おおよそ彼らの精神性がどのようなものか理解することができるのではないでしょうか。ここに、沖縄の反基地で運動する人たちの本当の姿があると見て差し支えありません。
余談ですが、もっとはっきり言うと野党の国会議員も同類です。いまは存じませんが、かつては野党議員が騒げば国会対策費から現金や、ワイシャツお仕立券、靴券などが議員の格にあわせて渡されていました。今の辻元さんクラスなら一回騒げば30万円くらいが相場だったようです。これが昭和の時代にさかのぼるなら、もっと高額でしかも宴席の接待もありました。この味をしめたら野党議員は議員という座にしがみつきますし、天から降ってくるなにかを待って大声を出し続けていたわけです。昔の話ですよ、念のため。
こう見ていけば、左翼がなくならないのも、立憲民主党の議員が騒ぎ続ける理由もわかると思います。すべては己の欲得のために左翼運動をしているわけです。「戦争反対」、「米軍基地反対」、「原発はいらない」などは単なる付け足しに過ぎません。最近では、れいわ新選組の支持者がことあるごとに「10万円の給付金をよこせ」と言っているのも、彼らの運動が先細り飯が食えなくなってきた証拠で、本音を言い始めたと理解すべきです。
ということは、裏を返せば、日本国民全部が金持ちになったら左翼運動は自然と消滅することになります。
そのための新しい経済の仕組み、みんながwin-winになる経済的価値観を確立したら世の中が確実に変わります。そんな独創的な考えがすでに出てきているのではないかと想像しています。その時は意外に近いのかもしれません。
お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com【コピペしてください】
FBは https://www.facebook.com/akaminekaz