コラム(159):週刊誌記事について
新聞の影響力が低下している中、週刊誌の影響力が増しているようです。記事で個人的な失敗や醜聞が大きく取り上げられた途端、当人に対する激しいバッシングが始まり、社会的な活動が出来なくなるまで追い詰める風潮が気になります。
週刊誌記事の奥にある精神性
新聞に報道機関としての公正さが求められているのとは異なり、週刊誌は報道機関としては認知されていません。
その理由は週刊誌の記事は、記者や編集者の思い込みや感情で記事が書かれているからです。記者や編集者の気持ちに「あいつは気に食わない、図に乗っている、貶めてやりたい」などの個人的な感情が入り、それが読者の嫉妬心や憎悪の感情を煽っています。要するに、編集者も読者も人の不幸を見て喜ぶという共通点があります。正義の名のもとに人の失敗や不幸をあげつらうことで、あたかも自分自身が優位に立っているような錯覚に陥っているのです。
また、こうした週刊誌記事に共鳴して国会で質問する議員にも同様の精神性が内在しています。週刊誌記事に基づいて国会質問すること自体、自らの品性の程度を晒すことになります。
無秩序な社会をつくってはらない
もう一つの問題として、週刊誌である人物を取り扱う場合、特徴的なのはその人物の人格の全否定をしているところにあります。その失敗はその人の人生の一部分であってすべてではないはずです。その部分だけで人格すべてを裁く権利があるのでしょうか。それは週刊誌もテレビも新聞も、私たちすべてにも言えることです。これは法秩序を無視した私刑(リンチ)と同じ暴力行為です。
この状態が続くと、あちこちでアラ探し、悪者探し、犯人探しの殺伐とした世の中になり、排他主義やファシズムの温床になりかねません。また、週刊誌の記事に依存し、自分の信念や考えを持つことを放棄してしまうと知性の劣化を招きます。
マスコミ全体、国民全体が考えを改める時期に来ているのではないでしょうか。
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