今では観光の名所でもアンコールワットだが、ベトナム.カンボジア戦争時代には
ゲリラの総拠点となっていて政府軍も8圏内に侵入できなかったのだ。
戦況が長引く中、もしもアンコールワットの撮影に成功したら最高の栄誉を受賞できると言われていた
またまたアメリカがでてくるのだが、密林の中を自由に動きまわるゲリラにノイローゼになる隊員が
でていて本国へ送られた。ランボーのような屈強な隊員ばかりではない。
アメリカのやり方戦術は 進軍する方向を焼の原にして進むという方法で、密林では通用せず
最終的に枯れ葉剤という禁断の生物化学兵器をばらまいたのだ。
一ノ瀬泰造については何度も何度もふれた。是非氏の書籍を読んでもらいたい。
ところで、彼はアンコールワットに続く道の写真を最後に 8年後まで行方不明だったが
地雷を踏んだらサヨナラ の後半に知り合いの結婚式の様子を残している。
それはもちろん自由だが、大好きな写真家星野道夫も死の前に、さらにサワキョウこと澤田教一
など なぜかそれまでの作風とは違うものを写したあとに逝去している写真家が多い気がする。
この時代の戦場カメラマンは広角レンズを使っていたので 最前線でないと良い写真が写せず
一の瀬がかぶっていたヘルメットには銃弾の跡が残っている。
アンコールワット遺跡は様々な時代の様々な人間模様を刻んでいるに違いない。
命をかけて目指した時代あったことをどれだけの人が知っていrのだろうか。