実は北杜夫氏の優しさ、人を大事にしてくれた生涯、そこのほんの僅かな部分に少しだけ関われたことについて
幾度かこのブログに書いてきた。それは、長い期間繰り返してきた北氏との文通だという事も書いた。
そして、恐れ多くも「先生の研究者になりたい」と北氏に手紙を送ってしまった事とそれに対してのお返事を
頂いたところまで書いたと思う。
「研究は結構ですが小生現在鬱なので、お返事が遅くなる場合もありますので・・・ではお元気で」
いずれは、この現物をしかるべきタイミング公表するか、ご家族へお渡ししたいと思っているのだけれど
私にとっては、宝物であることは言うまでもなく、氏の訃報が流れる1年前に読売新聞の書評関係部署に
連絡をしたことがある。書評を書いている人の中には知り合いの教授がいたのだが読売新聞の部署は
えらく高圧的であり辞めた経験がある。何よりも、ご自宅を存じているのでそちらにお送りすればよいことかも
しれないのだが、まだ私の心の中では、かなりプライベートな事が書いてあるものも多く踏み切る事ができない。
受けた恩をかえすのが筋なのかもしれないとは思うのだが・・・・。
閑話休題 その手紙を頂いた頃は躁病のあとの鬱がかなりきつそうだったので、原稿もはかどらず・・・
といった様子ゆえに、初めて返信をためらってしまったのである。
しかし、それまでに何十回も長いスパンが開く事もあったけれど律儀にお返事をくださっていたので
「良いですよ」という言葉を頂いたのであると解釈すれば、よいのだと考えたりしたのだが、
何度も返事を書いてはみたものの気に入らずに取りやめにしていた。
私は小人物である為に、自分の受験やら現役で入った大学が気に入らずに2週間もせずに退学して
別の大学に変更した為、無駄になった入学金やら寄付金等、そして受験したい大学の入学金を稼ぐ為に
夜中の2時から深夜11時過ぎまでアルバイトに没頭する生活が続いてしまって、まさしく寝る間が惜しく
ではなく欲しくて仕方がなくなった生活だったのだ。
そんな生活をしている中で、ようやく返信の文面がひらめいた。
「先生、先生がマンボウと名乗ったきっかけのマンボウは水中では物凄い速さで泳ぐわりに、普段はのんびり
とみえるとありました。私は事情があって今水中のマンボウ状態になりました(中略)立派な研究者になる為に
(中略)先生が鬱を脱する頃と時期的には同じになるかと(中略)以上ですが、どうかどうぞどうしても、
お忘れになられないでくださいませ」(自分が出した手紙が無いのだが、こんなに下手くそで陳腐な文面でjは
無かったと思うのだけれど。)
と手紙を送る事ができた。
で、思った。これじゃ逆だなと。一読者と流行作家なのに・・・・・・。
(また つづく)