上野発の夜行列車降りた時から~~演歌の歌詞にあるように、寝台列車は新幹線などの
交通網が発達する前には 寝台列車が長距離移動の根幹だった。
戦後地方から都内に集団就職するという時期があり、この時は上野駅に皆降り立ち
就職組の最初の一歩になっていたのだ。今の時期の寝台列車といえば、高級なしかも
遊び感覚があるもので移動用から観光用に変貌した。実は電車には詳しくないので
リアルな描写ができないが、テレビドラマなどで見た限りあんなに粗雑なところで
寝なければならないようだ。一方で後部車両にパノラマの窓がついて調度品も
贅沢な寝台列車の乗車券はなかなか手に入らないようである。なにせ一度の運航で
1組しか占有できないのでプレミアム感が当たってわくわく乗ってわくわく、そして
旅の話をして優越感にひたる・・らしい。
この日晃夫妻は九州を半周する豪華列車の一番良い全面がパノラマの一つの列車に一つしかない
部屋に乗り込んだ。およそ60万で、2泊3日の旅を満喫できるのだ。
昭はフリーの麻酔科医師で業界では名前を知らない人はいない位有名である。
麻酔は 手術の内容の可否をも決めかねない大事な仕事だ。麻酔をかけることは知られているが
手術の内容によって、麻酔から覚醒させるまでが一つの仕事だということは意外としられていない。
その日の夜のディナーは部屋でとるとアテンダントに伝えておいた。
久しぶりに夫婦水入らずの時間を過ごそうと思ったからだ。ただ晃にはひとつだけどうしても
誰にも伝えられないことがあった。それは 自分自身が麻薬を使っているということ。
麻酔医師の数パーセントが これが原因で薬剤の使用量と仕入れが異なったりなどして
乱用で解雇になっているというデータもある。昭がフリーになったのはどこかの医局に属していれば
必ずばれてしまうのでそれを隠す意味合いもあった。
もちろん見つかれば医師免許はなくなり人生を棒に198念振ることになる。
妻との旅行もなかなか行けなかったのは、晃は自分の錯誤を悟られるのではないかと思っていたからだ
あちこちの病院を毎日飛び回る日々月ずいていて家を留守にすることがほとんどで
子供たちの勧めもあり今回の寝台列車の乗車券をプレゼントしてくれたのである。
流れゆく景色を眺めながらのデイナーは他では味わえないものだった。
そして夜のとばりが落ちライトに照らされているレールと枕木をぼんやりと見ていると
まるで過ぎゆく日々彷彿させるに充分だった。
晃と妻は
「本当に二人でこんな時間を作れるなんて 新婚の時以来だわ・・・・子供達になにかお礼を
しなければならないと思うけれど・・どうしましょうか」
「そうだな、明日までに考えておこう」
そんな平々凡々な会話が続き、1896年物のボルドーをふたりだけで楽しんだあとに
朝日をみたいからといって妻は眠りについた。
値付けなかった晃は 妻が起きる前に 日常的におこなっているオペの覚醒を促す薬を足の静脈に
注射した。晃は医師なので注射器や薬剤を持ち歩いても咎められない。
本来ならひと瓶から使用量相当を1回づつ取り出すのだが常習している晃は注射器に3回分程を
詰めて使用していた。これは致死量に値するのだ。
晃はトイレでひそかに注射をしたのだが、その時にガタンと客車がゆれて2回分を打ってしまった。
慌てて打ち消す作用のある薬剤を取りに行こうとトイレのドアをあけたところで激しい発作に
襲われて晃はこと切れた。
早速全国的にニュースが流れた
ー京未明 豪華寝台列車で医師が死んだ状態で発見されました。
死んだ医師は~~~~
おわり
*白い部分はすでに投稿してあります