どう考えても時間がかかりすぎだ。刑事公判においては「無罪の推定、疑わしきは被告人の利益に」で始まることは、冤罪があってはならないとの理念に基づくのだが、被害者対加害者ではなく検事対加害者の争いになる。被害者参加型裁判になったのは最近で、例えばとても親切な検事だったとしても、言葉のニュアンス等被害者の意見を必ずしも代弁しきれないもどかしさがあった。日本の3審制は評価できるが、今回ようやく結審したオウム裁判も16年という歳月がかかっている。たとえは悪いがオギャァと産まれた子供が高校生になっている年月である。オウム事件は加害者が多すぎるからかといえばそうではないとおもう。
死刑が確定しても再審請求が何度もできるようだし多くの罪のない命を奪った奴ほど自分の命が惜しいらしい。執行のがれの再審請求が横行しているようで、そのために裁判が結審しにくいのかもしれない。
また、裁判は水物との汚名があるように同じ証拠で争っても、裁判長の主義嗜好?によって真逆の判決がでることが往々にしてあるのも問題ではあるが、民主主義であるからしかたがないのかもというしかない。 罪を悔いる人はいても、ちゃっかり上告していたりするのが現実だろう。
それと、最高裁の裁判官が日々どのような日常を送っているのか?国民には全く見えてこないのも問題だ。どっかのお馬鹿な法相のように、自分の主義で法律違反を犯していていても、意に介さないような事例がまかり通っているかもしれない。選挙があると同時に最高裁判事についての可否を問われるが、名前を見ても判るわけでもなく情報の開示がされているわけでもないので判断のしようがないので面倒くさいから○をつけてしまうだけで真に国民の民意を得たとは言い難いのが現実だ。それにしても、死刑が確定しているのに10数年ただ飯を食べ続けている受刑者を国費で賄い続けなければならないのは、憲法違反だったりするんじゃぁないかな
死刑が確定しても再審請求が何度もできるようだし多くの罪のない命を奪った奴ほど自分の命が惜しいらしい。執行のがれの再審請求が横行しているようで、そのために裁判が結審しにくいのかもしれない。
また、裁判は水物との汚名があるように同じ証拠で争っても、裁判長の主義嗜好?によって真逆の判決がでることが往々にしてあるのも問題ではあるが、民主主義であるからしかたがないのかもというしかない。 罪を悔いる人はいても、ちゃっかり上告していたりするのが現実だろう。
それと、最高裁の裁判官が日々どのような日常を送っているのか?国民には全く見えてこないのも問題だ。どっかのお馬鹿な法相のように、自分の主義で法律違反を犯していていても、意に介さないような事例がまかり通っているかもしれない。選挙があると同時に最高裁判事についての可否を問われるが、名前を見ても判るわけでもなく情報の開示がされているわけでもないので判断のしようがないので面倒くさいから○をつけてしまうだけで真に国民の民意を得たとは言い難いのが現実だ。それにしても、死刑が確定しているのに10数年ただ飯を食べ続けている受刑者を国費で賄い続けなければならないのは、憲法違反だったりするんじゃぁないかな