お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

「せっかち」は心の余裕がなくなるから⁉

2025-01-14 04:24:38 | 日記
「せっかち」は心の余裕がなくなるから⁉
 
人間、年を取るに連れて、だんだん「せっかち」になると、よく言われる。
僕も以前は「のんびり屋」で、出掛ける直前になって急いで支度をしていた。
だが最近はどうも気が急くと云うか、何をするにも落ち着かず、かなり前から準備をしている。
たとえば、今日は用事があって電車に乗って出掛けるとする。
早朝から天気や地図を調たり、バスや電車の時間を何度も確認したりする。
何を着て行こうかと、いろいろ出してみたりして、最後に持ち物のチェックをする。
まだ出かける30分以上前である(笑)。
ここまで「せっかち」になったのは、やはりここ数年のことである。
考えるに、心の余裕がなくなり短時間で支度をする自信がなくなってきたのかもしれない。
これから年を重ねるごとに、益々「せっかち」になっていくのだろうか。
「せっかち」になるのは暇があるせいなのかもしれない。
それと、やはり頭の回転が衰えてきたことを自覚し「せっかち」と言うより
余裕を持って行動するようになるのだろう。
これが年を重ねるに連れて、暇な時間が多くなり、益々「せっかち」になって行く所以(ゆえん)なのかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心で楽しむ贅沢な時間

2025-01-13 05:07:56 | 日記
心で楽しむ贅沢な時間
 
我々は「贅沢をする」というフレーズに対して多少の抵抗感がある。
子供の頃から「贅沢をしてはいけません」と教えられていた影響があるためかもしれない。
もちろんお金や物を必要以上に使うのは、あまり品がいいとは言えない。
しかし、多くのお金を使うことばかりが贅沢ではなく、好きなことを楽しむ、精神的に満たされた状態も立派な贅沢と言える。
僕が一昨年4月に京都へ越して来てから、多くの歴史的建造物や古美術品を見て周っている。
道産子の僕としては、その素晴らしさに驚きと感動で、何故か心が清々しい気持ちになる。
正に、精神的に満たされた状態を味わっていることに満足感を味わっている。
大金がなくても十分な幸せ気分を楽しめることが贅沢な時間なのだと思う。
多くのお金を持つことは、それで気持ちに余裕ができ贅沢に暮らせることはできるが贅沢の必要条件ではない。
一度しかない人生を、自分なりに心で楽しむ贅沢な時間を積極的に作ることが大切であると思う。
そして、そういう人生を送れる機会を与えられたことに感謝するこを忘れてはいけない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利他性の精神を考える

2025-01-12 03:18:49 | 日記
利他性の精神を考える

人は他者などに対して自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動
 を利他的行為といいます。
そのような行為は、あとで見返りがあると期待されるために、ある個人が他の個人や集団の利益になる行為を即座の見返り無しでとる 利他的行動 を互恵的利他性という。
利他の精神は、自分のことよりも他の人のために尽くすこと。
相手の立場に立って考えた行動をすること。
自分を犠牲にしても他の人を助けようとする心があること。
このような利他を行動原則とする考え方で、結果として自分も幸せになると言われている。
「利他的な人」は「自分のことを後回しにしてでも、他者のために世話を焼いたり、施しをする人」であるとされます。
利他的な人は、「自分を犠牲にしてまで他人のために動くこと」を意味し、他人の幸せや利益を優先し、自分のことは後回しにするような人のことを指します。
寄付行為やボランティアも利他的な人と言えます。
人間は、本質的に利己的ではなく利他的な生き物と言われてます。
自己の利益を顧みず、他者の利益や幸せを優先して行動することは
周り廻って自分も幸せになれると信じてるからです。
改めて自然に利他的な生き方の出来る自分でありたいものです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分らしく生きることはコアな強みを持つこと

2025-01-11 03:33:35 | 日記
自分らしく生きることはコアな強みを持つこと
 
「自分らしく生きる」には、どう心掛けることなのだろうか?
端的に云うと「周囲に流されず生きること」です。
それは、自分自身を好きになることで、人の目を気にすることもなくなる。
では、自分を好きになるとは、自分に自信を持つことです。
自信を持てるようになれば、自分自身の短所もさほど気にすることもなくなる。
では、自信を持つようになるとは、自分の「強み」を持つことです。
ここでいう「強み」とは、努力して手に入れるものではない。
「自分を特徴づける強み」で自分の心の内側にある「コアな強み」のことです。
それは自分に自問自答を繰り返すことで見つけることができる。
例えば「好奇心」「表現力」「正義感」などである。
「自分らしく生きる」→「自分を好きになる」→「自分に自信を持つ」
→「コアな強みを見つける」このようなプロセスを経て自分自身を導き出すことができる。
しかし、中々たどり着くことは容易なことでないのも事実です。
人間は幸せになることを諦めないのは「自分らしく生きる」ことが前提であると知っているからです。
そのためには決して楽でないプロセスを経て「自分のコアな強み」見出すことです。
そして、自信を持って自分らしく生きることで「幸せ」や「歓び」を感じることができるのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒエラルキーの崩壊⁉

2025-01-10 04:20:24 | 日記
ヒエラルキーの崩壊⁉
 
昨日、ある方のFBの投稿を見て、ふと思い立ったことです。
ヒエラルキーとは、ピラミッド形に上下に序列化された階層制の秩序や組織のことを言います。
現在では、軍隊や組織の官僚制的秩序をこう言うことが多い。
僕も数年前までは、企業組織でヒエラルキー形態に属して長年生きてきた。
そして、その組織の一員として、何らかの糧を得て生きてきた。
しかし、ヒエラルキーが崩壊するってことは、自分自身、生活の糧を失うってことでもある。
ヒエラルキーが良いとか悪いとか、そんなことを言いたいわけではない。
今までは、ヒエラルキーから何らかの恩恵に浴していたので、少々の不満や理不尽さは我慢できた。
しかし、その恩恵にあずかれないとなったら、ヒエラルキーに属している意味もなくなる。
ヒエラルキーの崩壊は、自らの生き方を問われることです。
つまり、ヒエラルキーから、自立して「自分はどう生きるか」このことを問われることを意味するのです。
欧米や最近のベンチャー企業の組織に、よく見られるのは、文鎮型組織形態でトップ意外は全て横並びの組織形態です。
正に、実力成果型組織形態と言えます。
この形態の長短はいろいろ議論はあるが一つの組織体制として存在していることは事実です。
ヒエラルキーの崩壊と言われる大きな要因は、官僚制的秩序の弊害と、組織構造自体が持つ不平等性にあると僕は思っているのだが。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする