お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

ブログ投稿者の意図と読者の反応の擦れ違い

2021-06-30 04:30:53 | 日記

ブログ投稿者の意図と読者の反応の擦れ違い

 

今年の元旦から、毎朝FBにブログのタイトルとURLを載せて投稿して

今日で半年になり、お陰様で一日も休むことなく継続できた。読者の

反応の意識は私には判らないが、最近は多くのリアクションを頂ける

ようになり、投稿者としては嬉しいもので感謝である。

 

内容的には、挨拶・天気・写真の説明(私としてはおまけ)・ブログ

のタイトルとURLを、一緒に投稿している。私のところからは晴れた

日は富士山がハッキリと素晴らしい光景が見える。後は、江の島はす

ぐ近くで、遠く大島も見える時もあり、眺めとしては最高でそんな写

真を中心におまけ的に載せている。

 

しかし、梅雨入りしてからは殆ど景色は見えず、代わりに花木や過去

の写真などを載せてきた。しかし掲載できる写真が底を付いたので、

一昨日と昨日は写真なしで投稿したら、リアクションの数は以前迄の

半数以下になった。

 

私としては、ちょと複雑な気持ちだが、読者にとっては写真のインパ

クトが大きいようだ。まぁ~読書の反応は自由で、リアクションによっ

て一喜一憂することはないが、正直気になるものである。

今回のことで投稿者の意図と読者の反応が噛み合わなかった、いい例な

のかもしれないと反省である。


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生活困窮者が拒む生活保護制度の壁

2021-06-29 05:47:33 | 日記

生活困窮者が拒む生活保護制度の壁

 

新型コロナウイルスの感染拡大で暮らしに行き詰まりながらも、生活

保護の受給を拒む人たちが多い。それは申請の際、自治体が親族に援

助できないかを連絡する「扶養照会」があることと、差別や偏見への

恐れが背景にある。昨年度は、約22万8千件の申請があり前年度より5

千件ほど多く窮地に陥った人の多さが窺える。

 

生活保護法は、家族や親族の援助が受給に優先すると定めてあり、そ

のため「扶養照会」の対象は、父母や子、祖父母、孫、きょうだい、

配偶者、特別な事情があれば、おじやおばなども加えられる。このよ

うな制度の中で申請を拒む人が多くなるのも当然で、極端には「親族

の恥」と言及される恐れからも拒む人がいるようだ。

 

先進諸外国と比べても,はるかに受給要件が厳しく、また日本人の国民

性としても申請を躊躇する傾向にあるようだが、生活保護は「健康で

文化的な最低限度の生活」を保障する制度で国民の権利である。それ

が扶養照会によって困窮を知られる人の不安により申請を拒む人が多

いのが現実のようだ。

 

国は今回の新型コロナウイルスの影響によって職を失い、多くの生活

困窮者が出たことを契機に、生活保護制度の抜本的な見直しが急務で

あり、早急に申請と受給の簡素化に取り組むべきである。


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他人と同じものを欲しがる欲望

2021-06-28 06:04:47 | 日記

他人と同じものを欲しがる欲望

 

人はよく他人が持っているものが欲しくなる欲望に駆られることが

ある。それには物質的なものから考え方や価値感や表現方法など様

々である。そして、それらを手に入れることで得られる満足感は、

手に入れた途端に、熱が冷めるように一時的な感情のようなものか

ら、その満足感により夢が叶えられ幸福感に繋がることも稀にはあ

る。

 

しかし、他人にあるものを欲しがる欲望の殆どは、物質的な物が多

く子供の頃によく「みんなが持ってるのに僕(私)にはない」と強

請るのと同じようで、手に入れることが目的で喜びも一時的で満足

感こそあるがそこには、幸せの欠片も感じていない。

 

つまり、自分自身が手に入れることによって満足感が持続し、それが

幸福感に繋がっていくものであることが望ましいと思う。

 

他人の持ってるものを欲しくなる欲望は誰にでもあるが、それを手

に入れたいと云う感情は、自分らしく生きるために必要なものと判

断できることが大切だと思う。衝動的に手に入れても「宝の持ち腐

れ」になる選択には注意することも必要である。


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話を「聞くこと」と「話させること」は大違い

2021-06-27 06:08:54 | 日記

話を「聞くこと」と「話させること」は大違い

 

人と話している時には、なるべく相手の話をよく「聞くこと」に心掛

けているのと、相手の話を促すような「話させること」とは、相手の

自分に対する印象は全く違うのは当然である。初対面でも相手から質

問責めに会う場合があるが、なぜか不信感を抱いてしまう。ふと思う

と、その逆もあったりする。

 

人と会って話をする時は世間話は別として、目的に沿った相手の話を

よく聞くことで意向は勿論、考え方や価値観を自分なりに読み取るこ

とができる。そして相手も自分の話を真剣に聞いてくれる人は好感を

持ち信用するようになる。

 

一方、「話させること」は、自分主導で相手に質問して話を引き出す

ことで、相手は戸惑い自分に対して不信を抱き疑問を持つようになる。

 

どちらも前提として、お互いに相手の意見を尊重して、否定や批判をし

ないのは当然であることは云うまでもない。

 

しかし、人間は感情の生き物であり、相手の印象によって、先入観を抱

くのは仕方がない。だから人と(特に初対面に場合)話をする時は自ら

冷静に、相手の話をよく「聞くこと」を心掛けて接することが大切であ

ると私は思っている。

 

 


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孫という存在と関係

2021-06-26 06:15:58 | 日記

孫という存在と関係

 

私には現在孫が2人いるが、ここ数年は会う事は殆どなくなった。

長男の子供達だが夫婦共稼ぎで、孫も上の女の子は来春の高校受験

で、下の男の子は来春中学生になるので、それぞれ爺ちゃんに会い

に来る暇もなさそうで、まして神奈川と京都と離れているので、普

段は存在すら意識されてないかもしれない。

 

世間一般では、どちらかと云うと、母親方の実家に行くことが多い

ようで、私にも娘は二人いるが、長女は結婚してるが子供はまだい

なく、次女はまだ独身を謳歌している。京都の孫達も小さな時は私

も時々行って懐いてくれてたが、最近では、誕生日と年末のにプレ

ゼントとお年玉を振り込むことくらい、爺ちゃんとしては、物足り

なさと少しの寂しさはあるのが本音である。

 

最近は、時代も変わって子供の数が極端に少なくなったせいか、孫

には大変甘い祖父母が多いようだ。いずれにしても、祖父母にとっ

ては、血の繋がってる分身のようで、両親に対する教育方法まで口

を出す祖父母もいるようだ。

 

私にとっての孫の存在は、健康で気持ちの優しい人間に育って欲し

いと願うだけで、孫達も、たまには電話でもしてくれだけで嬉しい

ものである。つまり、祖父母と孫の関係は、完全に孫の方は優位で

あり、祖父母もその関係に満足してる存在なのだと思っている。

 


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