お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

宝くじの購入思考の変化は格差社会の産物

2024-11-30 03:59:22 | 日記
宝くじの購入思考の変化は格差社会の産物

今年もまた「年末ジャンボ宝くじ」の時期がやってきました。
近年はインターネットでいつでも、どこでもお買うことが可能です。
宝くじ購入時には「宝くじポイント」を溜めて使える「宝くじ会員」は、現在710万人もいるそうです。
宝くじの醍醐味は何と言っても一攫千金、しかし宝くじを買っても1等に当選する確率は極めて低い。
それは、くじを買うというより、1等に当せんする夢を買っている人が多いのかもしれない。
今回の「年末ジャンボ」は1等と前後賞合わせて賞金額は10億円で、2,0000万枚が1ユニットとして発売された。
つまり、1等の当選確率は2,000万分の1である。
近年は、宝くじの売上げは減少傾向で、現在はピーク時の7割程度のようです。
そこで「格差社会」との関係ですが、以前にも書いたが現在の日本社会の抱える大きな問題が、格差の拡大と固定化です。
一部の富裕層と生活困窮者層との所得格差は拡大傾向が固定化されてきています。
宝くじは一攫千金を夢見る富裕層意外の人達にとっては射幸心を煽られ、その手段として買われてるように思います。
今や、夢を買うというより、貧困からの脱出の手段の一つとして考えてる人が多くなってるような気がします。
一方、売上げが減少してる原因の一つに、夢を買う余裕すらない人が堅実志向になっている。
「どうせ当たらないものにお金を掛けるような無駄はできない」という考えに変わってきたのかもしれない。
今や、宝くじで夢を買う楽しみというより、射幸心を煽られ、その手段として買うか、堅実的に買わないかのどちらかのような気がします。
そう考えると「宝くじの購入思考の変化は格差社会が齎した産物」なのかもしれないと思うのだが。

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人生では決して逃げられない人は自分自身

2024-11-29 04:03:42 | 日記
人生では決して逃げられない人は自分自身

人生では、多くの人との出会いがある。
その中には、そりの合わない人や何となく好きになれない人もいる。
一緒にいるとイライラするので距離を置きたくなる。
また怒りやすい人や怖い人とは、身の安全のため逃げたくなる。
しかし人生では、どうしても避けられない人がいる。
それは自分自身です。
自分からは何があっても逃げられず、生まれてから死ぬまで一生涯付き合い続ける人です。
時には、自分が嫌になり、自分から逃げたくなることもある。
また、自分自身の存在を不快な現実から心理的にも物理的にも遠ざける心の働きに陥ることもある。
しかし自分から逃げることで、何かを見い出すことはできない。
自分から逃げれば逃げるほど、人生は辛くなり自分にとって良いことは何も起こらない。
本当に自分のためを思うなら、自分ときちんと向き合うことです。
辛い気持ちになれば、なぜ辛い気持ちになったのかを考える。
そうすることで、気持ちのコントロールをすることができるようになる。
自分ときちんと向き合うことで、自分らしい生き方ができるようになる。
自分をごまかさず逃げずに、きちんと向き合い直視する姿勢が大切です。

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幸せは手に入れるものではなく気づくこと

2024-11-28 04:12:34 | 日記
幸せは手に入れるものではなく気づくこと
 
人間の多くは「幸せになりたい」と思っています。
しかし「幸せになりたい」と思うのは「今は幸せではない」と言っているのと同じです。
それは今の幸せに気づいてないか、もっと幸せになりたいかのどちらかです。
すでに手にしている恵みに気づかず、手にしていないものに目を向けているからです。
「幸せになりたい」と思うかぎり、今の幸せに気づかず、いつまでも幸せにたどり着けない。
「幸せになりたい」は、永遠に幸せになれない考え方です。
大切なのは既に手にしている恵みに気づくことです。
幸せとは気づきの問題で、手に入れる物ではなく気づくものです。
すでに自分が手にしている恵みに気づくことが大事なことです。
自分は既に幸せだと思えた瞬間から幸せになれます。
幸せは手に入れるものではなく気づくことなのです。

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先入観・偏見・固定観念の違い

2024-11-27 04:26:38 | 日記
先入観・偏見・固定観念の違い


先入観・偏見・固定観念。
それぞれ似たような意味ですが、厳密には異なります。
一言で言えば「偏見も固定観念も、先入観の一種」です。
どちらも最初は先入観ですが、情報の偏りや時間の経過によって、偏見や固定観念に変わっていきます。
悪影響も、先入観より偏見や固定観念のほうが大きくなります。
先入観とは、最初に知ったことで作り上げられた、固定的な観念です。
生活を通して様々な知識を得ていく中で、自然と先入観ができ影響を受けます。
先入観は、生活に役立つことがある一方、自由な思考の妨げとなることもあります。
先入観をゼロにするのは不可能ですが、最小限に抑える努力が必要です。
偏見とは、否定的な先入観です。
先入観の一種であり、否定的な情報に偏った見解のことをいいます。
最初は些細な思い込みですが、否定的な情報ばかり知るにつれて認識に歪みが生じて、偏見に変わっていきます。
一部の事例で全部を決め付けている状態です。
偏見にはマイナスの作用しかありません。
偏見をなくすことは大切なことで可能です。
固定観念とは、一度正しいと思い込んだ結果、容易に変えることができなくなった考えをいいます。
固定観念も先入観の一種ですが、先入観より固定の度合いが頑強です。
固定観念は、それが正しいと強く信じているため、後から矛盾する事実を知っても修正しにくいのが特徴です。
そのため、固定観念をなくすのは、先入観より難しいです。
  • 先入観とは、あらかじめ持っている考え
  • 偏見とは、否定的な先入観
  • 固定観念とは、固定化された先入観
  • 偏見も固定観念も、先入観の一種
偏見も固定観念も、人を不幸にすることはあっても、幸せにすることはありません。
偏見も固定観念も、先入観と同じく、できるだけなくしていく努力が大切です。

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受け流す力も、忍耐力の1つ

2024-11-26 03:34:34 | 日記
受け流す力も、忍耐力の1つ

忍耐力を鍛えるとはいえ、限度もある。
どんな風船も、空気を入れ続ければ、いつかは割れてしまう。
同じように心の風船も、限度がある。
ストレスによって大きく膨らみ続けて限界を超えると破裂する。
許容範囲を超えた精神的苦痛を受けると、最後は限界に達して病気を引き起こす可能性もゼロではない。
そこで必要なのが「受け流す力」です。
受け流す力とは、真剣に受け止めず、ほどよく対応することを言う。
もちろん何でも受け流してばかりではいけなく、不毛なことなら積極的に受け流すのが得策だ。
たとえば、根拠のない悪口。
根拠のない悪口はまったく不毛です。
根拠のない悪口を真剣に受け止めても、時間や体力が奪われるだけです。
何の価値もなく、真剣に受け止めても損をするだけです。
真剣に聞いているふりをしつつ、さらりと受け流したほうが楽になる。
また重要ではない事なら真剣に対応するより、ほどよく対応することも必要です。
真剣に対応するのではなく、最低限の対応で済ませる。
手抜きができるところは、賢く手を抜く。
不誠実に思えるかもしれないが、自分の心身を壊すくらいなら、適度な手抜きも重要です。
受け流す力を身につければ、事実上、忍耐力が鍛えられたのと同じ効果が得られる。
不毛なことは、積極的に受け流す力をつけることです。

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