お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

時間だけは全ての人に平等な資源

2024-06-30 05:06:27 | 日記
時間だけは全ての人に平等な資源
 
「人生は、不公平だ」そう思いたくなったことは誰にでもあるでしょう。
生まれや育ちの違いがある、収入に大きな違いがある、立場や地位に違いがある。
「最初から恵まれていて羨ましいな~」と、悔しい思いをしたこともあるでしょう。
しかし、そんな数多くの不公平がある中、どんな人でも公平なものに「時間」があります。
世界の大富豪でも、アインシュタインのような偉人でも、大統領や首相でも、1日は24時間です。
お金を使って時間を節約することはできても、時間そのものの長さを変えることはできません。
時間だけは、世界中の全ての人にとって平等な資源である。
今こうしている間も、刻一刻と時間は過ぎて行きます。
1日を秒に換算すると86,400秒、その時間を生かすも殺すも自分次第です。
あらゆる資源の中で、時間だけは平等であることに気づくことです。

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現代社会での「自由」とは選択

2024-06-29 03:23:11 | 日記
現代社会での「自由」とは選択
 
「人間的欲望の本質は自由である」と言ったのは、ドイツの哲学者のヘーゲル。
ただ本能のまま生きている動物とは違って、人間は必ず「自由」に生きたいと思って行動している。
人類の歴史はその自由を求める戦いの歴史そのものです。
しかし、現代をとりわけ先進国に生きる我々にとって「自由」の価値はその本質を失ってしまったようです。
つまり、現代の我々は過剰な「自由」の中で、むしろ酷く「不自由」を感じてしまうことがあります。
また、過酷な「自由」競争の中で我々は、しばしば惨めな思いを抱かされてしまうこともあります。
「自由」の名のもとに熾烈な競争を続けてきた結果、今や深刻な格差社会に至ってしまったのです。
「自由」は時には「平等」を破壊します。
所謂「自由」と「平等」の二律背反です。
現代の我々にとって「自由」は、もはや最高の価値ではなくなり、むしろ苦しめるものですらあり得るのです。
結局、現代社会の中で生きている以上、我々は「与えられる自由」や「勝ち取る自由」からの選択でしかありません。
その中から自分らしく生きるための本質の「自由」を掴み取ることは厳しいことだが大切なことなのです。

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心が折れそうになった時

2024-06-28 03:58:13 | 日記
心が折れそうになった時


悩み事や辛いことがあって心が折れそうになる時、人は自分をどのようにして支えているのだろうか?

そんなとき自分だけの世界を持つことは折れそうになった心を癒やしてて生きていくことができると思うことがある。
人それぞれ違うだろうが僕は自分の心の修復には孤独の時間と自分のブログを読む事です。
孤独には大きなパワーがあります。
頭の中で自分流を強く意識することができます。
また、過去の自分のブログを読んでひとつの文章から気づきと勇気を貰い、それが自分を支えてくれることがあります。
考えてみると、それは昔も今も変わらない。
心が折れそうになった時、自分を癒やし支えてくれるもの、それは幾つになっても持っていたいと思っている。
柔軟な思考やしなやかな生き方ができれば、なかな折れない心を持てるはず。
しかし、そう簡単には持てないものでもあります。

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終活の準備

2024-06-27 03:46:44 | 日記
終活の準備


「オギャー」と生まれた時から人生の終期は確定します。
つまり、この世に生を受けた瞬間には万人に等しく死は訪れます。
平均的には80年は生きられるようだが、個人にとって平均値は意味がない。
死は肉体は消滅しますが霊魂は存在し続けるのかは誰にもわからない。
最近、終活をボチボチと始めようと思っている。
つまり人生の最期に向けた準備を行うことです。
考えると整理しておかなければならないことは多岐にわたる。
まずは、断捨離や人生の棚卸しをして今後の人生をスッキリして、より心穏やかに、自分らしく生きるための活動と解釈した方が良いのかもしれない。
終活は死に向かうための準備ではなく、今後の人生を如何に心豊かに楽しく生きるための活動と理解すべきことなのだろう。

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「限界」という言葉は人生には不要である

2024-06-19 04:21:38 | 日記
「限界」という言葉は人生には不要である

「考えたことは現実になる」「ここまではできる」と思った分だけ、できるようになる。
できると思っているので、実現に向けて行動し努力もする。
しかし、逆に言えば「ここまでしかできない」と思えば、本当にそこまでしかできない。
「できないに決まっている。できるはずがない」と決め込んでいる。
そうした考えは、行動する前から目標が甘く可能性の挑戦の意識も低い。
そもそも挑戦しなければ、できる可能性はゼロです。
先に限界を決めてしまうのは、努力をする範囲を限定し、限界を超えた部分は見向きも考えもしなくなる。
自分に限界を設けて可能性を完全に捨てている。
実際に挑戦して本当に難しい状況なら、そのとき初めて「ちょっとした壁がある」と思うくらいでいい。
その壁に当たるまでは「やればできる。できるに決まっている。できるはずだ」という考で、どんどん前に進むことです。
自分の可能性をすべて肯定して受け入れることです。
ゆえに「限界」という言葉は、そもそも人生には必要のない言葉である。

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