相手の接し方を通して自分を客観視している
私は、12年前にワレンべルグ症候群(延髄外側症候群)と云う
脳梗塞で突然倒れて以来、後遺症の回復のためにリハビリを続
けて現在では、なんとか普通に生活ができるようになってるが、
倒れた当時はかなり重症だったようで、幾つかの後遺症は今だ
に残っている。
自業自得なので今更悔やんでも仕方がない。しかし諦めた訳で
はなく今もリハビリは続けている。
12年も経って今頃、何故こんなことを前段に書いたかと云うと、
私に関わってくれてる人達は、現在の私と接する時に、どのよ
うな気持ちで、それが話し方や言葉使いにどう表れているのか、
何故か気になるようになって、ついつい注意深く観察してしまう。
それは私の実情や現況を知ってる程度の差によって、接し方も様
々だと思うが、つまり、向き合ってる相手の接し方によって、私
自身の現状を客観的に知りたいと云う心理からなのだろう。
周りの人達の私に対する言動が、時には過剰な労りに感じたり、
励ましや勇気を貰ったり、普通に誰とでも接してる気楽さだった
り、人によって様々だ。また、その時のお互いの機嫌によっても
,感じ方が違う。
つまり、相手の言動によって、感じる想いは私の願望によって受け
取り方が様々だと云うことで、気になって注意深く観察してるのは、
相手ではなく、その時の私自身を相手を通して客観視しようとして
るのだと思う。
要は、幾つになっても人目は気になると云うことである。
それが更なる向上心に繋がると思って生きていきたい。