お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

身体の機能低下ではじめて感謝の気持ちを持つ

2022-07-31 04:15:32 | 日記

身体の機能低下ではじめて感謝の気持ちを持つ

 

人間は生きてる限り一定の年齢を境に衰えていくものである。

家電や車も長年使用していると何処かにガタがくる。

同じように人間にも加齢によって、いろいろなところにガタがくるものである。

普段は当たり前のように機能している身体は当然のように日常生活を過ごしている。

見えたり、聞こえたり、話せたり、歩けたりができることに感謝の気持ちを持つことは殆どない。

しかし、病気や老化によって当たり前と思ってた機能が低下したり失うと、いらだちや悲しみに直面し不安に

なる。

人間は最後まで全ての機能を失うことなく生きていることは不可能に近い。

自分の身体の機能が低下したり失ったりして、はじめてその有難さに気付く。

そしてそれらに感謝の気持を持ち,酷使せず労わるようになる。

人間は歳を重ねるごとに身体の何処かが機能低下になる。

高齢者になると日頃から一日でも長く働いてくれることを願い感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいと思っ

ている。


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束縛は愛ではなく解き放つことが本当の愛の表現

2022-07-30 04:17:08 | 日記

束縛は愛ではなく解き放つことが本当の愛の表現


人間の本当の愛は、日常生活において「解放」という形で表現される。

「解放」は、まさに愛があるからこそできる行為である。

相手に対して愛がない人は、解放することはできず、束縛し自分の物だけにしようと執着する。

かくいう私も、以前に付き合っていた女性を束縛してたことがある。

相手のことが好きで誰にも取られたくない気持ちから束縛していた。

しかし、今振り返って考えると、本当の愛ではなかったということに気づく。

ただ、相手を自分だけのものにしたい、誰にも取られたくないという執着心だけだったように思う。

当時の自分を振り返えると、執着の愛で本当の愛ではなかったことを恥じている。

もし、私が彼女に対して本当の愛があれば、必ず「解放」できたはずである。

解放することで、彼女は自由に動き回れるようになり、人生が豊かになり結果として幸せになれただろう。

本当の愛に目覚めるためには、束縛ではなく解き放つことが本当の愛の表現だと今は思っている。


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有意義で充実した孤独の時間を楽しむ

2022-07-29 04:14:48 | 日記

有意義で充実した孤独の時間を楽しむ

 

私はここ2年程一人で過ごすことが多くなった日常生活である。

ある意味孤独であるが実感としては孤独感は殆どない。

勿論、週に何日かは外出するが、特に誰かに会うとか旅行へ行くことではない。

週に2回トレーナーが来てトレーニングの指導をして貰っているのでその時にいろいろ話をする程度である。

特にコロナ感染症の影響もあって,人混みを避ける意味でも外出をできるだけ避けている。

なので必然的に自室に居ることが多くなる。

しかし不思議と落ち着き、好んで何時間いても寂しさは全く感じない。

そこには孤独感の欠片もなく、どちらかと云うと安堵感さえある。

まったく社会と関わることなく生きて行くことは不可能である。

だからと言って孤独ではないとは言えない。

結局は精神的な孤独感に陥らないためにも、上手く一人の時間を有意義で楽しい孤独にできればと思ってる。


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現代社会人は『出ない杭は抜かれる』

2022-07-28 04:29:12 | 日記

現代社会人は『出ない杭は抜かれる』

 

昔はよく才能・手腕があって抜きんでている人は、とかく人から憎まれがちであった。

所謂『出る杭は打たれる』である。

現代社会の企業や団体においては、個人の個性や才能を重視した企業や団体に変化してきた。

所謂『出ない杭は抜かれる』である。

未だに学校教育においては「出る杭は打たれる」的なところが根底にあるようだ。

しかし高校以後は自らの個性・才能を伸ばす教育に変わりつつあるように思う。

つまり、現代の企業・団体においては『出ない杭は抜かれる』は常識化している。

それに対して、義務教育の場や家庭教育でも、集団生活を基軸に於き、個性を伸ばす教育には至っていない。

現代の社会人は、如何に自分の才能や手腕を伸ばすために、積極的に経験を重ねる。

そして独自の能力(知恵)を高めて杭を出していく。

つまり、出る杭の背比べである。

それに反して全く頭を出さず、じーっとしがみついてる人は、やがて抜かれてしまう厳しい社会である。

政治家や公務員や教育関係者は現実社会を認識し、自らの意識と教育を改革するべきであると私は思う。


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一生の内で「縁」で繋がる人を大切にしたい

2022-07-27 04:15:18 | 日記

一生の内で「縁」で繋がる人を大切にしたい

 

人間は一生の内にどれだけの人と知り合う機会を持つのだろうか?

家族や親戚は当然だが大体幼稚園の頃から始まり。

徐々に多くの人と接する機会が増えていき社会人になってからが一番多くなる。

当然に人それぞれ職種や立場や環境によって人数的には大きく違うだろう。

私の場合は数千人くらいだと思が、別に知り合った人数には大した意味はない。

その中で何かのキッカケで「縁」があり繋がりができる。

友人・知人・仲間・恋愛や結婚相手なと様々な形で繋がってきた人達がどれだけいるかが問題である。

そう考えると、一生に多くの人と知り合いにはなる。

そこから必然的に「縁」があって繋がりをできる人は限られてくる。

初対面の時から、なんとなくお互いを意識し様々な関係に発展しいく。

そして自分の人生に大きな影響を与える存在になるとしたら、正に「縁」は大切にしたいものである。


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