韓国ドラマに思う「우리 / ウリ/私たち」の心理
私は最近韓国ドラマをよく見ている。
その中で家族間での態度ややり取りに独特なものを感じる。
立派に独立した大人なのに親にはいつまでも子供のように振舞ったり、親に対して必ず敬語で話したりという
場面をよく見かける。
また、頻繁に「우리 / ウリ/私たち」という単語がよく使われてるように感じる。
調てみると、朝鮮民族のルーツに起因しているようだ。
それは自分を中心として家族、親戚…同じ民族…と同心円的に広がるフィルターを通して世界を見ている。
なので、自分に一番近い「우리」が家族なわけで、家族との結びつきは非常に強く様々な情を施す。
故に우리ではない「남 / ナム / 他人」という言葉を嫌うそうだ。
最近は親子間で敬語を使う家庭は時々見かける程度のようだが、祖父母と孫の間では必ず敬語を使うようだ。
日本のように「友達のような親子」は韓国では有り得ない感覚のようだ。
「みんな우리という共同体のメンバー」という認識である韓国人なので、その中で一番近い存在が家族です。
それゆえ家族間の結びつきは日本人が考える以上に強い。
また上下関係も加わり成人・結婚しても親は親、子は子なのです。
何んでも息子にいちいち口出しをする母親、常に母親に意見を求める息子はよくドラマのシーンで見られる。
韓国には「親離れ」「子離れ」という概念が無いように思う。
こんな民族性のドラマを好んで見る私には、一種の家族の絆の強さを懐かしく見てるのかもしれない。