お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

量は質に転化する

2023-12-31 05:02:30 | 日記
量は質に転化する
 
一般的には、質と量があれば、質を重視することが多い。
ここでは、クリエイティブ(創造的・独創的)について考えてみる。
確かにクリエイティブも最終目標は「質」です。
質の低いものは、いくら量があったところで無意味で「存在価値がない」と判断されても仕方ない。
しかし、クリエイティブな人は、まず質より量を重視する。
質は、量があってこそ成り立つ要素だからです。
高い質を実現するには、慣れと経験が必要で、そのためには量をこなす必要がある。
勉強なら大量の問題を解き、スポーツなら大量の練習をこなす。
量をこなすからしっかり身につき上達できる。
クリエイティブの世界でも同じです。
たくさん作品を作って量をこなすからこそ、慣れや経験を得ることができ、質の向上に繋がる。
つまり、量は質に転化するのです。
質は量からしか生まれない。
量をこなすことは、質を高めるために必要な通過点です。
クリエイティブだから、量をこなすのではなく、量をこなすからクリエイティブになれる。
真剣に量をこなせば、必然的に質も向上する。
量は質に転化するのです。
我々も何かの質を高めようとしたときは、量をこなすことから初めてみたら如何だろうか。

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年の瀬

2023-12-30 05:18:56 | 日記
年の瀬
 
一般的には、12月の中旬から大晦日までのことを「年の瀬」と呼びます。
しかし、特に決まりはなく、12月に入ってから使っても問題はないようです。
但し「年の瀬が押し迫り」や「年の瀬が近づき」など表現によって使う時期が異なったりもします。
なぜこの時期を「年の瀬」と呼ぶのだろ?
「年の瀬」の「瀬」は、「川の中の歩いて渡れる程度に浅い所」のことで「川の中の急な流れ」の意味もあるようです。。
浅くて流れが急な場所は、渡るのにもドタバタと苦労する。
川の瀬は、船では難しく歩いても流れが激しいのでかなり危険で、ドタバタ命がけで渡らなければならない。
この「瀬」の前に「年」が付いたのが「年の瀬」で、1年の中でも一番忙しくバタバタする時期のことを意味するようになったそうです。
しかし、なぜ「年の瀬」は忙しくて慌ただしいのだろうか?
江戸時代の商いの習慣からきたそうです。
江戸時代の庶民は、商品を「ツケ」で買い代金の清算は盆と暮れにしていた。
特に暮れは、正月の準備があり何かとお金が必要な時期で、借金を返済すれば正月の準備ができなくなる人も少ない。
精神的にも苦労がかさむ時期で、ツケを払ったら正月の餅も買えない。
まさに、川の瀬に立った、危機的な状況と言えたのだろう。
「年が越せた」というように無事に借金を返し正月を迎えられることが、庶民の細やかな喜びだったようです。
一方、「年の瀬」は商人にとってはツケを回収する稼ぎ時だった。
除夜の鐘が鳴るまでにツケを回収しようと走り回り、お金が集まったら徹夜で帳簿を付けていたそうです。
このように「年の瀬」は、江戸時代の商人や庶民にとって、正月を無事に迎えられるかの差し迫った時期でした。。
つまり、ドタバタした様子が、川の瀬を渡るイメージにつながり、「年の瀬」の語源になったようです。
その江戸時代からの感覚が、現在も日本には残っている。
借金の返済ではないが、正月に向けて慌ただしく働く姿は今も昔も変わらない。
江戸時代から続く日本独特の雰囲気が「年の瀬」という言葉には含まれていることのとうです。

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民主主義は万能ではない⁉

2023-12-29 05:25:02 | 日記
民主主義は万能ではない⁉

世界の民主主義国は3年前に87カ国、それに対して非民主主義国は92カ国となった。
18年ぶりに非民主主義国が多数派になり、その後も民主主義が勢いを盛り返してはいないばかりか、権威主義国家の台頭ぶりが目立っている。
日本が民主主義国家になったのは、第2次大戦後1946年ポツダム宣言後。
日本国憲法を制定し民主主義国家への道を歩み始めて77年になる。
よく民主主義を万能だと勘違いして主張しているのに出会う。
「○○から民主主義を取り戻せ!」と、まるで取り戻したら悪政が善政に変わるがごとく吹聴されている。
因みに民主主義とは、人民が国の権力を所有し、それを自ら行使する政治思想または政治体制のことである 。
ここで改めて民主主義に存在する様々な問題点を考えてみる。
民主主義では民意が政治に反映されます。
しかし『①民意が必ずしも正しいとは限らない』。
例えば民意が求める「決められる政治」は、民主主義の利点である巧遅を殺し拙速を強いている。
民主主義の利点は「遅くて慎重すぎるほど慎重に物事を進めること」です。
『②民意が移ろいやすい』ことは実感として理解できるだろう。
例えば重要な法案の可否より、スキャンダルにしばしば民意は興味を移し、その結果がどうなろうが民意は責任を取らない。
『③熟議による合意は空間的・物理的に不可能』。
有権者1億人を抱える我が国が、熟議の上に合意することなど空間的・物理的に不可能です。
「だからこそ議会があるのだ」と言われるが、議会でも熟議による合意はなかなか見られない。
それに何より、熟議など捨てて多数を握ってしまえば簡単です。
こうして多数決至上主義が蔓延り、熟議による合意など夢のまた夢です。
過程に熟議があろうとなかろうと、民主主義では多数決が最終決定です。
しかし多数派が正しいとは限らない。
多数者の専政は民主主義の大きな問題点の一つです。
民主主義が民意に依るのは、賢明な市民を前提条件としているからです。
教育を受けて高い知的水準にある民衆は賢明であり、政治において悪い選択をしないはずだと考えらてきた。
悲しいかな、民主主義には民意に逆らう仕組みがない。
民意が選べば独裁制も選んでしまうのが民主主義です。
こういった民主主義の根本的な問題点の解決策は、市民が賢明であることです。
独裁者が賢明であれば、独裁制だって善良な政治ができる。
民主主義は存外、欠点や問題点の多い制度です。
日本では「民主主義=絶対善」と考えられることも多いが、全くそんなことはない。
しかし、民主主義の利点も多く例えば「①革命にも血が流れない」「②民意が正しいこともある」「③自分たちで責任が取れる」など。
はじめから民主主義を妄信せず正しく認識することが大切だと僕は思うのだが。

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宝くじの購入思考の変化は格差社会の産物

2023-12-28 03:45:40 | 日記
宝くじの購入思考の変化は格差社会の産物

今年もまた「年末ジャンボ宝くじ」の時期がやってきました。
近年はインターネットでいつでも、どこでもお買うことが可能です。
宝くじ購入時には「宝くじポイント」を溜めて使える「宝くじ会員」は、現在710万人もいるそうです。
宝くじの醍醐味は何と言っても一攫千金、しかし宝くじを買っても1等に当選する確率は極めて低い。
それは、くじを買うというより、1等に当せんする夢を買っている人が多いのかもしれない。
今回の「年末ジャンボ」は1等と前後賞合わせて賞金額は10億円で、2,0000万枚が1ユニットとして発売された。
つまり、1等の当選確率は2,000万分の1である。
近年は、宝くじの売上げは減少傾向で、現在はピーク時の7割程度のようです。
そこで「格差社会」との関係ですが、以前にも書いたが現在の日本社会の抱える大きな問題が、格差の拡大と固定化です。
一部の富裕層と生活困窮者層との所得格差は拡大傾向が固定化されてきています。
宝くじは一攫千金を夢見る富裕層意外の人達にとっては射幸心を煽られ、その手段として買われてるように思います。
今や、夢を買うというより、貧困からの脱出の手段の一つとして考えてる人が多くなってるような気がします。
一方、売上げが減少してる原因の一つに、夢を買う余裕すらない人が堅実志向になっている。
「どうせ当たらないものにお金を掛けるような無駄はできない」という考えに変わってきたのかもしれない。
今や、宝くじで夢を買う楽しみというより、射幸心を煽られ、その手段として買うか、堅実的に買わないかのどちらかのような気がします。
そう考えると「宝くじの購入思考の変化は格差社会が齎した産物」なのかもしれないと思うのだが。

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そもそも自分のものなんて一つもない

2023-12-19 04:28:38 | 日記
そもそも自分のものなんて一つもない
 
このタイトルの意味は心の安定のための一つの考え方です。
自分の身の回りもので、いらないものを全て捨てることで、心のイライラやモヤモヤが減ると言われる。
しかし殆ど使うことのないものでも、なかなか捨てられないのも事実です。
その理由は明白で執着心からです。
まずはじめに手放さなければならないのは、その執着心です。
考えてみると世の中の全ての物質は、原子や分子から成り立っている。
その原子や分子も、元々は人が作ったものではない。
そして、我々人間も当然に自分で自分を作ったわけではない。
つまり、この世において人が一から作り出したものなど何一つもないという理屈です。
これは考え方ではなく事実であり真実です。
少なくても、不要な執着心をなくすためには思い込んでいる勘違いに気づくことです。
本当に生活に必要な物だけを残して、思い切って使わないものは捨てることです。
身の周りをシンプルにすると、心のイライラやモヤモヤも減ります。
そして、新たな気持ちで新年を迎えることができれば最高です。
結論は、自分のものなんて一つもないことに気づき、所有して使わないものを減らすことです。
毎年年末には、行っている思い切った断捨離、私には結構効果があると実感しています。
はじめに心の断捨離から始めては如何だろうか。

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