民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
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「カギ紛失」 マイ・エッセイ 31

2017年11月19日 00時11分35秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   カギ紛失
                                                 

 寒くなって手袋をするようになったある日、いつものように自転車に乗って中央生涯学習センターに午前の講義を受けに行った。帰りに二荒山神社の前にあるディスカウントストアーに寄って買い物をしたら、そこで自転車のカギを失くしてしまった。
 近所の自転車屋まで、後輪を持ち上げ、押して行こうとしたが、あいにくその日は講座のテキストや図書館で借りた本で、バッグがパンパンに膨らんでいた。数メートル押してみて、これはとてもムリと結論を出し、自転車を置いて歩いて行くことにした。
 いつもバッグは自転車のカゴに入れているので、持って歩くことはめったにない。バッグの重さが肩に食い込み、こらえ切れず何度も持つ手を変えた。
 自転車屋に行ってみると、留守でカギがかかっていた。近くの自転車屋が次々に廃業したいま、ここは頼りにしている店で、いま乗っている自転車を中古で買ったのもここだし、パンク修理で何度も来ているが、いなかったことは一度もなかった。
「チェッ、ついてないな」
 舌打ちをして家に帰る。オイラの家は自転車屋の真西の方角で、直線距離はわずかだが、道路がないので大きく迂回しなくてはならない。南と北のどちらを回ってもほぼ同じ距離だから、その日の気分で帰る方向を決める。そのときは北を選んだ。演歌ではないが、暗い気持ちになっているときは北に向かうのだろう。
 部屋で本を読んで時間をつぶしていると、いつのまにか薄暗くなっていて、あわてて自転車屋に駆け込んだ。
 一人暮らしの八十歳を超えているジイさんがやっている。いつもヒマそうにしているが、パンク修理を頼むと、
「いま忙しいから後で取りに来とくれ。そこに代車があっから」
 と決して目の前でを直そうとしない。オイラはきっと手先が思うように動かなくなってきて、人に見せたくないんだなとにらんでいる。
 ジイさんはぽつねんと石油ストーブに当たっていた。
 ガラッとガラス戸を開けると、
「なんだい、今日は散歩かい? 」
 ひとなつっこい笑顔を向ける。憎めないジイさんなのだ。
 事情を話すと、
「どんなカギ? 」
 オイラは陳列してある自転車の円形タイプのカギを指差して、
「これと同じヤツ」
「そいつぁ、こわすしかねぇなぁ。オレが行ってもいいけど、出張料くれっかい? 」
 なかなか商売上手でもある。
「どうやってこわすの? 」と聞くと、
 年季の入った、驚くほど長いマイナスドライバーとハンマーを取り出し、
「こうやってカギ穴にドライバーを突っ込んでハンマーでぶっ叩くんだ」
 左手の拳を握り、右手の拳を振り上げる。
 そんな原始的な方法しかないのかよ、もっと自転車屋しか知らない奥の手はないのかよと
 ツッコミを入れたくなったが、とにかくやってみるかと、オイラはドライバーとハンマーを借り、手でしっかり握って、すっかり暗くなった道を目的地に向かって歩いた。
 むかし好きだった東映「任侠映画」のラストシーンが思い浮かぶ。
♪義理と人情を秤にかけりゃ・・・
 おもわず口ずさむ。
 停めておいた場所に着くと、バス待ちの人が大勢いた。人目をさけるように移動して、カギ穴にドライバーを差し込み、まわりに音が聞こえないか気にしながら、そっとハンマーで叩いてみる。それでも道具が大きいのでぐにゃとカギ穴が歪む。かまわずもう一度力を入れて叩くと、カチャッと音がして施錠がはずれた。
 やっぱり自転車はいいや、意気揚々とまたがって帰る。
「あんまり簡単だったんで拍子抜けしちゃったよ。道具がいいからかな」
 お世辞を言って道具を返すと、ジイさんは歯のない口を開けて笑った。
 新しいカギに交換を頼む。決してテキパキとはいえない作業ぶりを、「明日は我が身」とじっくりと目に焼き付けた。
 家に帰って、新しいスペアキーを一つ外し、外階段の入り口の、部屋のカギとか車のキーとかをかけておく柱を見上げて愕然とした。一番上の釘に、自転車のスペアキーがひっかかっていた。

「ミッキーかしまし」 西 加奈子

2017年11月17日 00時14分45秒 | 備忘録
 「ミッキーかしまし」 西 加奈子  筑摩書房  2007年

 彼女(ネコ)たちは、本当に自由です。「気持ちいい」「面白い」という理由だけで生きている。それをすることによって自分の教養を深めよう、脳みそを刺激しよう、健康になろうなんて、微塵も思っていません。

 P-57

「大放言」 その27 百田尚樹

2017年11月15日 00時18分40秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その27 百田尚樹  新潮新書 2015年

 囚人さえも壊れる仕事 P-56

 今にして思えば。、父は決して仕事が嫌いではなかったと思う。仕事や職場の愚痴をこぼすのは聞いたことがないし、毎朝、機嫌よく家を出ていった。母も父が転職したいと言ったのを聞いたことがないと言っていた。

 父はおそらく仕事をする喜びを感じていたと思う。壊れた水道管を直すことにより、その地域に住む人々の役に立つという喜びがきっとあったと思う。労働の喜びとはそういうものであるはずだ。

 これは有名な話だが、囚人に与える最もきつい仕事は、穴を掘らして埋め戻させる仕事だという。この作業を延々と続けさせると、どんなに精神的に強い囚人も心が折れ、やがて肉体的にも崩壊する。逆にどれほど過酷な労働をさせても、それが何かしら役に立つ、あるいは何らかの達成感があるという仕事なら、囚人は耐えられるという。

 私はこの話には、「労働」の深い意味が読み取れると思う。世の中に役に立たない仕事はない。どんな仕事であろうとも、それは社会や人のためになる。労働の本当の喜びはそこにあるのではないか。 

 

「大放言」 その26 百田尚樹

2017年11月13日 00時16分48秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その26 百田尚樹  新潮新書 2015年

 好きなことは金を払ってするもの P-53 

 前略

 私の亡くなった父は大正13年生まれだが、家が貧しかったため、高等小学校を卒業してすぐに働きに出た。当時の仕事がどんなものだったか聞き忘れたが、好きなことなんか仕事にできなかったのは間違いない。父は働きながら夜間中学を出たが、20歳の時に徴兵で軍隊に入った。戦後、いろいろな職を転々とし、30歳くらいのときに大阪市の水道局の臨時職員になった。その頃、結婚して私が生まれた。

 父はやがて正職員になれたが、配置されたのは漏水課というところだ。どういう仕事かといえば、一日中、大阪市内を歩き回り、破れた水道管を直すというものだ。昔は大阪市内の道路もほとんどは舗装されていなくて、晴れた日に道が濡れていると、地中の水道管が破れているという印だった。そういう場所を見つけては、道路をツルハシとシャベルで掘り返して、水道管を修理するのだ。父は定年まで、夏の炎天下、ヒュの木枯らしの中で、そういう仕事をして、私たちを養ってくれた。
 
 こんな仕事がふつうに考えて楽しいとは思えない。きっと辛かったと思う。けれど父は私たち家族の前では、一言も仕事の愚痴をこぼさなかった。別に父が格別に立派とも思わない。当時は父と同じように、しんどい仕事を黙々とやり続けた男たちがたくさんいたからだ。

「大放言」 その25 百田尚樹

2017年11月11日 00時12分25秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その25 百田尚樹  新潮新書 2015年

 好きな仕事が見つからないバカ 

 好きなことをして生きられるのか P-49

 これはテレビ業界に限らないらしい。大手企業でも新入社員が3年以内に離職する率は3割を超えている。中小企業ならもっと高いだろう。なぜ辞めるのかと聞くと、「もっと他にやりたいことがある」と答えるらしい。ところが、さらに突っ込んで聞くと、具体的にやりたいものがあるわけではないのだ。要するに「これから、それを探す」ということらしい。

 聞くと、最近の若者は仕事を「好きか嫌いか」で決める傾向があるという。

 私に言わせれば、なんという贅沢な考え方だと思う。仕事は生活のためにするもので、楽しんでやるものではない。「好き、嫌い」で選ぶなら、それは仕事ではなく趣味である。

 仕事は自分が生きるため、そして家族を食わせるためのものである。この場合の「生きる」は文字通り「生活する」という意味だ。

 世の中、自分の好きなことを仕事にしている人なんか、1%もいない。その1%、戦後の豊かな社会になったからこそ、生まれたものだ。つい60年前まで、「好きなこと」をして生活できる人間なんか日本にいなかったのだ。

 なぜ、若者たちは「好きなことをして生きよう」と考えるようになったのだろうか――。