民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「大放言」 その24 百田尚樹

2017年11月09日 01時07分41秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その24 百田尚樹  新潮新書 2015年

 ブログで食べたものを書くバカ その2 P-46

 しかし、これははたして書くべき内容なのか。料理研究家でもなく、タレントでもなく、有名人でもない、あなたの日々の食事に関心を持っている人が世の中にどれほどいるのだろうか。いったい世の中の誰があなたのデザートの中身を知りたいと思って、あなたのブログを覗くのだ?おそらく、母親でさえ興味はないだろう。

 しかしそんな疑問はブロガーの心には浮かばない。今や彼(女)は世界に何かを主張したいという所期の目的はどこかに失い、ただひたすらブログを毎日アップするという目的だけにすべての情熱を費やすことになる。

 これは別に食事の報告に限らない。世の中に氾濫するブログの99%について言えば、そこに書かれている内容の空虚さ驚くべきものがある。

 買い物の記録、朝起きた時間の記録、その日会った友人の名前の記録、カラオケで歌った曲の記録、・・・と、友人さえも関心を持たない近況を書き込んでいるのがほとんどだ。いや、もしかしたら自分自身でさえも興味のないことかもしれない。

 こうしたブログが極東の島国で毎日大量に生み出され、今日も、世界に向けて発信され続けているのだ。

 かくいう私自身、毎日ツイッターで、まったく内容もないくだらないことを呟き続けている。いやしくも職業作家が一円もならない文章を書き続けるのだから、SNSの魔力はすごいとしか言いようがない。もっとも一流作家はこんなものは書かない。


「大放言」 その23 百田尚樹

2017年11月07日 00時10分51秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その23 百田尚樹  新潮新書 2015年

 ブロガーたちの苦悩 その1 P-45

 しかしどのブログも最初からこんなものではない。ブログ開設当初の書き込みを見ると、少しはかっこいい知的なものにしようという気持ちは見える。最初の頃は、読んだ本の感想などをなかなか頑張って書いていたりもする。あるいは人生についての哲学的な考察みたいなものが書かれていたりする。
 
 しかしたいていの人が3日もすると、書くことがなくなってしまう。自分の人生は思っていたほど劇的で面白いものではないということに気づく衝撃的な瞬間だ。

 また、身辺雑記を毎日書くというのもなかなか困難な仕事だということもわかる。何も考えないで書くと、昨日と同じことを書いてしまうからだ。たいていの人は『徒然草』の吉田兼好のようにネタを豊富に持っているわけではない。本の感想を書こうと思っても、ひと月に1冊くらいしか読書しない身ではそれすらも難しい。映画の感想をかっこよく書こうと思っても、「面白かった」「つまらなかった」以外の言葉がなかなか出てこない。

 そこで4日目からは、今日の天気を書いたり、体の調子を書いたり、お店で買ったものを書いたりするようになる。しかし、それもすぐに一本調子になる。そんなある日、多くのブロガーは、自分の食べた食事について書けばいいということに思い至る。

 この「食べたものを書く」ということに気付くブロガーは多い。昔と違って、現代は朝昼晩、同じ食事という食生活はあまりない。これに気付いたブロガーは早速デジカメで毎日の食事やスイーツを写真に撮り、それをブログに載せる。これならネタがなくなることはない。毎日でもブログをアップできる。かくして食事報告のブログがどんどん増えていくことになる。

「大放言」 その22 百田尚樹

2017年11月05日 00時16分13秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その22 百田尚樹  新潮新書 2015年

 ブログで食べたものを書くバカ P-44

 他人に日記を見せたい日本人 その2

 今はそれがSNSに取って代わった。かつてはミクシィが人気だったが、次にツイッター、フェイスブックが流行し、今はインスタグラムというのも出てきた。いずれ、また新しいSNSができるだろう。もちろんブログの人気はかつてほどではないが、今も盛んである。フェイスブックにもブログ的な機能がある。

 本当の日記は誰にも見せないのが原則だが、ブログは違う。世界中に向けて発信している本人発の意見であり、思想であり、情報なのだ。

 ところが多くのブログには、英語でいうところの「I insist」(主張)といった内容のものはほとんどない。書かれていることは、まさに日記――単なる身辺雑記がほとんどだ。

「今日はこんな映画を見ました。悲しかったです。泣いてしまいました」
「アルバイトの面接に行きました。面接官のおじさんが怖かったです」
「道端のタンポポがかわいかったです」
「いつも通る商店街が模様替えをしていました」――などなど。

 こんなブログの山がインターネットを席巻し、世界のインターネット言語で英語を抜いてナンバー1の座を占めたのだ。

「大放言」 その21 百田尚樹

2017年11月03日 00時07分52秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その21 百田尚樹  新潮新書 2015年

 ブログで食べたものを書くバカ P-43

 他人に日記を見せたい日本人 その1

 かつて日本ではブログが大流行した。まさに猫も杓子もといった具合だ。
 2006年には驚くべきニュースが流れた。何とインターネットの世界で、ブログで最も使われている言語として日本語が英語を抜いて世界一になったのだ。60億人の世界の人口のうちわずか1億2000万人にしか使われていない言語が、世界のブログ言語の頂点に達したのだ。当時も今も、日本はインターネット普及率も利用者数も世界一ではないのに、この数字はすごいとしかいいようがない。

 なんと日本人は世界で一番、何かを主張したい民族だったのだ。
 長い間、日本人はものを主張しない民族だと思われていた。他人の前で堂々と発言する人は少なく、人前で自分の意見を述べるという人は少なかった。学校のクラス会でも、町内会の集まりでも、会社の会議でも、積極的に発言する人はいつも限られた人で、大多数の人は自分お意見を言うこともなく、おとなしく黙っている。

 ところがどうだ、インターネットが普及すると同時に、日本人の中にブログをやる人がすごい勢いで増えてきた。これまで人前で自分の考えや意見を言わなかった人が、我も我もとインターネットのブログの中で語り始めたのだ。まるで長い間たまっていたマグマが一気に吹き出したような有様だ。