すごい突風の一日になった
春一番というより台風に近い風が吹き荒れ、
風を写真に撮って見せてあげたいくらいの一日だった
ここ数日、外では新入生や新入社員らしき人が歩いているのをみかけるようになった。
人の生きる道っていうことをよく耳にするが、
その概念だと、どうやら受験や就職活動は、
人生の壁や分かれ道と表現される。
例えば一枚のA4用紙があるとして、
手前から奥に向かって一本の線を書き、
その途中に枝を書き入れたとすして、それが人生の道だ。
ところどころに分かれ道があり、
線の長さが時間で表され、奥に行くほど年齢を重ね、線の太さが重さである。
人生を道として考えるとそうなり、
タイムスリップでもしない限り後戻りは出来ない、一方通行のようになっている。
前の私はそう思っていた。
しかし、今の考え方はそれとは少し違い、
現在の私の概念に道は無い。
同じくA4の紙があるならば、
自分はその中で動きまわるのだ。
例えば自分が真ん中に居て、そこから紙の右端に移動する。
それから今度は左端に行ってみることにする。
そうすると自然と元来た道を後戻りするかのように思える。
だがそれは少し違い、
後戻りしているようにも見えるが、新しい場所へと向かってもいるのだ。
しかしそれだとおなじところをグルグル回っているだけだと言われるだろう。
だから面積が存在している。
時間の経過、自分の経験
そういったものが面積を広げていくのだ
A4がA3へ、A3がA2へ、やがて大地へ広がり、海のように広がる。
もしもどこかへ行って迷ってしまったら、
来た足跡を戻ればいいのだ。
人生が道なら決まった終わりがあるだろうが、
私の人生の概念は面積であるから、少しぐらい戻っても何処にでもまた行ける。
戻ってる途中でどこかへ寄ってもいいではないか。
無限大に歩き回れるのだから。
それに戻ってる途中こそ、面積の広がりを見せることも多い
認めたくはないが、
苦しんでいる時、悩んでいるときこそ、
人の成長は大きいと誰もが感じるはずだ。
一つだけやってはいけないことがあるならば、
それは足を止めてしまうことだろう。
例え戻っても止まってはいけない。
でも生きている限り、止まることは出来ないようになっている。
そう決まっている
自分が止まっても、地面が動くようになっているからだ。
そこには自分の決定権はなく、
生きている以上、そういうシステムになっている。
先だけを見続ける人生は、
面積が存在している私の人生感においてはあまり意味がない。
いろいろ余所見していればいいというわけではないが、
その道を極めようと目指す者ほど、
多くの面積を網羅していると感じる。
一方向を見ているようで、実はたくさんの方面を吸収しているものなのだろう。
生涯旅人であれ