青空に白い月

ゆったりゆるりと生きましょ~よ

携帯電話の行くところ

2008-04-30 23:19:49 | 日々思うこと

近頃、携帯電話の行く末に興味があるんです。

会話が出来て、テレビが見れて、文字が送れて、財布代わりにもなり、インターネットも出来て、音楽のプレーヤーになって、カメラになって、ゲームも出来てしまう。

未だかつて、ポケットに入る大きさでこれだけの機能を持った機器が、他には思い当たりません。

だって、ちょっと前までこれら全部をもって歩くとなると、ポータブルテレビ、クレジットカード、ポケベル、ザウルス、ウォークマン、カメラ、電話などなど、一個一個が必要だったんですよね。

でも求められているものがチグハグだっていう所が面白いところで、出来るだけ薄く小さくの携帯性と大画面のテレビ、操作性の簡単さと多種多用な機能

物理的に相反するものが求められているところが、非常に面白く興味がある部分です。

これって別のものに例えると、出来るだけ低い高層ビルを建ててほしいとか言っているようなもんなんですよね。

でもでも欲深い現代人、それを一体どうやって解決してくれるのか見ものであり、不安でもあり、私の中の注目度は高いです。

もしかしたら写真屋さんのように、新しい方式の機器の出現によって消えつつある職業もありえてしまう怖い一面もあります。

だから私はそういった新しい機器の出現に期待はしておらず、あくまでも興味があるだけです。

その内、洗濯機と冷蔵庫と電子レンジと食器洗い機とテレビが一緒になる時代が来ないとは限りません。

可能性というのは、いい方向ばかりではなく時には悪い方向へも働いてしまう事があるものです。

オールインワン

船頭多くして、船山に登る。

なんかそんなイメージが私にはあるよ。

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運動誘発でカフェイン爆

2008-04-28 21:24:01 | 健康・病気

先日コーヒー飲まない宣言をしたばかりなのに、あれから缶コーヒーを2本程飲んでしまった。

でもなんともなかった。

どうしても自分意思で飲みたくなくても、出されて飲まないのが気まずい状況ってやってくるもんですね(>_<)

仕方が無くちょっと口を付けた程度ですが、でも幸いにもなんともありませんでした。

私がカフェインで目眩や発汗や動悸などが出るときには、必ず条件として摂取後の運動っていうのがあるんです。

調べてみたら体質により、運動誘発性っていう条件付のアレルギーというのがあるのだそうです。

そうすると私にピッタリ当てはまります。

カフェインを摂って運動という条件が揃うと、私はアナフィラキシーという症状が出ます。

心臓はドキドキして発汗し、酷い目眩がします。

それが更に酷くなった状態をアナフィラキシーショックといって、激しいショック症状を引き起こし生死に関係してくるそうですが、流石にそこまでいったことはありません。

最近飲んだ2回の缶コーヒーに関しては、飲んだ後、体はほとんど運動状態(仕事で激しい動き)がなかった為、アナフィラキシーの症状はありませんでした。

病院でアレルゲン(アレルギーの可能性)の検査等も出来るようですが、カフェイン+運動というのが駄目だと、今までの長い経験から断定できるので、特に検査を受ける予定はありませんが、興味本位で知っておきたいっていうのはありますね。

でも果たして興味本位という程度に出せるような金額で検査出来るのかどうかがよくわかりません。

アトピーや花粉症などはアレルゲン検査はあるようですが、カフェインに対するものもできるのかな?

それにしても運動誘発だなんて・・・

なんかイメージ的に摩擦や衝撃で爆発してしまうニトログリセリンのようです。

起爆させたくないので、飲まないように心がけます^^;

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ぼんやり

2008-04-27 16:58:02 | シェーグレン日記

昨日の夕方から頭痛。

がまんできなくてロキソニンで対処し、早めに就寝。

でも今日もちょっと頭の隅に違和感があります。

なんかボンヤリしてるんですよね。

大したことはなさそうだけど、どうもスッキリしていません。

でもまた寝てしまったら、更にボーっとしそうでそれもパス。

すごく中途半端なこの頭

コーヒーでも飲めたらいいのにね^^;

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適当の事2

2008-04-27 16:49:16 | 日々思うこと

私は小学生の頃、唯一習っていた公文式の算数。

これはいい意味で、学力に対して適当な勉強方式を採用していたのを覚えている。

始めに体験学習があり、その時には既に学校で習っているような簡単なレベルのプリントを何枚か渡される。

そしてその場で問題を解き、子供に勉強しているという印象よりも、楽しんでいるような印象を与える。

学校で難しくて分からないような勉強よりも、するすると解けてしまうというのは、それだけで結構楽しかったりするもので、ここでまんまと子供は引っ掛かる。いや失礼、訂正。ここで勉強の魅力に取り付かれる。

そして子供が自然と親にそれを伝え、すると親は勉強する気になったものを止めることもないので通わせてみるかということになる。

でも、それだと結局勉強が一向に進まないような気もするが、そこからのやりかたが実にうまい。

最初は学校の復習のような状態で、プリントをどんどん渡して問題を数多く解かせ、そこから徐々に難しくしてプリント枚数を減らし、だんだんと学校の予習となるように上手に導く。

子供もだんだんと難しくはなってくるが、学校の授業で皆が教わる段階で、すでに自分はもうそれを知っているということにだんだんと優越感のようなものを覚え始める。

そして、更に先へ先へと勉強は進み、1学年も上の勉強をする生徒もたくさんいる。

しかし、塾の勉強なんて週に1日か2日の放課後程度の時間なのに、どうして多くの時間を費やしている学校より進むのかというと、それは楽しいと思ってやっているからなのだ。

同じ勉強するにも、いろいろやり方があるもんだ。

ほとんどはいい学校に入るためかもしれないが、一番大事なことは楽しんでやるということであり、そうやって覚えたものは、記憶の中に長く残り続けることが出きる。

好きな科目、苦手だった科目、大人になってもずっと影響していると思うが、それはその時に楽しかったかそうでなかったかの違いが大きく影響していると私は思う。

病気についても同じでね

全く未知な世界も、興味をもつとそこに面白さが湧いてきたりしてね、知ることが楽しくなってきたりする。

逆境をうまく利用して、そういうのもバネになっていったりする。

人に詰め込めこまれるより、自分で詰める。

適当っていうのは人それぞれ違うのだから、詰め込まれること自体おかしいことかもね。

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適当のこと1

2008-04-25 23:37:49 | 日々思うこと

適当って難しい。

「適当でいいよ」

とか

「適当にやっとけばいいんじゃない」

とか

そんな風に言うと、

適当=いいかげん

みたいな印象があるが、決してそうじゃない

適当って言うのは適度ってことだ。

でもそれってとても曖昧な表現で、人それぞれ適当の基準がばらばらで、とても分かりにくい。

でもそこに表現としての丸みが出るのも事実で、使う時と場所を上手に使い分けなくちゃいけない。

目の前に大量のお菓子が置いてあるとして、子供に適当に食べてもいいよと言うのは多分あまりよくない。

そういう場合は適当ではなく、きちんと分量を分けてあげることが必要で、適当にと言ってしまうと自分の判断でいくらでも食べることが出来てしまう。

だから適当っていうのは、その人の判断に任せられる時や、任せたほうが面白そうな時、それにきっちりと分量を決めることで角が立ってしまいそうな時に好んで使われるべきで、大事な仕事などで軽々と使うと、後で大変なことになるのが目に見える。

それと、適当っていうのは感覚で変化する性質がある。

これから食事をするとして、目の前におかずが山盛りに盛り付けられても、以外と食は進まないもので、逆にちょっとずつおかわりした方が、結果的には食べていることもある。

勉強もそう

分厚い参考書を渡されてもは初めから取り掛かりにくいが、項目別に薄く何日かに分けて渡されると、結構はかどる事も多い。

適当って言うのは、終点が遠ければ遠いほど、終わりが見えないほうが楽である。

人を上手にコントロールする人は、その辺が実に巧妙である。

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