青空に白い月

ゆったりゆるりと生きましょ~よ

増殖する大供達

2008-06-30 21:19:19 | 日々思うこと

今朝、仕事に出かける間際テレビで言っていた。

番組で調査したところ、10人に一人くらいの割合でペットの急病で救急車を呼んでいいと本気で思っているらしい。

まさかって思いましたけど、街頭インタビューでも

「ペットも家族の一員だから」

とか平気な顔して大真面目に言っている。

子供じゃなくていい大人がだ。

大人と言っていいのかすら疑問である。

そんな見た目が大人で考えが子供の人の事を、私は勝手に大供って呼ぶことにする。

救急車ですよ、緊急用車両ですよ。

無限にあるものならいざ知らず、数限りある命を救える車両ですよ。

それをこの大供達は、ペットに本気で使うのですよ。

使おうと思っている人達ではなく、この大供一族はペットの急病で本気で緊急ダイヤルを使う人たちなんですよ。

時には崖っぷち犬のように、犬一匹といえども救助しようとするレスキュー隊員をテレビで見て、日本も捨てたもんじゃないなーとか思ったりもしましたし、動物だって同じ生き物なのだから命は大切だとは思いますよ。

でも少しは人の事を考えるべきじゃないのか。

全く見ず知らずの他人であれば、自分のペットを助ける為なら亡くなってもいいのか?

救急車に人が乗るという意味が分かっているのか?

救急車が乗せる人の重さが分かっているか?

救急車は人が乗る為にあるが、時には人を載せなければいけないその痛さが分かるか?

人が人から物へと変わる事を防ぐことが出来るのが救急車なんですよ。

あなたがペットの為に軽々しく呼んだ救急車が、人を荷台に載せる車になりかねません。

タクシー代わりなんてもはや論外。

ある意味、殺人犯だ。

でも実際、世の10人に一人が大供だとすると、人を載せる救急車はこれからもっと増えることになりそうである。


珍しく実物をスケッチ

2008-06-29 22:45:25 | アート・文化

昨日に引き続き今日も眠い一日で、また日中我慢出来ずに寝てしまいました。

そんな訳で、寝起きで書いた一枚のスケッチがこれです。

Photo

前に旅行の御土産に姉から貰った狐の置物

木彫りの狐なので、彫った跡があります。

木の台と狐二匹はそれぞれ別々で、いろいろな形に組み合わせられるようになっています。

テーブルの上に置いて書いたのですが、それほど大きな物ではありませんし、色も木の色そのまんまですから、ちょっと見づらかったです。

これは人の顔を描く時のようにいろいろ道具は使っていません。

使ったのはHBの鉛筆とシャーペンと消しゴムだけです。

自分で言うのも何ですが、寝起きにしてはなかなかいい感じでしょ(^_^)


意識と体

2008-06-27 22:37:51 | 健康・病気

今日も仕事から帰って一眠りした後の私でございます(-_-;)

どーもこのところ、家に帰りつくとすごく眠いのです。

仕事中は大丈夫なのですが、家に着くと緊張の糸が切れたように睡魔が・・・

でも幸いにも疲れとは反比例して、私の微熱は落ち着きました(^_^)

緊張といえば、人って自分の意識とは裏腹に、体は緊張しているものなんですよねー。

車のレース前は、一応メディカルチェックがあってドライバーは医師の診断を受けるんです。

尿検査とか握力とか血圧とか検査して、軽い問診を受けるのですが、

私はいつもは血圧は上が120~130程度なのに、たまたまある日いつものようにメディカルルームで検査をしたら血圧が200近くあり、お医者さんに

「いつもこんなに高いの?」

って聞かれまして、

私はとっさに

「多分、緊張してるんです」

って答えて苦笑いされ、OKをもらったりしましたが、

実際自分では緊張のきの字も感じないくらい気持ちはリラックスしていたので、自分が一番ビックリでした。

だから、自分の意識として調子がよくても体はそうじゃないこともあるから、突然死というのもあるのでしょうね。

数字に囚われるのもあまり良くはないとは思いますが、せめて定期健診くらいはやっぱり必要かと思いますね。

ぽっくりっていうのは、本人はいいかもしれないけど、周りは悲しすぎますもん。


25億2288万

2008-06-26 23:17:07 | 日々思うこと

25億2288万

何の数字でしょう?

実は宝くじが当りました!!

なんて言いたいところですけど違います。

私の年齢でも体重でも身長でもありません。

この数字、人生80年生きた時の秒数

閏年は無視して一年365日で計算して、80歳を迎えると

25億2288万秒生きるんです。

でも最初これを見たとき、私の印象は”短いなー”と感じました。

実はもっととてつもない、単位も分からないような数字が出てくることを想像していたものだから、この数字はあまりにも短く感じたんです。

今現在も、刻々と私の1秒は過ぎて言っています。

1秒はとても短い時間ですが、人生80年と言われると、とても長く私には感じてしまいます。

だからこの25億2288万という数字が短いと感じた私にとって、1秒という時間は意外に長いのかもしれません。

逆に80年を短く感じていて、25億2288万秒が十分長いと感じた方にとっての1秒はとても短く感じます。

もしも生まれたときから自分が80歳で死ぬことが分かっている人が居たとしたら、どう思える方が幸せなのか私にはなんとも言えませんが、前者と後者を比べると、80年という時を漠然と短く感じる人の方が、より長く生きたいように直感的に感じますよね。

でも皮肉なもんですよ、長生きしたい人の方が1秒を短く感じるのですから。

長生きしたいのか?時間を長く感じて生きたいのか?

早く死にたいのか?生きている時間を短く感じたいのか?

今自分が思っている生きる長さに対する方向性がなんか見えてしまう。

どうも私は、そんなに長く生きたいとは思っていないが、体感する時間は長く感じるようになっているようだ。

それはつまり、試練多く生きろとそういう風に感じる。

私と全く逆の人は、多分人生楽しいが名残惜しい人生を生きることになりそうだ。

まー私流の勝手な考え方だけど、私に関してはまんざら間違ってもいないようだね。


一歩手前くらいがいいよ

2008-06-25 23:30:04 | 日記・エッセイ・コラム

今日はここ数日の蒸し暑さと比べると比較的涼しい方でした。

それに仕事も超大変ということもなく、楽な一日になると思っていたのですが、自宅の小屋のシャッターが大分錆びて見た目にも悪いので、昨日から父がサビを落としてペンキで塗装していて、それを私が見つけて面白そうだと思い、途中から塗装してしまいました。

塗装とは言っても、ハケで塗っているのではなく、私が車いじりにいつも使っているエアコンプレッサーを使ってスプレーガンで塗るのですが、これが意外と手が疲れます。

動きは右左に単純な動きですが、だんだん手が上がらなくなるし、握力が無くなってくるんですよね。

プロの塗装やさんを見ているとそんなに大変そうには見えませんけど、意外と大変だったので結局明日に持ち越しで、多分父が塗ります(^^ゞ

私は仕事が終わってから塗装し始めたので、いくら日が長いとはいえ、終わる頃には大分薄暗くなり始めていたのですが、ここでまた問題勃発。

2ヶ月以上前から気になっていたのですが、どうも車の右フロントタイヤの空気が漏れているようなんです。

でも見た目にはなんとも無いし、口ゴムの部分からのエア漏れもないからどうしたんだろうかと思いつつ、週一回のペースで空気を入れなければいけないような状態だったのですが、塗装が終わってから何気なくタイヤを見ると、なんか昨日よりもタイヤが潰れているような感じがしたので、一応空気圧を測ったら1キロ(汗);

おととい空気入れたばっかりなのに・・・

これはおかしいって事で、明日の朝仕事に行けなくなったら困るから、薄暗い中タイヤ交換。

外したタイヤを見てみると一本の釘のような物が刺さっていました。

釘がささっていても、刺さったままだと以外に空気って抜けないものですね、私はそのままの状態で2ヶ月以上普通に運転していたのですから。

そしてこの時点でもう疲れてヘトヘト状態です。

でもここでまた私の好奇心が顔を出します。

前にホームセンターでパンク修理キットが売っていたのを見かけたので、ここで興味本位で自分でパンクを直してみたい衝動が・・・

そう思ったらすぐにやってみたい困った私(・へ・)

すぐにホームセンターへ行き、キットを購入。

1500円くらいでした。

そして疲れてヘトヘトを他所に、パンク修理開始。

ところが背中がもう限界でした。

でも始めてしまったので引っ込みがつかなくなり、説明書片手に修理修理。

直ったときにはもう限界。

でもそこからなんですよね、意外と大変なんですよ、そういうのの後片付けって。

ジャッキとかタイヤとか結構重いし、こまごまと散らかってるし・・・

終わった頃にはもう限界を超えてましたね(-_-;)

そういえば前にもそういうことがあったのを思い出しました。

大分前に運動不足解消にと仕事が終わってから、夜暗くなって少し涼しい時間帯にジョギングしていた時があったんですよ。

そして私は近所を周るように走るのではなく、ひたすら遠くまで走ってまた同じ道を帰るというルートを繰り返していたんです。

そしたらある日、何を思ったのかもっと限界まで行ってみようかと思い、その考え通り限界まで結構遠くまで走っていきました。

そしたら本当にもう限界だって思う状態がやってくるんですね、人間って。

そして限界を感じたら、その時初めて気が付いたんですよ、また同じ距離を自分の足で戻らなくてはいけない事を・・・

元々運動不足だから限界自体が結構早かったことは早かったのですが、でも帰りは暗い夜道をひたすら歩きです。

一歩手前で留めることが出来ない。

というよりも、考えないで行動するからそうなるんですね。

ということで、悪い見本でした(^^ゞ