摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

比売許曽神社(ひめこそ神社:大阪市東成区)~”出雲”でつながる下照姫神と葛城氏~

2020年01月25日 | 大阪・南摂津・和泉・河内

(2022.5.24更新)

 

鶴橋駅から歩いて300m程の、下町風情の街中にこじんまりと鎮座している神社ですが、この社は記紀で説明されてるほど由緒があります。「古事記」では、新羅から難波に渡って来た天之日矛の妻で”難波の比売許曽の社に坐す阿加流比売神”とし、「日本書紀」では、加羅の王子都努我阿羅斯等が結婚しようとした比売が、難波に詣りて(または豊国国前郡に至りて)比売許曽の神となった、と書かれているのです。

 

・石標。こんな狭苦しいとこに、という印象・・・

 

【複数の比売神の渡来神話】 

坐摩神社の記事でも書きました、「三国遺事」の延鳥郎・細鳥女の話や、「摂津国風土記」逸文での新羅の女神が筑紫国の伊波比の比売島を経て摂津の比売島まで来る話など、女神が新羅(加羅)から難波へやってくる事で共通する話が幾つも存在します。「延喜式」神名帳では格式の高い名神大社。別称としてご祭神名で、下照比売神社とも呼ばれてきたようです。ただ、この地がその社かどうかは議論があり、式内論社という事になります。神社の由緒でも、天正年間、織田信長の石山本願寺攻めの兵火に遭い、摂社だった牛頭天王社に移って今に至ると説明しています。

 

・境内

 

【旧鎮座地比定】

その旧鎮座地についての諸説ですが、「摂津名所図会」ではほぼ現在地の味原郡小橋村だとし、一方、その「図会」を参考にした「大阪府全志」は天王寺区の真田山町、玉造本町にあった姫山に有ったとしています。しかし、喜田貞吉氏や瀧川政次郎氏らによれば、大元の「図会」が、寂聞聖観という僧侶が偽作した「比売許曽神社縁起」を引用して書いているから、共に信憑性が疑わしいとされます。

 

・拝殿

 

もう1つ、中央区の高津宮神社が元々の比売許曽神社の有った場所だとする説も有りますが、これも高津因幡守という人が偽作した高津宮の偽文章によるもので、瀧川政次郎氏は”根拠なき妄説”としていたようです。これに対し、大和岩雄氏は、関連する神社がいずれも近接していて、八十島祭の祭場に比定されるような聖地なのだから、何も根拠がないとは言えないだろう、としています。

 

・社務所への渡り廊下が立派

 

これらに対して、女神がやってきた比売島に旧鎮座地を求める考えがあります。ただ、同じく阿加流比売神を祀る西淀川区の姫嶋神社はかつて西成郡であり、「延喜式」では東生郡だと書くので違うようです。そして、幾つかの古典の記述をつなぎ合わせる事で、姫島の比定をされます。つまり、「摂津国風土記」と「日本書紀」の仁徳天皇の時期の”雁卵産みき”の記事から、茨田堤のあった辺りに日女島が有る事が知られ、「日本書紀」の安閑紀や「続日本紀」の元正天皇の時期の大隅島と姫島の牧の記事から、二つの島が難波戸を入ったところで南北に並んでいたと判断されます。これらと国土地理院による応神・仁徳期の調査図面を突き合わせて、姫島の位置を旭区森小路周辺に比定されていました。現在地からだいぶ遠いですね。

 

・拝殿向かって右側を抜けたところに、お稲荷さんが鎮座

 

【朝鮮渡来人の信仰】

比売許曽の神の本質としては、朝鮮の民族神であり、半島からわが国に渡来した人々が航海の安全を祈る神だったので、難波戸に近い比売島の西端に位置していた、というのが先の瀧川氏の結論になります。そして、九州から畿内にある比売許曽の社には、神功皇后と天日矛命が無視できない、と大和氏は言われます。

 

・本殿

 

【阿加流比売神と下照比売】

それでは、なぜ比売許曽の阿加流比売神が下照比売になるのか、なのです。「古事記」では、天若日子の妻であり、大国主命の子だとしています。にもかかわらず、下照姫について松村武雄氏や松前健氏あたりは、大陸系の渡り神であり同じ神だと考えておられました。最近でも平林章仁氏が「謎の古代豪族葛城氏」で、”元は同じ太陽神だったとみて良い”と書かれています。

 

しかし、「住吉大社神代記」は、赤留比売命神と下照比売命を別々の神としているのです。大和氏は、下照比売は国魂神であり、阿加流比売は渡来神なので、はっきり違う神とみるべきだと書かれています。ということで、日妻的要素の共通性で、神名が変わったと考えるべきとの事です。これには、下照姫の夫である天若日子が天下ったのが難波高津だとする「摂津国風土記」の記述も下敷きにしているようです。

 

 

下照姫を祭神とする神社はそんなに聞かないのですが、先の平林章仁氏は「謎の古代豪族葛城氏」で、”(高鴨神社や鴨都波神社など)広く葛城地域で奉斎された太陽神”と書かれています。河内王朝時代に葛城地域を拠点とした葛城氏は、王朝内で対外国、特に朝鮮半島との交渉権を掌握し、渡来人との関係も緊密だったとされている事から、その時代、その渡来人の祀る神と葛城地域の女神が近しくなる素地が出来ていたという説明になるのでしょうかね。

(参考文献:平林章仁氏「謎の古代豪族葛城氏」、谷川健一氏編「日本の神々」)

 

・東側大通りに面した鳥居。南に行くとコリアン・タウンが有ります(右側が最近欠けたようです)

 

【伝承】

下照姫は、鴨都波神社では主祭神、高鴨神社では配祀神としてお祀りされています。そして山陰の鳥取県の倭文神社にも、出雲から来た女神としてお祀りされ、また、出雲の御井神社の主祭神、木俣神も下照姫の事とされます。共に安産の神として信仰される出雲の女神様です。東出雲伝承によると、葛城の鴨都波神社は、東出雲から摂津三島を中継地として葛城にやって来た天日方奇日方命が、高鴨神社は、その奇日方命を頼って西出雲から来た多岐都彦が建てた、と云います。紀元前2~3世紀の頃です。葛城氏の始祖の葛城襲津彦の先祖である武内宿祢は、実際は紀元3世紀に東出雲に守られて晩年を過ごしたそうですから、この縁により葛城氏がその出雲ゆかりの葛城の地を拠点とした、という感じがします。

 


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1 コメント

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Unknown (omachi)
2020-01-30 18:35:45
あなたの知らない日本史をどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
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