出雲散策の4回目、今回から由緒ある神社を3回に分けてアップします。およそ車で東から西の順に巡って行き、最後また東に戻っています。
・玉作湯神社
〇玉作湯神社について、コチラで情報を追加して新たに記事を投稿しました
有名な玉造温泉街の奥にあります。また家族できたら温泉宿に泊まりたいですね。出雲国風土記に既に記載されている、真に由緒ある古社。境内は国指定史跡出雲玉作跡の一画にあたり、弥生時代末から玉作が行われていた、と掲示パネルで紹介されています。境内には少し階段で登っていきますが、その途中に、玉作跡から出土した玉類の社宝を収蔵する、一応、古代住居を模したという収蔵庫があります。
御祭神は出雲玉作部の始祖とされる櫛明玉(クシアカルタマ)命。これは実在の人物のよう。温泉という事で、大名持命と少名彦命も祀られています。東出雲では他にも玉作遺跡が発掘されていて、紀元前から造っていたよう。明治時代以降も、天皇即位の式典に際しては、ここで造られたメノウ、碧玉製品が献上されていた、と先のパネル。次の即位もここで造るのかな。
・須我神社
さらに山奥に入って行って、のどかな田舎の風景の中に、この有名な神社が有りました。門前の「日本初之宮」の堂々とした石碑が由緒を主張しています。古事記に記載がある、ご祭神の素戔嗚(スサノオ)命が八岐遠呂智(ヤマタノオロチ)を退治した後、稲田姫と落ち着いた須賀宮がその起源、という有名な話です。
そして須我神社と言えばもう一つ、「八雲立つ・・・」の和歌。ここでスサノオが日本で一番古い和歌を読まれた、とのご由緒。いや、古事記制作時に読んだのですよね・・・と言うのは野暮ですね。せっかくここまで来たんですが、この後の予定もあったので、奥宮までは行けませんでした。。。
・熊野大社 (タイトル写真も)
〇熊野大社について、コチラで情報を追加し新たに記事を投稿しました
須賀神社からさらに南の山側に行って、53号線を廻って熊野大社に。途中、細い山道になりましたが、何とか対向車とはすれ違えました。出雲国一之宮の肩書を持つ、本当に出雲で一番偉い神社です。こちらも延喜式はもちろん、出雲国風土記で既に存在が確認されていると自ら紹介されていますが、実際はもっと古そうですよ。でも主祭神は素戔嗚命なんですね。改めて確認して、それで良いのかなぁ、という感じ。
この神社の偉さは、出雲大社宮司(国造)が代替わりする時、後継ぎは必ずこの熊野大社に来て、燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりぎね)を受け取る火相続(ひつぎ)神事を行わなくてはいけない事から理解できます。その燧臼・燧杵が鑚火殿に保管され、その舞台となるのだそうです。
鑚火殿
また毎年10月15日の鑚火祭でも、この燧臼・燧杵が出雲国造に渡されます。この時出雲国造側から、お土産のような餅が納められるのですが、熊野大社側からその出来栄えについて、"苦情を口やかましく言い立てる"という変わった神事が行われます。どう見ても熊野大社側の上から目線になっており、この両社の力関係の奥深さを、出雲を訪れる方は心に留めてほしいと思います。
なお、熊野大社というと、和歌山の熊野三山もありますが、名前は同じでも別系統です。クマとは神に供える食べ物の古代語で、古代はよく使われる言葉だったようです。日本海側各地域でも熊野神社が多くありますが、古い出雲系と、12世紀以降に盛んになった和歌山系とに区別して捉えられているようです(「出雲を原郷とする人たち」岡本雅亨氏)。
・神魂(カモス)神社
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熊野大社から松江の方向に向かって15分程。ここは見るからに由緒正しい、見ごたえのあるお社でした。境内までのアプローチも重厚な雰囲気が有ります。石段は正直歩きにくかったです。
境内で配布の公式由緒書を元にすると。。。出雲国造の太祖天穂日命がこの地に天降られご創建。出雲大社が創建されるとそちらへ移住しましたが、国造引き継ぎの火相続神事を執行する時は、ここへも参向されてるそうです。日本最古の建築様式で、天地根元造の大社造。現在の社は1346年の建築である事が柱の墨書きから確認されていて、大社造としては最古、国宝です。
主祭神が、伊弉冉(イザナミ)大神と女神なので、千木は女千木、御神座が、出雲大社と反対の、正面向かって右側を向いている女造と説明されています。伊弉諾(イザナギ)大神が合祀。神魂の名前は、神坐所(カミマスドコロ)がなまったとか、夫婦神が夫婦の道を開きムスビ給いし故事からとか、元々神皇産霊(カムムスビ)神を祀っていたからとか、諸説挙げていますが、わからない、が結論です。
境内には、複数の末社とともにひもろぎが祀られています。これは、元々は自然の山中の木で祀っていたものを再現したものだと言われています。つまり、一時的な墓地です。
明治24年には、小泉八雲氏がここを訪れているそうで、その説明板も設置されていました。テレビで、八雲氏のご子息がここを解説されてる番組がありましたね。
御朱印を頂きましたが、この前の熊野大社からページめくった次に、とお願いしたつもりが、この2社を並べて書いていただいていました。この2社の御朱印の並びは、とても深い感慨を覚えてしまいます。