ようやく、大粒のミカンが残り数個になってきたが、紙の米袋に入った長野のリンゴは、まだ半分以上残っている。例年、シーズンになると、ふた袋、み袋とまとめ買いして、老人、特に母親はせっせと食べたので、つい昨年もひと袋買い求めたのだが、よほど、意識していないと、なかなか消費できない。
一度干してしまった大根も残っている。捨てなきゃ。新聞紙にくるまったキャベツもたっぷりある。箱でもらった里芋も残っている。キャベツやレタスもある。忙しくて、沢庵漬けを諦めたレース屋の社長が、工場の前の畑に、まだ、大根がそのままだから持って行けという。
食べ物が余っている飽食の時代。なんと罰当たりで、ありがたい時代だろう? それでいて、栄養バランスを気にして、ビタミン剤やサプリを飲み、食事制限しなきゃ、という思いは頭から離れない。「飽食」どころか「阿呆食」の狂った時代だ。
かたや、街中では、貧困家庭で育つ子供が、満足に食べられないらしい。親を捨てて、放浪しろ、田舎にいけ、子供達よ。都会にいるんじゃない。飛び出せ。そこは、人間のゴミ溜めだ。妄想と欲望の世界。生き延びたければ、田舎に行け。