24 黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

秋雨と新米

2019年09月24日 | 日記
まあ、どうなることか。新米に富津金時を細かく刻んで放り込んだ。午後6時は炊き上がる。いただいた今年の新米コシヒカリ10キロ。最初の2合は実験炊飯。仕事から戻ったワイフにどやされるかもしれない。

曇り空で道路が濡れていないと思っても、外に出ると細かな雨が降っている。秋雨にしては、全く風情がない。梅雨時のような気配。調子が狂う。

午前中はビリオン珈琲で先輩社長に会っておしゃべり。預かっていた資料も返却し、コンビニでの支払いも済ませたし、帰り道、おやつも買ってきた。案件は次の段階に入ったし、福井信用金庫がアホだとも分かった。

福邦銀行が福井銀行に吸収される。そのうち、第二地銀などこの世から姿を消すというのに、地元信金が脳足りんでは、零細企業は心もとないことおびただしい。

まあ、私には無関係な話だが......。

祖父の血

2019年09月24日 | 気象
2019年9月24日(火曜日):By Yahoo [ 18c/25c/50% 68K96F ] 雨時々曇り

静かな朝。そりゃ、午前4時では静かに決まっている。窓の下のソバ畑で虫の鳴き声が盛んに聞こえる。このところ2日間、昼寝もせずに、20時間、18時間と連続で起きて動いていたので、昨夜は9時にストーンと寝てしまった。

今朝はまた、小学校の入り口で、交通安全のお仕事が待っている。

私の祖父は64歳で死んだ。私は小学校に上がる前だったと思う。昭和28年12月19日と戸籍にあるから5歳と半年ほど。事業に失敗して地元に戻ったその祖父は田舎に暮らしながら田畑一枚も持たない「貧乏人」だが、なぜか「農業指導員」をしていたらしい。

当時はようやく田舎に電気がやってきて、農作業の動力化が盛んに進み始めた頃。見たことがある。一抱えもあるほどの大きな電動モーターの長い10センチ幅ほどのベルトを取り付けて、脱穀機を回転させる。稲の束から、小さな籾殻を落とすのは、足踏みで回転させる脱穀機か手で稲束を櫛のような歯の突き出た農具に叩きつけて引っ張るか、だった。

電動モーターの普及を目指して、山奥の集落に出かけて数日戻ってこないことがよくあったと祖母が言っていた。ただ酒だと浴びるほど飲んで暴れるので酒癖が悪かったらしい。それでも遠い村人には愛されていたのか、戦時中に白い飯以外に食べたことはない、と祖母は自慢した。米を持ってきてくれるのだ。

我が家でも、家から少し離れたところで鶏を飼っていた。小さな鳥小屋があって卵はよく食べた。鳥の卵とバナナは随分長い間、貴重品だった。昭和20年代から30年代の頃だろう。昔、むかしの話だな。

おや、今になって雨が降ってきた!