久遠寺参詣からの帰り道にいつも、気になっていたお寺がありました。
川の向こう側にある、歴史のありそうなお寺!
今日は時間があったので、えいやっ!と橋を渡って、ついに来ました「正慶寺」!

日蓮聖人が身延山にお入りになる前に、川のほとりの大きな石に座り、休憩されました。


その石は現存していました!なんか植物がにょろにょろ出てるけど・・・
こういう何気ないものに、むしろ感動しちゃいます~
まさに「ここに!」お座りになっていたんだ! 合掌。

この地に暮らしていた庄左衛門の妻・かつさんが、休憩されている日蓮聖人に粟飯を差し上げたそうです。
長旅でお疲れになっていたのでしょう、日蓮聖人はそのご供養をとても喜んで受けられたといいます。

のちに夫を亡くしたかつさんは、幼児を抱いて日蓮聖人の庵を訪れ、是非とも弟子にしてほしいと願い出ました。
日蓮聖人はかつさんに「日佛」という法名を、子に「是好麿」という名前をそれぞれ与えたそうです。
日佛尼は、身延山の醍醐谷(東谷の下の方かな?)に坊を建立し、日蓮聖人の法衣を洗い清めたり、ほころびを繕ったりして、在山中の聖人を支えたといいます。

(江戸中期の下之坊:「身延山図経」より引用)
この坊は下之坊といい、数ある身延山の坊のうち、記録が残る最古の坊、つまり身延山支院のルーツとなるそうですよ!
(下之坊は、明治初期の坊舎統合で窪之坊に合摂されました)

是好麿と名付けられた日佛尼の子は、のちに出家して日了上人となります。
正慶元(1332)年、日了上人は相又にある父の屋敷を寺としました。
その年号が由来なのでしょうね、「正慶寺」となりました。
お寺の裏山から、小川が流れています。

これが「安産水」なのかな?
日蓮聖人がここで休憩をされている頃に、この村にお産で苦しんでいる妊婦がいました。日蓮聖人に相談したところ、ここに湧き出ている水を飲ませれば安産すると教えられ、飲ませたところホントに安産で赤ちゃんを授かったそうです。
その後、その方は日蓮聖人に帰依し、この正慶寺を始められたそうです。

南天の実がキレイ💛
さっきから画像の中の格子が気になるんだけど・・・
何なんだ~?

鹿!!
お檀家さんは気を付けてお墓参りして下さいね!!