波乱万丈な生涯だった日蓮聖人については、その辿った道さえも細かく研究されているようです。
そしてその道の途中途中に、一般の方なら気付かないような御霊跡があります。
表向き佐渡流罪の名目で、日蓮聖人は松葉ケ谷の御草庵で平左衛門頼綱に捕らえらました。
実は頼綱には、龍ノ口の刑場で日蓮聖人の首を斬ってしまおうという目論見があったのです。
真夜中に捕らえられた日蓮聖人は、暗い中を裸馬に乗せられ、

極楽寺の切り通しを通ってゆきました。
昼でもほの暗い切り通し。
当時の真夜中ってヤバいくらいに真っ暗だったんじゃないかな。

極楽寺の門前を過ぎると・・・

針磨橋(はりすりばし)があります。
石碑によると「この近くに針磨を仕事にしている人が住んでいた」のが地名の由来みたい。
以前、鎌倉に住むサーファーの知人が、このへんの川砂は砂鉄が多いから、稲村ケ崎の界隈だけ浜の砂質が違うんだと教えてくれたことがありました。
砂鉄と針・・・関係あるかも!
日蓮聖人はここを通過していったようです。

橋ってこれかな?
更に龍ノ口方面へ歩いてみよう。

わ~!
江ノ電の線路近い~

これだ!
袈裟掛けの松・・・ほんっとに道沿いに何気なくあります。
龍ノ口の刑場に連れてゆかれる途中、死を覚悟した日蓮聖人は、せめて神聖な袈裟だけは血に染まってはいけないと、近くにあった松の枝に掛けたといわれています。
当時の松はもうなくなってしまったそうです。
石碑とともに、一本の松が植えられていました。

石碑の文字は、日朗上人が土牢に幽閉された長谷・光則寺のお上人のものです。

石碑の裏側には、鎌倉駅近くの「おんめさま」、大巧寺のお上人のお名前。

道路をはさんで反対側の一角には、日實法師の石碑。
日實法師は材木座・實相寺の歴代お上人のお弟子さんで、ここに住んで袈裟掛けの松を守り続けたそうです。
一本の松を守るために実に多くの先輩方が介在し、
松なきあとも日蓮聖人の御霊跡としてホントによく整備され清められているのがよくわかりました。
御霊跡を守り続けてゆくのも信仰のかたちですね。
頭が下がります。