―四方のたより―
<日暦詩句>-6
ぼくの漂流は
どこまで漂流していくのであろう
退屈な楽器や 家財道具をのせて
いまにも沈みそうではないか
畢竟 難破だけが確実な旅程の一つであろう
―村野四郎「春の漂流」より-昭和34年―
―山頭火の一句― 行乞記再び -139
5月25日。26日、雨、風、晴、発熱休養、宿は同前
とても動けないので、しようことなしに休養する、年はとりたくないものだ、としみじみ思ふ。
終日終夜、寝そべつて、並べてある修養全集を片端から読みつづける、それはあまりに講談社的だけれど。――
病んで三日間動けなかつたといふことが、私をして此地に安住の決心を固めさせた、世の中の事は、人生の事は何がどうなるか解るものぢやない、これもいはゆる因縁時節か。
嬉野と川棚を比べて、前者は温泉に於て優り、後者は地形に於て申分がない、嬉野は視野が広すぎる、川棚は山裾に丘陵をめぐらして、私の最も好きな風景である。
とにかく、私は死場所をここにこしらへよう。
※この日、句作記載なし、表題句は6月14日付記載の句
この後、山頭火は、川棚の地に庵を結ぼうと、先ずは金策のため田川市糸田の緑平を訪ねては舞い戻り、8月末頃までのほぼ100日をこの地に滞在している。
Photo/下関市豊浦町川棚温泉界隈の全景、鬼ヶ城連山からの眺望
Photo/山頭火が表題句-大楠の枝から枝へ青あらし-を呈した大楠
Photo/幹周9.5m、樹齢1000年といわれ、一本の樹なのに森のようにも見えることから「クスの森」と呼称されている。
-読まれたあとは、1click-